今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

378 沼津(静岡県)野良猫の闊歩が似合う沼の津は

2011-09-15 20:09:41 | 静岡・山梨
沼津港の一角に「港口」という公園があって、よく晴れた日中、松林の木陰で若者たちが猫と戯れていた。東京と湘南からやって来て、沼津で落ち合った兄弟なのだという。猫好きらしく、抱いたり撫でたり飽きもせず楽しんでいる。4人のうち一組は夫婦で、双子も一組いるというが、みんなよく似ている。父親を伊豆の温泉に案内する途中だとか。果報者の父親がいたもので、そんな旅行に伊豆はよく似合う。沼津はその玄関である。

もう少し正確に言うと、沼津は西伊豆の玄関である。東伊豆へは熱海から、中伊豆には三島から向かうことになる。観光地としての伊豆半島は、東京からの利便性の順だろうか、東から開発が進み、西伊豆は比較的最近まで、不便ではあるがそれだけ自然の風情がよく保たれている地域だった。それは「玄関」も同じことで、沼津の駅前はようやく再開発が進み、ずいぶん奇麗になった。

静岡県は、古くは遠江・駿河・伊豆と呼ばれた三つの国が合体した大県で、今は西・中・東部と区分される。その境は大井川と富士川で線引きされ、それぞれの中心都市は浜松、静岡、それにいささか曖昧になるが沼津である。だが沼津は伊豆国ではない。むしろ歴史を遡ってみれば「珠流河国の発祥の地」の名誉を与えられる土地なのだが、地勢上、東部の中心都市に収まっている。

街は時代の流れと無縁ではない。沼津には国衙が置かれ、城が築かれ、宿場が賑わい、鉄道が通り、港が開かれ、そして今の街になった。港の飲食店街が有名になったものだから、腹を減らした若者と、人怖じしない猫たちが集まって来る街になったけれど、元々は駿河湾の風光に千本松原と富士が似合う保養地でもあるのだ。だからご用邸が置かれ、牧水もしばし腰を据えたのだろう。

しかし沼津は県東部の中心都市として、いまひとつ活気がない。静岡や浜松が政令市として自立して行くのをただ眺めているだけである。いや沼津にも、隣接の三島や御殿場などとの合併の構想があって、かなりの協議を重ねたというのだが、結局は破談になった。中核となる沼津に求心力が欠けることと、長泉町など、小さいながらも財政力の豊かな自治体が多いかららしい。

だが街は、大きくなることではなく豊かになることこそが望ましい。豊かな街とは基本的なインフラが整備され、安心して医療サービスが受けられ、子供たちが安全に教育を受け、防災の備えが成されていることだ。その上で美味しい名物があり、美しい景観が備わっていれば申し分ない。沼津駅周辺は、東海道線の高架などこれからも整備が進められるようだ。どこまで豊かになるか。

入り組んだ地形と、地域ごとに気風が大きく異なるといわれる静岡県だが、その地域性について、こんな風に聞いたことがある。例えば「食うに窮した時、何をして生き延びようとするか」との問いがあったとする。遠江の強者は強盗に走る。駿河人は乞食に落ちる。そして伊豆の人間は詐欺(泥棒だったか?)を働く。いずれも酷い喩えだが、地元ではだいぶ流布している話らしい。

この喩えは、遠江の「やらまいか」精神、駿河の「お公家気質」を謂っているのだろうが、では東部・伊豆の喩えは何なのだろう。悪知恵も知恵の内だとして、智慧に長けているということを言いたいのか? 私はこの喩えを解釈できるほど、この界隈を歩いてはいない。もっと来てみたい面白みを感じる土地なのだが。(2011.9.6)

        

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