Go The Distance!

地球が、自然が、人が、好き
走ること(Swim, Bike, Run)が大好き
ウッドキャビンの部屋にようこそ!

願い

2011-03-30 22:31:40 | ラン
1995年10月21日

神戸にいた

同年の阪神淡路大震災のボランティアに1月下旬から活動
大学側は期限を設けない公欠としてくれた

4月、ボランティアは去っていった
当面の人的支援、物的支援のメドがつき
地元の方々に活動を引き継ぎも終わった

私たちボランティアは一時的な存在
必要な時に必要な手をさしのべ、自分たちで立ち上がる力がついたとき…
後は遠くで見守る

4月からは
私も大学に戻り
普通の大学生としての日常に戻った

それでも、
避難所にいた地元の学生、子どもたち、おじさん、おばさんとは
手紙や電話で近況を伝えあっていた

1995年10月
あれから9ヶ月
再び神戸に向かった

避難所で仲良くなった子どもたち一家は、
学校の近くの公園の仮設住宅で暮らしていた

久しぶりの再開にお互いに笑顔に
サッカーをくたくたになるまでした

当時の地元ボランティア仲間にも会ってきた

彼らの言葉が忘れられない

「(当時)たくさんのボランティアの方が来てくれた。全国からの救援物資が次々に届けられた。嬉しかった」

「嬉しかったけど…してもらっている…というか、…してあげている…感じは嫌だった」

「被災したけど、かわいそうだと思われたくなかった」

「ここ(神戸)が好きだから、ここにいた。(ここから)離れたくない。だから、自分たちで何とかしなくちゃいけないと思った」

自然の猛威の前に、自分とのつながり…肉親、財産、仕事、友達、生活…全てを奪われてしまっても
同情や哀れみだけでは、根本的な解決にはならない

私たちはつながっている

私たちは同じ星の上で、同じ空気を吸い、同じように太陽を浴び、同じように風を感じる

近くに自分のつながりを感じることができる

依存するわけでも、拒絶するわけもない

ただそこに大切な人が居てくれて
話を聞いてもらいたい時に
嬉しくなって相づちをうってもらいたい時に
自分とつながりのある人が側にいてくれること

つながっている

かかわっている

そんな些細なことが、実は一番大切なことなのかもしれない

怖いのは、
無関心でいること
いつのまにか忘れ去られていくこと
誰も気にとめなくなってしまうこと

神戸の人たちが
ここで生きている
精一杯生きている

そのことを知っておいてもらいたい

そんな思いがあったのかもしれません


2011年3月27日 ハーフマラソンレース当日

天気晴れ、気温4度、湿度33%、風速3メートル

走るには丁度良い季候だ

4時半に起床
5時朝食(おにぎり2個、味噌汁、フルーツ、ヨーグルト)

朝風呂で体を温めバランスボールで軽く有酸素運動
ドライランドで、肩や股関節をほぐし、腹筋とチューブトレで軽くインナーマッスルを刺激

その後、30分ほどジョグしてアップ終了

スタート前30分となったため、会場へ移動(ジョグで10分ぐらい)

地元のマイナーな大会かと思ったら、とんでもない
かの地でも有名な国際会議場前(スタート地点)にはものすごい人!

道幅も四車線以上ある道路なので、ハーフの参加者全員一斉にスタートして大丈夫だと思うが
それでも先頭に並んでおかないと、スタート前に大幅なタイムロスになりそうだ

午前9時に10キロスタートだったのですが、
9時10分を過ぎても、あいからずMCの方が終わらないスピーチでダラダラと時間が過ぎる
9時15分頃10キロスタート

ハーフの選手がスタートラインから列を作って並ぶ
今までの記録を見る限り、ハイペースが予想されるので、
先頭集団にはじめからついていかないと、追いつくのは難しいと判断

先頭の位置でスタートを待つ
私の服装は、帽子にサングラス、スキンズのトライアスロンウェアに、パワースリーブ(腕)、下は、ワコールのCW-X、靴下はXソックス、薄手のグローブに
足下はアシックスのオーダーシューズ
(ちなみに右手はガーミン450CX、左手はスントT6D)

その上に、YOME特製の「HOPE JAPAN」シャツ
これは想像以上に目立つ

スタートで待っている時から、
いろいろな人に握手を求められる

がんばれ、日本

ということか

そうこうしているうちに
MCの方がカウントダウンを始める

ハーフのスタートだ!

かなりのハイペースになるのは覚悟していたし、ついていくつもりだったが、
予想以上に速かった

スタートしてすぐ先頭集団が10人ほどになるが
どんどんちぎれて、4人にまで絞られた(私を入れて5人)

一瞬思う

こんなペースは無理だから止めとけ!

確かに冷静に考えれば、
オーバーペースを通り越して
このままのペースで走ったら完走だって怪しい

でも
今日は、賢く走る気はない

無茶だろうが無謀だろうが
今日は全力でいく

精一杯走る

それだけだ

ところが心とは裏腹に
どんなに飛ばしても、足をまわしても先頭集団の背中が遠くなっていく
悔しい

3キロを過ぎあたりでついていけなくなる
そこまでのペースが1キロ2分30~45秒
体がついてこない…

ここからは前後かなり間が開いて、
当分一人旅が続いた

途中
海外沿いの公園内1周で、細い道幅一杯に先行していた10キログループ(途中まで同じコースを走る)が
スローペースで走っているのが見えた

「すいませ~ん!!!」

と叫んで道を開けてもらうが、苦しくてそうそう声も続くかない

人混みを避けつつ1キロ3分ペースはそうとうキツイ

橋を渡り終えると、10キロ組とも分かれた
ここからはハーフコースのみ


橋を渡り終えところ。右手の集団は10キロ組。この段階で5番手。

いつものランニングコースの海岸沿いに出てきた

ここからしばらく直線道路

先頭に走る人(4番手)が見えた

ロックオン!

俄然やる気が出てくる

心臓はとっくに張り裂けそうだ

苦しくて、苦しくて…
でも、不思議なことに笑顔になってくる

この魂のぶつかり合いがたまらなく好きだ



それにYOME特製の『HOPE JAPAN』シャツの効果?で
沿道の方からの応援も絶えない

あまりの苦しさに再びもう一人の自分が聞いてくる

何のために走る?

誰のため?

自分のため?

今までは
大切な人を失った悲しみ、
タイムの更新、
自分とかかわりのある誰かのため…

それが走る理由だった

でも、今は違う

理由があるから走るのではない

走ることが自分そのもの

走りは祈り

これは自分に出来る願いであり、祈りなんだ

そして、
こんなにも苦しい走りが大好きだ

もう迷わない、走れ!走れ!走れ!


同僚のご家族が応援に来てくれた。(お手製の旗を持参で)地元のレースとはいえ職場の人が応援に来てくれたのは初めてだ。感謝!

ラスト3キロで5番手を捕まえた

ハムストリングあたりを気にして減速している
軽く背中を叩いてかわす

5番手が不安定なリズムで追いついてきた
いつもまにか私の後ろから一人ついてきていた



3人ともそれぞれのリズムがあるのだが、他の二人は無駄にペースを上げては落ちての繰り返しだった

風よけに後ろにつくつもりは毛頭なかったので、二人は気にせず自分のライン取りで走る

残り2キロ
ここが勝負所だ

一瞬、2人の集中力が切れたその隙に、一気にスパートする

口から心臓が飛び出しそうだ

自分の心臓の鼓動がうるさい

横から一人飛び出した

すぐに追うが、なかなか距離が縮まらない

相手の腕振りも不規則だ、どうやらかなり疲れているようだ
相手も同じだ

行け!

スパートする
まわりが見えない
ゴールだけがやけにくっきり見える



結局、抜くことは出来ず
7位



記録は1時間16分05秒(ゴールしてしばらくしてから止めたので実際の時間はわからない)
自己ベスト更新

トロフィーと、賞品券(5万W)ゲット


YOMEも制限時間会で完走
お疲れ!


こんなに苦しいマラソンは…自分が覚えているかぎり、なかったかな



宣言通り、全力だ
もう余力は残ってない

走ることは祈り
走ることは願い

日本で今も闘っている皆さん

一人ではありません
海を越え、いつでも見守っています
私たちはつながっている

この思い、日本にも届いただろうか

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