鴨が行く ver.BLOG

鴨と師匠(ベルツノガエル似)と志ん鳥のヲタク全開趣味まみれな日々

美しきハードSF

2012年03月10日 20時20分02秒 | ゲーム・コミック・SF
ふと思い立って、あの超有名なSF/映画の続編を読んでおります。このあと2冊続きます。他のSFも挟みつつ、今年のうちにラストまで読んでみようかと。まずはこちらー。

2010年宇宙の旅/アーサー・C・クラーク、伊藤典夫訳(ハヤカワ文庫SF)

もはや説明の要すらない大傑作「2001年宇宙の旅」の9年後を舞台とした続編。設定上は、小説版ではなく映画版の続編となっており、遺棄されたディスカバリー号が漂流しているのは木星衛星群の宙域です(この辺りのいきさつは、クラーク自身による「作者のノート」に詳しいです)。

宇宙飛行士4人が死亡、1人が行方不明となったディスカバリー号事件から9年後、木星衛星群探検のきっかけを作ったヘイウッド・フロイド博士は、ディスカバリー号回収のためにHAL9000の生みの親・チャンドラ博士と共にロシアの宇宙船に乗って木星へと旅立つ。9年前と何ら変わらぬ政治的な駆け引きに翻弄されつつも、ボーマン船長が残した謎のメッセージを頼りに木星周辺での探索を続けるフロイド博士が観た事件の真相、そして更なるモノリスの企みとは?

この作品も映画になってますが、鴨は未見です。というわけで、純粋に小説版の感想であることをまずはあらかじめ。一部ネタバレ注意!

前作の小説版は、いわゆる「ハードSF」としてきっちりと作り込まれた物語的ダイナミズムが最大限の効果を発揮した傑作だと、鴨は思っています。映画を観る限りだと何が何だかよくわからないんですけどねヽ( ´ー`)ノ小説版では、TMA-1の存在理由もHAL9000が発狂する過程もボーマン船長が変容したものが「何か」もSFとして全てちゃんと説明されており、SFとしての(実にクラークらしい)オチも付いています。
続編である「2010年」も、前作のテイストを引き継ぎ、「ハードSF」として隙のない、きっちりと美しく構成された物語世界が展開されています。まぁ、モノリスによる変容後のボーマン船長(であったもの)が登場したり、コンピュータであるHAL9000の「意識」がディスカバリー号消滅後にも精神体として生き残ったり、多分にオカルティックかつスピリチュアルな描写もそこかしこに見られるのですが、クラークのスゴいところはそれがハードSF世界の一風景として何ら違和感なく存在しうるというところ。ボーマン船長(であったもの)がクルーにとある警告を発して以降の物語の緊迫感は、タダものではないです。最終的に警告を受け入れたクルーが危機一髪で木星圏を脱出する描写に、鴨は痺れましたね。これぞハードSF!

この「ハードSFっぽさ」に加えて、いかにもこの作品がクラークらしいポイント。それは、地球人類の未来に対するニュートラルな視点です。
物語の途中で、どこかで読んだような気がする一章が挿入されます。実はこれ、前作「2001年宇宙の旅」と全く同じテキストによる、モノリスの存在理由を説明する一章なのです。地球人類のちっぽけな自尊心など全く意に介さない、巨大な存在の提示。そして、物語の最後の最後に登場する、モノリスによって選ばれた「地球人類以外の知性」。地球人類の存在意義を徹底して客観的に見つめる、「幼年期の終わり」にも通じるクラークの冷徹な視線を感じます。
そんな壮大なヴィジョンを提示しつつも、その一方でフロイド博士の離婚騒動とか宇宙船クルー内の恋愛模様とか、ものすごく卑近な地球人類ならではの人間模様も描いてみせたりして、あぁもぅこれだからクラークやめられないのよヽ( ´ー`)ノ
面白いです!
あと2作も今年中に読むつもりです!
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