ドキドキしながらスパルタスロンを見守っています(とはいえ、ルーマニアからですが。)今朝の7時(現地時刻、日本時間午後1時)にスタートしたこの大会、いまこちら夜の8時半過ぎ。アテネと時差はありません。サマータイム実施中で、日本との時差はマイナス6時間。
と言うのも、この大会に参加しているラン友が、来週、ルーマニアに来てくれることになっているから。スパルタスロン246キロと来月2日のルーマニアでのトレイルランの大会をはしごするのです!トランスヨーロッパ5000km近い距離の大会完走を目指す彼にとっては、こんなレースのはしごは練習の一環?
スパルタスロン大会、途中経過がこのサイトでわかります。
スパルタスロンは、ウルトラランナーの憧れ、約246kmを、制限時間36時間以内で走破します。今年は、スパルタスロンの起源となった伝令”フィディピデス(Pheidippides)”の生誕2500年記念大会。日本人参加枠は70名、それぞれ参加資格(下記注:参照)を満たしてのエントリー。
伝令”フィディピデス”の逸話は紀元前450年の古代ギリシャにさかのぼります。当時、かの地で勢力を争っていたのはアテネとスパルタ。マラトンの戦いでアケメネス朝ペルシア王国の遠征軍を迎え撃ち、劣勢に立っていたアテネ軍の司令官はスパルタの援軍を求め伝令を走らせることに。その命を受けたフィディピデスは走り続け、アテネを出た翌日にスパルタに到着したといいます。
この太古の記を実証したのが英国空軍中佐ジョン・フォーデンさん。ウルトラランナーでもあるこの中佐は、フィディピデスの辿ったであろうルートを探し出し、1982年にその最寄を走り36時間以内にスパルタのレオニダス王の銅像前に到着。翌1983年に第1回のスパルタスロン大会が開催され、参加は11ヶ国45人のランナー。
コースは、パルテノン神殿ふもとをスタートし、150キロ過ぎに1,200mのサンガスの岩山、約200キロで再び1,000mの山を越えてスパルタへ。スパルタ市中央のレオニダス王銅像の足に触れることがフィニッシュの証。気温は日中30℃以上~夜5℃まで下がるなかを走り続けるもの。いままでの完走率は30~40%。2009年大会は男女とも日本人が制覇。
注:日本人の大会参加資格
過去3年以内に100kmマラソンで10時間30分以内の完走又は、200km以上のマラソン大会での完走(タイムは問わず)が必要。またはスパルタスロン本大会完走経験、または本大会ネスタニ(Nestani/172km地点)に24時間30分以内に到達したことがあることが必要。
マラソンの起源は:
エウクレス(Eukles)なる兵士が完全武装のままマラトンの戦場からアテナイまで走り、「我ら勝てり」とエウアンゲリオン(良い知らせ)を告げて絶命したという(他の伝承では走者の名をフィリッピデス(Philippides)とするものもある)。これをもとに第1回オリンピックでは、アテナイ-マラトン間の走行競技が行われた。(Wikipediaより)
公式サイトはこちらから:
Spartathlon 2010 (24-25 September)
International Historic Ultramarathon Athens-Sparta 246km
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私は10キロで倒れそうになった素人以下ですが、とても興味が沸きました!
スパルタスロンなだけに大会参加資格もスパルタ(笑)ですね。
ブルガリアのソフィアにもマラソン大会があって、「ヨーロッパ各国のマラソンを完走する!」という目標のマイダーリン、いつかはブルガリアにも上陸予定、そしてわたしもブルガリアを走る!?!