maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

喜愛香港-007 旺角(モンコック)-1 

2003-11-22 12:41:32 | 虚々実々-喜愛香港

【旺角(モンコック)の位置】
彌敦道(ネーザン)に面した通りは大繁華街。
昔も今も1日中人の多い事。
まぁ大阪で言えばナンバやねぇ。
日中と宵の口は何の危ない事も問題も有りません。
最近はそうでもないんですが、1985年当時は、夜になると彌敦道(ネーザン)から西へでも東へでも離れる程、危険度が増してました。
23時以降は表通りへも行かない方が安全。

西側へは15分も歩けば海です。
(現在は以前の海岸線よりも1Km以上埋め立てられて、新空港へ行く高速が走って居るので、とても15分やそこいらでは海まで行けません。)
海と彌敦道の中間の通りで、南北に1ブロックだけの路地が麻薬売買のスポットでした。
その通りの2本東(彌敦道)よりに美味しい釜飯屋がありましてね。
お焦げのところが何とも香ばしくて美味いんですよ。
其処のをカミさんに食べさせてやろうと行ったんです。
残念ながら街そのものが近代的になってしまって、釜飯屋も今は無くなりました。

ついでやから、日本ではあんまり見られん光景をちょっとだけ見てみるか?と路地へ入ったら、道端に座り込んで目が飛んでしもてるのやら、歩道に完全に伸びてるのんやら薬中の展覧会。
中へ入り込むのは危なすぎるから、早々に出て来ました。
あの生臭いような薬の匂いは鼻につきますねぇ。
ちょっとはなれた道端でも、タバコを天に向けて喫うてるのがゴロゴロしてます。
タバコの先のほうの葉っぱを抜いて、ヘロインを仕込んで、又葉っぱを詰めて吸うんです。
私ちゃいまっせ!薬中の連中がね。
注射してる奴は居らんかったですなぁ。
そう言うのは道端ではせんのでしょうね。

当時、麻薬中毒者の収容所が、今は大住宅地になってる東海岸の方や、郊外に何箇所もありました。
旺角の近所の市街地にある麻薬中毒者の収容所などは、観光スポットになってたんですよ。
観光客がバスで乗り付けて、写真撮ったりしてましたね。
商魂逞しいというか、患者の人権なんか全く考えてなかったんですなぁ。
今でも香港の新聞で、毒品(麻薬、覚醒剤)の密売所摘発の記事が出てたら大概場所は旺角。
町の様子はかなり変わったのに何でやろ?伝統かなぁ?

この頃には西の海岸の油麻地寄りに台風避難所(戎克=ジャンク、の舟溜まり)があったんです。
夕方から宵の口は、舟の間を軽食を売る小舟がカンテキ(七輪)積んでウロチョロしてました。
小さなドンブリに入った麺が意外に美味かったですね。
陽のあるうちは、岸壁で子供が遊んでたり、屋台の食べ物屋が出てたりするんですが、夜が更けるとヒッソリしてしまいます。
ここへは海岸道路の下を潜る地下道を通って行くんです。
地下道の手前には、小さな船具屋の店が並んでて、昼間はなんと言うことの無い、油染みた、ごく普通の場末の街。

ところが夜になると船具店も閉まって真っ暗け。
ホンデ又、この地下道が気色悪いことこの上なし。
壁は卑猥な落書きやら、イヤラシイ系の怪しげなビラや共産系のアジテーションの張り紙で埋め尽くされてます。
地下道の薄暗い明かりの中で、所々に危なそうな兄ちゃんが2~3人ずつ固まって、何をするでもなく、たむろしてるんですよ。
「ジロジロみたらアカンで、目合わすなよ。」と前向いてトットと歩くんですけど、あの地下道は何回行っても好きになれんかったねぇ。

岸壁に出ると目の前のジャンク溜まりに、ひしめき合うようにジャンクが並んでますねん。
ほとんどの舟が帆柱に五星紅旗(中共の旗)をつけてるんです。
香港籍でも、中共にお金を払えば航行や漁労を認めてもらえるんです。
その中には香港籍に偽装した正真正銘の中共のジャンクも、真っ赤な偽物の国府(台湾)のも混じってるそうな。
岸壁の其処ここでは、どう考えても正規の貿易ではなさそうな商談が、トラックの傍らで進行しています。

端っこの方には如何にもいかがわしい屋台がポツポツと、それぞれに2~3人ずつのお姉さんらしい人影。
カミさんが「あそこで手招きしてるよ、知ってる人?」と言うから見たら、お姉さんを連れたこれがポン引きや無かったら、世界中にはポン引きは居らんと言うほど典型的なポン引き。
何を考えてるねん?カミさん連れてて、客になる訳がないやろ!
仲間と勘違いするほど、カミさん若い事無いで、兄ちゃん鳥目か?、イカン口が滑った・・。

ボチボチとホンマに危ない時間帯になってきたので釜飯屋へ。

2003/11/22

喜愛香港-008 旺角-2 

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