先週17日(土)に「元同僚のライブ」に出演して、一週間。
YouTube「アコーディオンチャンネル」にその時の様子をアップすると、懐かしい先生仲間から「YouTube見たよ~」と電話があり、退職後いきいきしている昔の仲間の様子に大いに刺激をもらいました。
私は大学卒業後、公立小学校音楽専科教員として、12年間勤めました。
もう退職して30年近くなります。
教員時代、毎朝7時半に家を出て、午前中から子供たちに音楽の授業、その後は会議があったり研修があったり、出張があったり、音楽会、運動会、時には修学旅行など泊りがけの勤務も。
その間、実にたくさんの子供たち、そして先生方と関わりました。
その中の一人、特に思い出深い先生仲間は、先日の「元同僚のライブ」に出演した時にトーク内でよく話題に出た「森本さん」です。
森本さんは私や、「元同僚のライブ」主役の高橋さんと同じ大島小学校の先生です。
高橋さんとよく一緒に人気グループ「アリス」さながら、何か行事があるたびに歌とギター演奏を披露していましたが、もうプロ顔負け!懐かしい曲を息の合ったハーモニーでいつも楽しませてくれていました。
ホームルームの時間は教室から先生のギターに合わせて子供たちの歌声が聞こえていたものです。
森本さんは、私が退職してアコーディオンの活動を始めたあとも私のライブに来てくれることが多く、特に私がアコーディオンとバイオリンのユニット・TENGOで活動していた時は、高橋さんやご家族と一緒に熱心に応援してくれました。
2004年でしたが、TENGOが芦屋のルナホールでコンサートした時は、私の教員時代の先生仲間に声をかけて、コンサート後に会場近辺で打ち上げ会をしてくれました。たくさん集まってくれた先生たちと懐かしい思い出話をしました。
会の終了後みんなと別れて、私が帰る際、森本さんは奥さん(奥さんも音楽専科の先生)と一緒に新大阪まで見送りに来てくれました。その時、電車の中で森本さんが冗談ばかり言って笑いが絶えないので、私が奥さんに「毎日森本さんと一緒にいてて退屈しないでしょう」と言ったとき、ご夫婦の微笑ましい表情が忘れられません。
その時に森本さんとお会いしたのが最後になりました。
次の年、私はTENGO解散。事務所も辞めてフリーになり、少し不安定で忍耐の年が続きました。
そんな中、いきなり届いた高橋さんからの葉書が森本さんの急逝のお知らせでした。
闘病されていたことも知らず、何の感謝の気持ちも伝えることもなく森本さんが旅立たれてしまったことに茫然としました。
そして、その後は、私もようやくソロ活動が再開されましたが、森本さんを失ってしまった後、みなさんどうされているだろうか、と案ずる気持ちが複雑で何も出来ずにいることに歯がゆい思いでした。
しかし、あるときをきっかけに、高橋さんがご夫婦で、そして森本さんの奥さんと三人で、私の関西のコンサートに聴きに来てくれたのです。
森本さん亡き後、お子さん達を立派に育て上げて、さわやかな笑顔を見せてくれた奥さん。
以前のように明るく豪快な高橋さんと、いつも一緒に応援してくれる高橋さんの奥さん。
それからは必ず三人で応援に来てくれるその向こうに、あの森本さんが一緒にいる姿を感じていました。
先日の「元同僚のライブ」も、遠くから、また冗談で突っ込み入れながら私達を見てくれていたでしょう。
人にはそれぞれの歴史がありますが、今アコ―ディオニストとしての私を大きく支えてくれているのは、教員時代の12年間と、その時の人との出会いです。
今改めて、人生って、すべては人との出会いで成り立っているのだ、という確かな気持ちを起こさせてくれたのでした。
そして、教員時代たった12年間しかいなかった私を、忘れずにいてくれている人達の、末永い幸せを願わずにいれない気持ちです。