吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2010年1月26日〈エッセー〉016:〈津屋崎千軒〉のまちなみの特徴

2010-01-26 16:33:40 | エッセー
写真①:〈津屋崎千軒〉の家並みの路地から見える海
     =2010年1月26日、福津市天神町で撮影

・連載エッセー『一木一草』

第16回:2010.01.26 

路地から海が見えるまちなみ

 〈津屋崎千軒〉のまちなみの特徴について、「路地から海が見えるようになっていますね」と、津屋崎の外に住む人から教えられ、思わずうなずいたことがあります=写真①=。この特徴を指摘されたのは、福津市企画政策課が市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」の建設前に、センターの基本計画を検討したいと08年に開催したワークショップの折、アシスタント役をつとめた席で話された㈱醇建築まちづくり研究所(福岡市)所長の牧敦司さんです。

 〈津屋崎千軒〉で江戸後期から戦前までに建てられた125軒の家(九州大学大学院芸術工学研究院・田上研究室発行『津屋崎千軒のマチとイエ』)の造りで目立つ特徴は、敷地の奥行きの長さのほか、隣の家とのすき間・「スアイ」=写真②=や、中庭=写真③=、土間の設置などが挙げられます。これらの特徴は、博多の町家と似か寄った点もありますが、「スアイ」の「路地から海が見えるようになっている」点が大きく異なります。まさに「海に拓けた港町」・〈津屋崎千軒〉を象徴する特徴と言えるでしょう。

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写真②:隣の家とのすき間・「スアイ」。家の壁は隣家との延焼を防ぐため、トタン張りが多い。
     =福津市古小路で、2007年6月7日撮影


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写真③:床の間の奥側にある町家の坪庭
     =福津市天神町の「上田製菓」で、2009年4月21日撮影

 〈津屋崎千軒〉のまちなみは、江戸後期から明治初期にかけて完成したとみられています。「津屋崎漁港」東側の北の一区・北の二区は漁師町として、その東の新町区は漁師町から後に商人町として、天神町は職人町、その北の岡の二区と岡の三区は農民の町として発達。昭和42年に県道「渡(わたり)・津屋崎線」(海岸通り)が建設されて、海岸沿いに住宅が建ち、平成13年の「しおさい通り」建設でまちなみは二分されました。

 また、〈津屋崎千軒〉の建物の高さでは、1階建て、2階建ての低層住宅がほとんどで、海岸沿いに3階建て以上の建物があります。建物の建設年代別では、明治から昭和初期に建てられた古い住宅が「しおさい通り」より西側の〈千軒通り〉沿いに多く見られます。

 さて、“A Quaint Town”という〈古風な趣のある町〉を印象づけているのは、何でしょう? それは、「しおさい通り」より西側の〈千軒通り〉沿いに残る町家の古風な魅力に加え、「海が見える路地」があるまちなみの造りが、住んでいる人、訪れる人にも開放感を与えてくれているからではないでしょうか。

 “A Quaint Town Tsuyazaki-Senngen”(古風な趣のある町 〈津屋崎千軒〉)
という〈まちなみ散策地図『津屋崎千軒そうつこう』英語・日本語併記版〉表面に載せたキャッチコピーが、歴史的なまちなみの良さをアピールできる名フレーズに思えてきました。
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