学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

子ども中心でよいか

2009-05-25 | 教育
子ども中心主義とか児童中心主義という立場がある。

子どもの可能性を信じ,
子どもに内在する可能性を引き出すのが教育(education)だと考え,
子どもの主体性や自主性を出来る限り尊重しようとする立場である。

この考え方は,
子どもの純真さや無垢さを純粋に愛するわが国では
広く受け入れられている。

ところが,この考え方だけでは,
授業をうまく運営できないことは,
経験ある教師なら知っている。

なぜなら,学習指導要領にせよ,教育法規にせよ,
学校制度を規定しているすべてのものが,
大人の論理で考えられているからである。

大人が定めたゴールが厳然として存在しており,
子どもたちは「自主的」「主体的」に
そのゴールに到達することが求められているのである。

これは,
大人が期待する自主性・主体性以外は認められないということを
意味している。

よく学校の研究授業などで,
子どもたちが,教師の指図なく,
生き生きと自主的に学習に取り組んでいるのを
目にすることがある。

しかし,冷徹な見方をすれば,
それは,
子どもたちが大人の期待するように振舞うべきことを知っている,
あるいはそう仕向けられているからうまくいくのであり,
かなりの強制力が働いているとみるべきであろう。
そのような成功例をもって,
子どもの自主性や主体性を尊重すれば授業が成功すると
喧伝するのは片手落ちではないかと思うのである。

教育(education)とは,
子どもに内在する可能性を「引き出す」ことではなく,
子どもを,子どもの世界から,
別の世界(大人の世界)へと「引き出す」ことである。
少なくとも語源的にはそのように解釈されるべきであると思う。



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