今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

291 伊勢(三重県)・・・暑くともとにかく来たぞおかげさま

2010-08-15 23:09:19 | 岐阜・愛知・三重

それはもう、暑い日だった。鳥羽から朝熊山のドライブウエーを回って内宮に詣でる。私には4度目の伊勢になるが、初詣を除く3回はいつもよく晴れた暑い日に巡り合わせている。だから伊勢の記憶は「暑い!」に尽きる。梅雨明け直後の3連休というこの日は、これまでで最も暑かった。それでも「おかげ横町」は大変な人出で、日本人のお出かけ好きには圧倒される。かく言う私たち中学の同級生5人組も、雑踏形成に一役買っている。

自から遥々やって来ていながら、こんなことを言うのはおかしいけれど、みんなどうしてお伊勢参りをしたがるのだろう。伊勢神宮は確かに神社の中でも特別の存在であり、国の総氏神(天照大御神)を祀る皇大神宮(内宮)と、暮らしと稔りを司る豊受大御神が坐す豊受大神宮(外宮)なのだから、「一生に一度は拝んでおかねば」ということなのだろうか。そのあたりの感覚が、日本人のDNAにしっかりと刻み込まれているのだろう。

まず外宮に詣で、ついで内宮を目指す。これが正式の順路だそうだが、現代のおかげ参りはそんなことはどうでもいい。外宮では賽銭回収時刻だったらしく、神官のような装いの男性二人が、賽銭箱をひっくり返して大きな布に貨幣を集めている最中だった。これではあまり有り難みが湧かない。圧倒的に参拝客の多い内宮にしたところで、熱心に手を合わせている人は「とりあえず来ました」といった人々に肩を押され、落ち着けない。

神域の霊気に圧倒されてか、あるいは暑さに嫌気がさしてなのか、途切れることなく続く参拝の列の顔つきはおおむね硬い。それが再び宇治橋を渡って神域を離れると、「やれやれお勤めを果たした」といった安堵の表情へと一転する。そして「おはらい町通り」から「おかげ横町」に繰り出すころには、笑いやさんざめきが通りを埋める。このあたりの《お伊勢参りの構造》は、色町が消えただけで江戸時代と変わりないのではないか。

日本人のDNAに刷り込まれた習性をくすぐって、しっかりと商売に結びつけたのが「おかげ横町」なのだろう。時代劇のセットのようなしつらえの瓦と板塀の建物が並んでいると、それだけで日本人はある種の落ち着きを持てるものらしい。笑顔に、銀座や丸の内では見られない安らぎがある。「赤福」あたりの演出らしいが、「お伊勢さん」がある限り商売繁盛は間違いあるまい。

われわれもすっかりその色に染まって、夏限定の「赤福氷」に挑戦した。待つことしばし、宇治金時に似たかき氷がやって来た。何のことは無いとほお張ったのだが、程よい甘さの餡と餅の食感は絶妙で、行列ができる人気を納得した。探究心の強い連れの一人が店に確認したところ、赤福1個分の餡と2個分の餅が入っているのだそうだ。赤福は、この餡を開発した先祖に感謝し、賞味期限をごまかそうという不心得は繰り返さないことだ。

ただこの賑わいは「おはらい町」界隈に限られ、市内の通りは閑散として殺風景でさえある。伊勢に来るたびに感じるのは、道路の手当が行き届いていない、ということだ。舗装の痛みは進み、歩道の殺風景さは痛々しくもある。外宮の玄関・伊勢市駅前の再開発は難航しているのだろう、時間が止まっているような寂しさだ。
            
日本中から善男善女がやって来る伊勢は、これからも賑わいが薄れることは無いだろう。それを街全体に活かすのは、神頼みではなく人間の知恵だ。(2010.7.18-19)
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1 コメント

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感謝 (sarasoba12)
2010-08-23 09:35:28
初めまして、sarasoba12と言います。全てを読んだわけではありませんが、machi-1さんの紀行を読んで、感銘しています。教養と豊かな感性に裏付けられた文章に惹きつけられました。ありがとうございます。
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