ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

「高品質」と「高再現性」が開く音楽配信の未来

2005年06月22日 | コンテンツビジネス
globeの楽曲を高音質で求める層がどれだけいるのかは微妙だけれど、この対談で小室哲哉の発言は至極真っ当なものだと思う。CDの音が一番いい音ではないし、より高品質の、あるいはより高再現性の「音」を楽しみたいという層は確実にいる。そういった層の、広がりつつある潜在的欲求に対して、音楽配信は何らかの回答を出すことはできるのだろうか。

エイベックス、小室哲哉氏をゲストに迎えて「高音質の未来」を討論:デジタル家電総合情報サイト:Digital Freak 2005/06/21

まだCDが出始めの頃、YAMAHAが10万円を切ったCDプレーヤーを出し、SONYの「D-50」で5万円を切るという挑戦的な価格で市場を作り始めた頃だ。当然ながら、僕が音楽を聴く中心はレコードだった。そうしたこともあって、劣化のない高品質な「デジタル音源」のCDを購入した時はワクワクしたものだ。初めて買ったCDが何であったかはもう覚えていないけれど、それを聞いた時、それは相当ショックだった。品質が悪いのだ。

品質が悪いという言い方は正しくないのかもしれない。1つ1つの「音」をとれば、レコードでは考えられないほどクリアーなのだが、クリアー過ぎる割に深みも温かみもない音なのだ。小室が「究極の情報量はアナログ曲線である」というように、その当時のCDの音は滑らかな曲線とはいえないものだったということが1つあったのだと思う。それはその後、スクエアの集合体を、擬似的に、より滑らか曲線としてマスタリングが行われていたことからもわかる。そしてもう1つ、人間の耳では感じ取ることのできないとして切り落とされた「20Hz~20KHz」外の周波数の問題もあったのだと思う。人間の耳では聴き取れない、しかし何らかの形で感じ取る余地が残されているレンジに対して、ばっさりと切り捨ててしまっているのだ。

それ以外の要素もあったのかもしれない。とにかくCDの音質の悪さに嫌気がさした僕は、クラシックやJAZZ、ニューエイジといったアナログ音楽については、ずっとレコードを買いつづけることになる。それは一人暮らしでレコードプレーヤーをもてなくなるまで。

そんなこともあってか、今のMP3の音質というのはかなり不満足なものだ。確かに思ったほど悪くはないのだけれど、間違っても「いい音」という言葉は出ない。例え標準的な128kbpsではなく、162Kbps/192kbpsでエンコードしたとしても音の深みは格段に低くなっている。

そうしたマスタリングと圧縮の問題のほかにも高音質な音楽を作り出すための課題はある。それが「空間の再現性」の問題だ。

例えばヘッドフォンでしか音楽を聴かない人にとっては「L/R」というのはそれほど意味のないことかもしれないが、音楽をただ流れているものではなく、1つの「空間」として捉えるならば、この「L/R」の違い、「再現性」の問題は非常に大きい。例えば「森」を歩けば、鳥のさえずりや風の吹き抜ける音、揺れる草のさざなみなどは僕らの360度あらゆるところから聞こえ、通り過ぎていく。オーケストラを聴きにいけば、それぞれの楽器の奏でる位置が存在しそれらがそれぞれの位置で奏でることで無限の世界が広がっていく。音楽とは耳で聴くものではなく、想像力をもって、その空間を再現させることなのだ。

特に最近では「ドルビーサラウンド」といった技術がある。映画館で頭上を通り過ぎていく隕石の音を聞いたという人も多いだろう。複数のスピーカーの音差を利用することで、L/Rという2つのスピーカーを超えた「再現性」を演習つることも可能となっている。こうしたものも今後の高品質音楽を実現する上での課題だろう。

これらをうまく取り扱うことはCDといった既存の流通形態とは違う、新しい「音楽流通」を作り出すことになるのではないか。地方の人がわざわざ新幹線代まで払って、サントリーホールに脚を運びベルリンフィルハーモーニーを聴くのは単純に「音楽」を聴いているわけではない。CDやレコードでは再現不可能な「空間」「臨場感」「感動」を味わうためにお金を払っているのだ。仮にこの差を埋めることができるのであれば、そこに新たな市場は現れるのだろう。


iPodに満足できない!ヘッドホンと音の定位の問題