ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

ビートルズを迎え撃ったキスマーク

2006-11-15 01:50:34 | 60~70年代音楽


 プレスリーの”ハートブレイク・ホテル”の日本語版を歌っていたのは誰だったかなあ?まったく記憶が無いのだけれど。
 小学生の頃、悪ガキ仲間と学校の帰りに声を合わせて歌っていたような場面を覚えている。なんとなく歌ってはいけない歌のような雰囲気があり、それがタブーを犯す楽しみみたいに感じられていた。ロックンロールだなあ。

 日本語の歌詞はこうだ。

 ”恋に破れた 若者たちで いつでも混んでる ハートブレイク・ホテル”

 まあ、傷心の若者たちが集まる宿、なんてのは、そりゃあってもおかしくないけど、歌が先に進むと、こんな一節がある。

 ”ホテルの人も 黒い背広で 涙ぼしてる”

 客がセンチメンタルになるのはともかく、従業員はきっちり仕事せんかい。

 まあ、漣健二調というんでしょうか、50年代ロックンロール期の日本語訳詞の世界もあなどれません。

 ”買いたいときは 金出しゃ買える プールの付いた家でも買える
  それでも買えない 真心だけは キャント・バイ・ミーラ~ブ”

 ってのが東京ビートルズが歌っていたビートルズ曲の訳詩だったっけ?残念なことに私は、テレビなどで”動いている東京ビートルズ”をみていない。同趣向の、”国産ビートルズ”連中も、また。

 東京ビートルズってのはビートルズ旋風が世界を席巻した60年代初めに日本で生まれた、まがい物のビートルズ・コピーバンドならぬコピー・コーラスグループだった。コーラスグループってのはつまり、楽器の演奏が出来ないメンバーもいたそうで。ほぼ歌だけのグループだったみたいだ。まあ、当時の水準としてはそんなものだったんだろうな。

 その種のグループは当時、いくつも生まれていたようだ。そんな連中に関する記事なら私は、まだ音楽ファンでもなんでもないプラモデル好きの小学生時代に、家に転がっていた芸能週刊誌で見ている。
 それは、日本版ビートルズの座を奪い合う2つのグループ、なんて提灯持ち記事であって、さあ、どちらが日本のビートルズとしてファン心をとらえるでしょう、そんな趣向で話は進行していた。2つのグループの名?もちろん覚えていない。

 でも、そこで紹介されている二つのグループは、音楽にさほど興味のないガキの私が見てもなんだか妙で、なにしろビートルズみたいに楽器を持っていない。二組とものちのフォーリーブスみたいな”踊りの達者な4人の若者、将来はミュージカル出演が目標です”なんて雰囲気の連中だったのだ。
 
 まるで分かっていなかったんだろうな。旧来のショービジネスの常識なんかぶっ飛ばしてやって来た、それゆえに人気を博していたビートルズなのに、当時の日本の芸能プロダクションはその辺を理解できなくて、旧来の日本のショービジネスの匂い丸出しの”歌えて踊れる明るい若者たち”を引っ張り出してきて、振り付けをしたダンスを踊りながら日本語訳詞のビートルズの歌を歌えば、それで十分、世界を覆ったビートルズ人気にあやかれると信じていた。死ぬほどピント外れな発想だったのに。

 その記事の中でひときわ印象に残ったのが、どちらのグループだったか忘れたが、”首筋に貼ったビニールテープ製のキスマーク”をセールスポイントとしていた事だ。紹介記事は、そんな彼らを「たまらなくセクシーなキスマーク姿」とか持ち上げていた。
 ジャズダンスで鍛えた振り付けでクルリとターン、首筋のキスマークを客席に誇示しながら妖しげな流し目を送る。女の子はキャー!一発で彼らの虜だ。そんな計算でいたんじゃないの?いやあ、こんなマヌケ話、大好きだなあ私は。

 その後、海外から”本物のロックバンド”なども来日し、ロックの実例など目の当たりにした日本の若者たちは”まともなロックバンド”の道を突き進むこととなるのだが、私はどうしてもこの黎明期の日本ロックをあざ笑うように歴史の闇の向こうに身を潜めているビニール製のキスマークが気になってならないのだ。いやあ、恥ずかしいなあ、嬉しいなあ、まったく。





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