ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

オール・アバウト・マイ・マザー 

2004年09月12日 | 映画♪
「女であるために女を演じるすべての女性たちへ――」という言葉を示すように、この映画を初めて見たとき、奥さんの感動ぶりに比べてもう1つはまりきれなかった。というわけで、もう一度、見直してみたわけですが、この映画、一言でいうと「女は強し」というところでしょうか。



臓器移植コーディネーターのマヌエラ(セシリア・ロス)は17年前に夫の下から逃げ出し、女手1つで息子を育ててきた。その息子がからお父さんについて問われ、夫の秘密をついに話さなければと覚悟を決める。その矢先、大女優ウマ・ロッホ(マリサ・パレデス)にサインをもらおうと道路に飛び出した息子は交通事故で息をひきとる。息子の死を別れた夫に知らせるために、マヌエラは夫のいるバルセロナへむかうことにする…

この映画では様々な女性が登場する。男から女になり売春で生活をする"女性"、妊娠した"シスター"、若手女優に愛されることを望む名女優。娘との関係をうまく作ることのできない母親。いずれの女性もそれぞれの悩みや困難さを抱えている。マヌエラは彼女達との交流を通して、シスター・ロサ(ペネロペ・クルス)の子供エステバンを育てることで再生していく。

子供に対する母の愛情というのは、やはり男には分からないですね。冒頭部分で、臓器移植コーディネーターという職業柄もあって息子の臓器を提供するシーンがあるんですが、その臓器の移植先まで追っていく母親の気持ちというのはやはり理解しがたいものがあります。またマヌエラの再生の過程でで彼女自身を支えているものが、優しい男性でも白馬の王子でもなく、妹のように頼ってくるロサであったり、年齢や社会的ステータスでは上でありながら彼女に頼ってくるウマ(マリサ・パレデス)であったり、すっかりゲイになった夫であったり、3人目のエステバンであったりすることを考えると、女の強さ=母性ということなのでしょうか。

これはいつまでたってもマザコンから逃れられないウッディ・アレンの一連の作品やどこかで母親に対する憧憬が昇華されてフェティシズムにいたってしまうパトリス・ルコントの作品などと比べると、対照的な気がします。
まぁ、どっちかっていうとやっぱりこっちの方が共感はできますね。男は基本的にマザコンなんでしょう。

それにしてもこの映画、非常に印象的なセリフが多くあります。

"私はいつも見知らぬ方のご親切にすがるの"

"僕のために客をとる?"
"どんなことでもするわ"

"タバコは私の全て。名声はあるわ。名声は味も香りもない"

"孤独を避けるためなら女は何でも受け入れるわ"

これら一連のセリフなんてなんて"女"の"性"をまさに言い当てているのではないでしょうか。


女性には一度見てもらって、感想を聞かせて欲しい映画です。



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