maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

喜愛香港-017 長洲-3

2003-12-05 16:42:52 | 虚々実々-喜愛香港

海で生活を立てている島だけに、南北3Kmくらいの島の中に天后廟が4つも有ります。
廟より規模の小さな亭(個人が立てた物が多い)も含めると果たして幾つあるのか?
北帝、関帝、洪聖、観音もあわせると私が知っているだけでも廟が8つも有るんです。
島の北側1/3の膨らんだ部分には、ゴミ処理場、貯水池、レーダー施設があるくらいで、人家はほとんど無く、岩ばかり、道も有るような無いような状態です。
住まいや商店等は島の残り2/3に集中しています。
地図を見てもらうと、いかにそこいら中に廟が有るか、お判りいただけると思います。
北帝廟は商店街を北に抜けたところに有ります。
廟の南は広場になっていて、子供達の格好の遊び場。
北帝廟の直ぐ北側にも天后廟がひとつ有ります。
春には御祭があって、文字通り島中が人で埋まるそうです。
私、この祭りは見たことが無いんです。
しかし、サラッとご紹介だけしとこうかなぁ・・。

広場には、竹で編んだ巨大な篭に饅頭(マントウ)をびっしりと取り付けた塔が作られます。
神への供え物というよりも、死者への供物という意味合いが強いように思います。
漁労が主な仕事ですから、海で亡くなった死者への慰霊でしょうか。
島最大のお祭りなので、島中の廟から神像がお客さんとして招かれて、広場にはそのためのテントも設けられるそうです。
午後からは、鉄筋を曲げて作った台に、歴史上の有名人や道教の神に扮した子供を乗せて大人が肩に担いで、700m程南の天后廟まで練り歩きます。
近年は肩に担がないで景色(ヘンシク)と呼ぶ山車の上に載るようですね。
この行列は天后廟でお終い。
神輿も天后廟まで行くのですが、こちらは天后廟から北帝廟まで、狭い商店街でスピードレースを展開しながら帰っていました。
ところがレースが加熱し負傷事故が頻発して、観光客が増えたことも有って、レースは禁止になってしまったそうです。
(ウチの近所のお祭りも、今はまだマイナーなので、獅子と一緒に観客皆んなが暗闇の中を右往左往走り回ってますが、段取りが判って無い観客が増えると、祭りの形態も変えざるを得ないんでしょうね。有名になるのも、良いのやら、悪いのやら?)

北帝廟には宋代の剣が飾って有ります。
ところで北帝ってのは一体何物?これが何と道教ではかなり上位の神さんなんですね。
北極星かいな?と思えばそんな生易しいもんや無い。
今の北極星がほぼ北に居座ったのはそんなに古いことではないらしい。
卑弥呼が見ていた星座と今我々が見ている星座とでは若干形が違ってたんですね。
もっと古い時代はもっと違ってたそうです。
道教に戻ると、まぁ神さんが多いこと、時代によって、流派?によっても順位のつけ方には諸説あるらしいんです。

一般的と思われるのは、
元始天尊、霊宝天尊(太上大道君)、道徳天尊(太上老君)が三清と呼ばれ同列最高位。
太上老君が時代によってはNo.1になったり、どんでん返えしを喰ったり、三清の中の上下はこれも諸説紛紛ですね。
その次に四御が続きます。
天道を総合的に司る神の玉皇大帝。
天地の経緯、日月星辰、四時気候を司る神が中央紫微北極大帝。
このお方が北帝やそうです。
ついでに後の二御は、
南北極と天、地、人、人間界の武器、武具を司る神が勾陳上宮天皇上帝。
陰陽の生育、万物の美、を司る神が后土皇地祇。
これで四御。
北極大帝と天皇上帝の役割が被ってるような気がするんですが、実はこれも諸説あって北帝の方が武術、剣術の神さんという説も有ります。

実は中国(台湾、香港)をウロウロしていて道教の廟の多さに圧倒されまして、道教が判れば面白そうやなぁ、と簡単に考えて友達に聞いたら「道教を判ろうと思ったら大変。私もよう判らん。」といわれてしもた。
そう言えば、日本の神道全般を判ろうとしたら、簡単には行かんのと同じですね。

とにかく道教ではトップクラスの偉い神さんです。
天后媽祖等の俗神とは格が違う。

勢いで、次は天后媽祖のゴタクでも書こうかな、

2003/12/05

喜愛香港-018 天后(媽祖)

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