ユジノサハリンスクのホテルの前の遊園地入口、サハリン州の地図の書かれた看板の前で。
7月30日、成田空港からソウルのインチョン空港へ着いたのは夜9時半。乗り換えのため、この日はインチョン空港の中のホテルで一泊。
韓国には入国しない。
一人旅の多い私にとって、今回は珍しいグループ旅行。
成田からインチョンへ向かったのは私と、友人の国立市在住の石黒悦子さん。
関西空港からインチョンに向かったのは、神戸在住の米谷さん、栗西さん、そして栗西さんの友人、中尾さん。インチョンのホテルで5人が顔を合わせる。
そして次の日は、一緒に日本の宗谷岬とわずか42kmしか離れていないという、日本と近くて結び付きの深い、ロシアのサハリンに行くのだ~
今回の旅も、私はアコーディオンと一緒。しっかり梱包して、成田空港で預ける。実はその時から、なんとなく胸騒ぎが・・・後にパニックが待ってるという、一種の虫の知らせか・・・
とにかくインチョンから3時間のフライトでユジノサハリンスクへ。
着いたら数人のロシア人から握手されたり、
Здравствуйте!(こんにちは!)
と歓迎され、その中に、今回の旅で大変お世話になったあのユジノサハリンスク名誉市民の宮西豊さんがいた。
出会いのきっかけを簡単に説明すると、米谷さんがある日神戸新聞を読んでいると、宮西さんを紹介した記事が載っていた。宮西さんは札幌出身、異国の地ロシアで25年、ユジノサハリンスクで日本レストラン「ふる里」を経営。桜の木をガガーリン公園に寄贈されたことなど、サハリンへの多大な貢献ぶりが記事にされていた。でも、今年いっぱいでサハリンを離れ、帰国すると。
そうか、サハリンスク最後の年になるんだな、よし、宮西さんという人に会いに行こう!
こうと決めたら行動は早いのが米谷さん。
有志を募り、5人でいくことに。私にもお声がかかり、ロシア、と聞くともちろん「行きたい!!」
しかし後で聞いてみると、宮西さんが今年いっぱいで帰国というのは誤報。
「私はサハリンを離れません」
そう、もう、サハリンになくてはならない人なのです。
さて、偶然にも、米谷さんと宮西さんはロータリークラブのメンバーでした。
なので、米谷さんがサハリンスク支部の会合に参加されることになり、私たちも非メンバーでありながらご一緒させていただくことに。
そして、私がアコーディオンを会合のあとの歓迎パーティーで弾くという段取り。実は宮西さんは、以前北海道放送局におられて、実はアコーディオン奏者で作曲家でもあります。
さて、ホテルに着いて、すぐ、楽器のケースを開けてみて
ガ~~ン・゜・(ノД`)・゜・
私が日本から苦労して持ってきたアコーディオン・・・
なんと・・・・
ベースのコード部分が全部引っ込んでる!蛇腹を開けたらブワ~~ッと音がする!
ぶっ壊れてるやんか!
あ~~やられた!アコーディオンは振動が一番いけないのです。
飛行機を乗り換えたので、嫌な予感はしてた、楽器のケースにはくるまがついているのだけれど、乱暴に転がして振動を与えたのだろうか。
一応楽器を分解してみたけど私には手のつけようがない。
それで、宮西さんにすぐ連絡。宮西さんの楽器をお借りすることになりホントに感謝、一件落着となりました~~
それで、会合の時の演奏がこれ↓
顔は笑ってるけどやっぱりちょっと泣きたかった(゜д゜)せっかく持ってきたのに~
でも、黒い瞳、カリンカ~百万本のバラ~二つのギター、リンゴ追分+八木節。
ロシアと日本の曲を弾きました。
ロシアの人たちが大きな拍手をしてくれて、あとで声をかけてくれてホント嬉しかった。よかったです。
メンバーの中に、お医者さんをしながらアコも弾くという方がおられて、一緒に弾きました。
それに合わせて歌ったり踊ったり、ロシア人は歌が好き、ダンスが好き!陽気!
最後に記念写真を撮りました。
思えば波乱万丈の幕開け。
でも終わってみれば楽しいひと時を過ごせて、しんどかったという思いはない。
和気藹々と会話が弾み、たくさんの人から名刺をもらい、FBの友達になった人もいる。
むしろ、ロシアの人たちとの交流で心が和み、今回の旅は楽しいぞ~面白くなりそう!という予感がありました。
では次回のブログ、お楽しみに(^^)