今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

255 たつの(兵庫県)・・・城下には薄口醤油漂いて

2010-01-18 11:46:12 | 大阪・兵庫
播磨路のどこかに龍野という城下町があって、古い家並の中に静かな暮らしが守られている、ということは知っていた。しかしなかなか訪ねる機会がなかった。佐用町の帰りにようやく立ち寄れた龍野は、晩秋の落日が空を燃やしていた。「まるで《赤とんぼ》の色だな」と考えたのは《こじつけ》だが、その風景がよく似合う街だった。 城下の「静かな暮らし」は私の想像を超えていて、夕食を摂りたいと古い家並をうろうろしたのだが . . . 本文を読む
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254 佐用(兵庫県)・・・悲しみと疲れが滲む星の里

2010-01-18 11:42:27 | 大阪・兵庫
写真での判別は難しいかもしれないが、対岸を小学生が列を成して下校して行く。旗を手に誘導している教師も見える。こちら側に架かる橋が異様なのは、欄干が崩れているからだ。ここは兵庫県佐用町。この夏、水害によって甚大な被害を被った街だ。私が訪ねたのは川の氾濫から2ヶ月ほど経ったころ。街にはまだ被害の爪痕が生々しく残り、人々は深い疲れを滲ませていた。それからさらに2ヶ月、暮れに向けて、町の人たちの生活はど . . . 本文を読む
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242 大阪城(大阪府)・・・難波津の聖なるラインとぼとぼと

2009-10-18 07:55:56 | 大阪・兵庫
大阪に「大阪城」という《地名》があるとは知らなかった。城の北西「京橋口」から入城しようとして、「中央区大阪城3」という路上標識に気づいた。かつての富士山測候所だって「静岡県富士宮市剣ケ峰」という《住所》があったのだから、日本の国土はすべからく地番が付いているのだろう。従って城も例外でないわけで、調べたら「大阪城」という住所には郵便番号もあった。それにしても、余りに「そのまま」の町名ではないか。 . . . 本文を読む
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231 加古川(兵庫県)・・・乙女らの笑顔が街を弾ませて

2009-07-24 22:45:10 | 大阪・兵庫
子どもが元気な街は、歩いていて気持ちがいい。何より少子化が危惧される時代、賑やかな笑顔に出会うと「頼もしいなあ」と声をかけたくなる。加古川駅近くの寺家町商店街は、ちょうど高校生の下校時に当たっていた。シャッターの目立つ通りが元気を取り戻す時間帯で、女子高生がカメラにポーズをとってくれた。よく見ると視線は私の隣りの方向だが、とてもかわいく撮れたので、加古川代表としてここに掲載させていただく。 も . . . 本文を読む
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230 西脇(兵庫県)・・・へその地を踏みつつ思ふ宇宙の眼

2009-07-24 00:51:20 | 大阪・兵庫
地理的に「日本の真ん中」に位置することに何の意味があるのか、よくわからない。しかし「わが町こそ日本の《へそ》である」と主張する街はいくつもある。それぞれに何らかの根拠はあるらしいが、西脇市の「へそ宣言」は分かりいい。国土の北辺と南端の中央が北緯35度で、東と西のそれが東経135度。そのラインが交差する地点こそが「日本のへそ」だというのだ。そしてまさに、両ラインは西脇市の「そこ」でクロスするのであ . . . 本文を読む
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229 篠山(兵庫県)・・・残照が似合う街なり丹波路の

2009-07-22 21:52:03 | 大阪・兵庫
「篠山」は、普通に読めば「シノヤマ」であろう。ところがその頭に「丹波」が付くと、すらすらと「タンバササヤマ」と読めてしまう。人間の脳の、連想力の不思議である。その篠山の、篠山城跡を訪ねた。小さな丘の頂きで、古い石組みが残照を浴びていた。ひょっとしたら「ささやかな丘=ササヤマ」なのではないか、などと考えた。時が停止し、城下町がそのまま現代の暮らしに続いているような、何とも奇妙な印象の街だった。 . . . 本文を読む
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179 姫路(兵庫県)・・・白鷺が羽を休めて400年

2008-11-22 23:38:13 | 大阪・兵庫
天守閣なるものを見上げて、城とは「何と美しいものか」と初めて感動したのは松江城だった。あれから25年、城跡の近くに行く機会があると、決まって足はそちらに向くようになった。この1年だけでも萩城、明石城、広島城、佐賀城、唐津城、松本城、彦根城、島原城、熊本城、高遠城を歩き回った。数え上げると疲れを覚えるほどで呆れてしまう。しかしやはり国宝にして世界遺産の姫路城であろう。ようやく立ち寄る機会を得た。 . . . 本文を読む
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168 天保山(大阪府)・・・時代とはめぐるめぐるよ観覧車

2008-10-16 12:22:07 | 大阪・兵庫
抜けるような青空に誘惑されて、天保山(てんぽうざん)の巨大観覧車に乗り込んだ。大阪のベイエリアである。直径が100メートルあって、いちばん高いところは地上130メートル余なのだと、ゴンドラの中まで誇らしげなアナウンスが響いて来た。東に生駒、西に六甲を従えて、淀川が南下して来る眺望は確かに雄大だ。かつてはこの国の富と権力のほとんどを集中させた大地である。それが今や、何という「様」か。 湾の方向に . . . 本文を読む
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137 天王寺(大阪府)・・・王将も窮屈そうに化粧して

2008-06-13 19:20:16 | 大阪・兵庫
大阪の人々にとって、「天王寺」とはいかなる「場所」か。私の「大阪暮らし」は13ヶ月に過ぎなかったから、街に抱く大阪人の心情を理解するには不足だった。ただ「東京で言えば《上野》かな?」と想像した程度である。「訛り懐かし停車場」かどうかは知らないが、交通の拠点で公園があり、動物園があって美術館があり、そして露天暮らしが似合う、懐かしいけれども落ちつかない街。天王寺はそんな上野によく似ている。 私の . . . 本文を読む
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135 堺(大阪府)・・・ドライなりそうでなければ残れない

2008-06-06 21:38:59 | 大阪・兵庫
ここは日本史少年に、特別の思いを抱かせる街(のはず)であった。「自由都市」のことである。貿易と商工業の富で豪商たちが、封建暴力社会において「自治」を確保した。そんな街が日本にもあったということに、少年は胸ときめかせたのである。老年の入り口にさしかかったいま、その街角に立ち、彼は抱き続けてきた歴史の華やぎを追った。しかしもはやそれは幻でしかなく、元少年は肩を落として帰るしかなかった。 「堺」が摂 . . . 本文を読む
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134 住吉(大阪府)・・・反橋を渡れば社殿の船が行く

2008-05-30 13:59:17 | 大阪・兵庫
スミヨシという響きを耳にすると、磯の香の漂い来たるを覚え、海を思い浮かべる。わがDNAには、スミヨシ=スミノエ=ミナト=ウナバラ・・・が環となって連綿と続いているらしい。そしてその環は決まって「神」で結ばれる。全国津々浦々、湊のあるところ、常に住吉の神が鎮座しておられる。津も浦も、ミナトである。「津々浦々」とは「住み善し」のことか。こんなことに感懐を覚える私は、海の民の末裔なのかもしれない。 . . . 本文を読む
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106 神戸(兵庫県)・・・東海と西海つなぐターミナル

2007-12-04 08:52:35 | 大阪・兵庫
西国といえど晩秋の日没は早い。大時計が午後5時51分を指すJR神戸駅に降り立つと、駅前広場はすでに暮れていて、家路を急ぐ人々のシルエットが寒々と通り過ぎて行く。改めて駅舎を振り返る。シンプルながら重厚な建物が黒々とうずくまって、大きく駅名を掲げている。その文字列を見上げていたら、かつての社会科少年にこみ上げてくる感慨があった。「そうだった、ここが東海道本線の終着駅なのだ」 神戸は、いつも三宮駅 . . . 本文を読む
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105 元町(兵庫県)・・・自らのブランド力で復興だ

2007-12-02 22:57:07 | 大阪・兵庫
都市にはブランド力がある。それは「ふるさとの懐かしさ」といった個人的ブランドは抜きにして、「行ってみたい街」「住んでみたい街」となって一般化される人気ランキングのようなものだ。とすれば神戸は、最も高いブランド力を認められている街のひとつだろう。阪神淡路大震災は、その被害の甚大さが国民を茫然自失させたのだが、さらに「あの神戸という街」が崩れ落ちたというショックが、衝撃を増幅させたのである。 久し . . . 本文を読む
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104 明石(兵庫県)・・・子午線の街は暮れても時刻み

2007-12-01 10:10:02 | 大阪・兵庫
「明石」と聞いて「蛸だ鯛だ明石焼だ」と大騒ぎするほど、私は食いしん坊ではない。「明石」といえばやはり日本標準時・子午線の街であろう。というわけで駅を降りると、まずは東経135度のラインを探しに街に出た(はずだった)のだが、途中の市場街「魚の棚」で屋台のオバちゃんに篭絡され、タコのやわらか煮を頬張ることになってしまった。従って子午線にたどり着いたときには、晩秋の1日はすっかり暮れていた。 「子午 . . . 本文を読む
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