かなたんの更年期を楽しむブログ♪

ただいま 更年期真っ最中のアラフィフ女デス
自分のこだわり・思うコトなど
独断と偏見で言いたい放題綴ってマス 

瓦屋根のお宅は気を付けて

2019年10月26日 16時23分43秒 | 日々の出来事

一昨日、 朝の9時半ころ

我が家にインターホンが鳴りました

ワタシは仕事中でしたが、買い物に出る寸前の父が出ると

「この近所で屋根の工事をしていた者ですが

  お宅の裏側の屋根瓦がずれているのが見えたので」

と、業者さん3人組が門の前に立っていました

「明日は大雨の予報ですし 心配ですから

 よろしかったら 上らせてください」と。

先月と今月の2回 とんでもない台風がやってきて 

気なってはいたので やっぱりずれたか・・?

と、ちょっと思った父

我が家は道路側に面した戸建てですので

南側の屋根の状態は見えるのですが 

北側の屋根の状態は見えません

「北側の瓦って言っても どこから見えたんだ

 どんなふうになってたんだ」と、詳しく尋ねる父に

「この少し裏の方のお宅です。そこからお宅の屋根の瓦が

一直線に見えない箇所があったので ずれてると思います」

工事していたお宅も台風で屋根の補修を頼まれてやっていたんですよ

この前の台風は すごかったですからね

というような話に 父が

「瓦屋根がずれてるって言っても 直してもらうのには

  いくらかかかるだろう。いくらで直してくれるっていうんだ」

と、詰め寄ると

「いえいえ、2,3分で済みますので お金なんていりません

「え、善意でやってくれるのか?」

と聞くと

「はい。明日は雨ですから 雨漏りしては大変でしょう」

「やってもらって 無料というわけにはいかないだろう!

 いくらなりとも金は かかるはずだ」

と、さらに言うと

「いえ、すぐに終わりますから」

との返答。

絶対に「無料」という念押しを済ませ 父は

「じゃあ上って見てくれ」とお願いすることにしました

業者さんが梯子を用意する間に 

たまたま午後から出勤だった息子が2階で寝ていたので

「一緒に屋根に上がって 見てきてくれや」と

息子を起こしに行きました

息子が着替えに時間がかかったので 業者さんは

息子が来た時には もう屋根に上がっていました。

息子が屋根に手をかける所まで上ると霧雨が降ってきたので

素人が上がると危ないから、ということで

息子は上がらず そのまま下りました

84歳の父も屋根に上がるまでは さすがにしませんでしたが

屋根に頭をのせるくらいまで上ってきて

「写真撮ってください」と注文したので

業者さん達は

「おいくつですか・・・?(・・?」と

かなり驚いていたそうです

業者さん達は チャッチャと作業を終わらすと

降りて来て

「2枚ほどずれてました」

と、スマホらしきもので撮った瓦がずれた画像と 

元通りになった画像を見せてくれたので

父は 息子のスマホに この画像を撮るように命じました

父は心から感謝の意を述べ

名刺をくれとお願いし 

今どき、こんな親切な若者がいるんか・・と

この日本も まだまだ捨てたモンじゃないな・・と

珍しく感動モードに突入しました

ワタシの帰宅を待ち構えて

ワタシが帰ってくると 嬉しそうに長々と語りました

「名刺ももらったし、暮れにでも

       お酒でも送ろうかと思う」

と、とにかく この親切な業者さんをベタ褒めしてまして

ワタシも瓦の事は とても気になっていたので 

「よかったね。 ついてたね~

 今度何かあったら ここに頼むといいね

  名刺は無くさないようにしないとね」

  と、2人で安堵しました

さて、そこから2日ほど経ちますと

あれだけベタ褒めしていた父が

「あの業者・・どこで工事して うちの屋根が見えたんだ?」

「うちに来たのが9時半だぞ・・ こんな時間にひと仕事終わるか?」

「うちの瓦は かなり重いから近所の瓦が先に飛ばないとおかしい」

「近所の屋根をずっと見てきたけど どこも瓦 何ともないぞ」

「うちの瓦だけ ずれるなんて おかしい

「でも写真撮ってくれたしねぇ・・ 

  しかも無料だったしねぇ・・」

「そこなんだ! いまどき無料で直すなんて 

 やっぱりおかしい」

「あとになって あいつらのハナシを思い出すと 

 何かがひっかかる しかも直してくれた後 

 すっとんで帰ってたぞ」

でもお金も請求せず帰って行ったわけですから・・

疑うっていうのもヒトとして どうなの?

父はヒトを信じるってことを あまりしないヒトなので

珍しく感謝して ちょっとは仏さまに近づいたのかな

と思ったものの

やっぱり性格って直らないんだなぁ・・ 

などと辟易したワタクシ

とりあえず

父がもらった名刺をたよりに会社を調べることにしました

ホームページを見ると ステキな感じの不動産の株式会社。

社長のご挨拶には 顔写真つきで

夢を追いかけるために中卒でスポーツのプロを

目指して頑張ってきたが

今は会社を経営する人になったので高卒認定をとり

大学に通い経営の勉強をしている・・などなど

1本筋の通った苦労人のような 

真っ直ぐ且つ素直で正直な文面が 

つらつらと書かれておりました

あら・・素晴らしい方なのね

プロの選手だったんだ・・

一体 どこの大学で学んでいるんだろう

と、ちょっと興味が沸き起こり

社長の名前で再検索をかけてみました

すると 

違う社名(同じ業種)で

この社長と同じ名前の社長がヒットしまして

あら 同姓同名の同業者?しかも住所も近い・・

と、さらに検索していくと

「近所で工事をしていて お宅の屋根瓦がずれているのが

 見えました」と突然訪問し 

 高額修理を推し進める手口で業務停止3か月

!なんじゃ こりゃ!

この会社と うちの屋根に上った業者の会社の関連は?

社長は同一人物ですか? 

これ・・同姓同名なだけだったら とっても迷惑なハナシでは?

イヤイヤ 待て待て・・ 地域も近くて業種が同じで社長名が同じって

同一人物に間違いないでしょう!!

とにかく この2つの会社の関連を調べなければ・・

と、検索しつづけ やっと!! 社名変更履歴にたどり着きました・・

この会社 業務停止命令を受けたからか どうか分かりませんが

社名を変え 全く違う会社のフリ?して存続していたのです

2017に起業して2018には停止命令を受け、社名変更となり

ホームページも作り替え

(前のものは 

  そのまま さも まだ存続しているかのように見えます)

社名変更についても触れず ナニゴトもなかったかのように経営中・・

業務停止命令が下り 改心し 本当に善意で瓦を直してくれるような

会社に生まれ変わったの(。´・ω・)?

この会社を中傷する気は さらさらありませんが・・

なにしろ 我が家に来たヒトたちは

他の修理を勧めるでもなく

ホントに無料で帰って行ったので・・・

しかし!

もう一度、 今日になって疑念が沸いた父のハナシを

おさらいすると

うちの屋根が見える家って どこなのよ・・ 多分ないだろ・・

なぜなら うちの裏の家も その隣家も かなりデカいんですから!

朝の9時半に工事が終わって帰る修理屋って・・

(しかも この会社 横浜市外です)

色々考えると・・


いつもの手口で 瓦屋根のお家のインターホンを鳴らしてみた

ジジイが出てきた これはイケる!

と、思ったけれど 

意外にもボケてないどころか もと土木業をしていた

とんでもない博識をひけらかすような父から漂う

空恐ろしいオーラに

「これは 後々

 めんどくさいことになる家かもしれない・・」と

ピンとくる・・

しかも引くに引けないので 屋根に上って

わざと瓦をずらした後に戻す・・という自作自演をして

一目散にずらかった

思いたくないけど

これが真相・・・のような気がします

こうなっては

瓦の写真も 元にもどったものが 先に撮った写真では?

なんていう疑惑まで 持ち上がり

まさか ずらして帰ってったんじゃ・・

なんて余計な心配まで募る始末です・・・

瓦屋根のお家は 瓦が落ちるという不安が

いつでも付きまとうものですが

ホント―に ホント―に

気を付けましょう!

無料でも

突然来た業者を大事な屋根に

上らせては いけませんです

ハイ・・



 



 





堤防

2019年10月15日 07時29分40秒 | 家族のこと

台風19号は

東日本のあちこちを水浸しにして

去っていきました

ワタシの両親・そしてご先祖様は

遠い昔から、川の氾濫と密接な関係で

暮らしてきました

というのも日本一長い信濃川、

長野では千曲川と言いますが

この川のほとりにある村で生きてきたからで

しかも、ここが超氾濫ポイント

父は上京し、結婚後、横浜に居を構えた後も

長野が台風や大雨になれば

母と一緒に

「堤防持つかな」

「切れなければいいんだけどなぁ

など、常に心配していました

横浜の家は

高台にあり洪水の心配は全く無いので

「洪水の心配が無いのは

  本当にありがたい」

と、子供の頃から常々口にしておりました

堤防は切れるたびに

どんどん高くされ

今では

ワタシが子供の頃より

随分高く立派な姿に変貌しました

昔の面影が全くないほど見違えた

立派な堤防を今年の春

菜の花畑から眺めたワタシは

「これは もう洪水の心配は2度とないだろうなぁ」

と、しみじみ感じ入ったものでした

とはいうものの

昔から川の氾濫と共存して生きてきたワタシの親戚は

土曜日の昼間の動けるうちに 

こぞって親戚の家に避難してしまいました

今回は切れずにすみましたが

父はというと この堤防について

色々不満があるとのことで・・

側面には 

美しい桜の木が何本も植えられていて

堤防脇の桜を眺めながら

堤防を超えると

その先は一面の菜の花畑

という、春は全くもって

心踊るように美しい

本当に素晴らしさ満載の

その桜の木たちが

父は解せない❗️とおかんむりなのです

「なんだってまあ

 あんなところに桜の木なんか植えるんだ!!!」

堤防ときたら「桜」はお約束では(・・?)

桜のない堤防なんて

クリープを入れないコーヒーと同じじゃないの・・

と、かなり古いCMのキャッチフレーズを

持ち出しても分かる人がいるかどうか・・

(昭和生まれでございます故・・)

なんで桜が悪いのか❓

そもそも日本人は桜が好きなので

桜のある所に人は集まる

ということは、たくさんの人が

土を踏み固めて地盤を強くしてくれる

というメリットがあるそうで

景観もよくなるし

観光客も集うし 観光収益にも

つながるし

いいことづくめだと思うんですけど

父の言い分はこうです

桜を植えるとミミズやモグラが増える

それが堤防の中にたくさん穴を作る

堤防が決壊するときは

越水するから崩れるのではなく

堤防の中のわずかな穴が原因だ

わずかな穴に一気に水が流水することで

巨大な圧がかかり決壊につながる

難しいので ちょっと父の言い分と

違うかもしれませんが

川幅が狭い所の流れが速い原理と

似た感じ?

そんなこんなで

必ずしもモグラやミミズだけのせいでは

ありませんが

万に一つでも可能性があるものは

出来るだけ排除する

完璧主義の父ならではの言い分なわけでして

堤防の強度を考えた時に

そんなことまで考えるとは

さすが土木の仕事を40年やってきた人は

目のつけどころが宇宙人だぁ・・と

思いました

先週、遊川ドラマの「同期のサクラ」が

スタートしましたが

主人公のサクラは生まれ育った島に

橋がかかることを願いながら育ち

それが実現すると知り

自分もその事業に関わりたいという気持ちで

請け負う会社に入社しました

父は 子供の頃から堤防工事を

ずっと見ながら育ちましたが

その工事で

「ああしろ こうしろ」と

腕を組んで指図だけしている

「現場監督」に憧れ

現場監督になりたくて土木の道に進みました

とにかく現場監督になることだけが

夢だったようなので

絶対切れない堤防を作って この村を救いたい

とか、そういう方向へ気持ちが

向いたわけではなかったようで

就職した会社も建設業ではありませんでした・・( ̄◇ ̄;)

そんな彼に 桜を植えやがって〜

などと怒る資格はないんですけど

堤防が父の人生に大きな影響を

与えたことだけは間違いないのでした

父は、発達障害っぽい性格ですし

母は天才すぎる(奇人)父に疲れ果て

精神を病んでしまい

姉は、そんな家庭環境で育ったせいで

うつ病になり

もう一人の姉は よくわからない宗教に

ハマり会話が成立しなくなりました

考えてみたら

遊川さんが

ドラマの脚本作りに

好みそうな要素たっぷり?



 


お医者さん

2019年10月14日 08時57分22秒 | 日々の出来事

9月から 大雷雨に桂宮事故に台風15号、そして19号と

災害オンパレードな様相ですが

ワタクシ自身も9月の中旬頃から体調を崩し

51歳になってから体調の良い日が1日も無い!( ゚Д゚)

というかなり悲惨な日々を送っていました

病院ギライなので

体調には人一倍気をつけているのですが

今回は本当に参りました

のどちんこがまっかっかに腫れあがり

咳と淡で夜中も眠れず 

さすがのワタシも8日目に観念して近所の内科に行きました

「真っ赤だねぇ!」と先生もビックリし

レントゲンと細菌の検査をしてもらうと

両方とも異常なし・・

ということで

「申し訳ないけどお役に立てられません」と言われ

咳止めと淡きりの薬だけ処方してもらって帰ってきました

ちょっと待って・・・これ自力で治せってぇの・・(・・?

一週間苦しんでるんですけど・・・

しかも出してもらった薬が全然効かない!

だいたいこの先生、細菌は溶連菌感染症、

ウィルスはインフルエンザしか治せません!

といった感じで それ以外は自力で治せ

という徹底ぶり(・・?

溶連菌でもインフルでもなかったワタシは

咳が止まらず眠れない一夜の中で

「そうだ京都にいこう!」ならぬ

「そうだ!耳鼻咽喉科に行こう!」とひらめき

翌日、耳鼻咽喉科に行きました

診察台に座ると

「はいお口あけて 薬出すからのんで」

この間、わずか3秒でした( ゚Д゚)

かなり驚きましたが とりあえず

内科でもらったものより強めの咳止めと抗生剤、

そして喘息でもないのにホクナリンテープに

抗アレルギー剤まで処方され、飲むこと1週間・・・

薬が効いたのか分かりませんが

夜中に3,4回咳こんで起きる・・程度まで回復しました

そこで、もう一度受診し

「少しよくなりましたが まだ咳と淡が止まりません・・」

と訴えると

「はい、お口あけて はい だいぶ良くなってるから

 軽めの薬出しときます」

この間わずか4秒・・( ゚Д゚)

その薬を飲むこと さらに1週間 

夜は眠れるようになったものの 淡がからんでからんで死にそうです

咳が減った分、淡を出すのが苦しくて胸から上が筋肉痛で

起き上がるのもツラい状態に・・・

もう一度耳鼻咽喉科を受診すると

「はい、お口あけて、漢方薬出すから飲んで」

この間、2.5秒・・・( ゚Д゚)

病院の診察って こんなもんですか?

ゼロゼロズルズルと息するたびに胸の奥から

ざらついた気持ちの悪い感触が もーストレスでストレスで

体を動かすのもキツイし・・

3週間以上こんなことやっててホントにワタシ大丈夫なの(。´・ω・)?

何か重大な病なのでは・・?

と、そこでまたひらめいたのが

「そうだ!呼吸器科に行こう!」

三度目の正直で呼吸器内科を受診しました

そちらの先生はワタシのこれまでの経緯を詳しく聞いて下さり

胸の音を慎重にゆっくり確かめレントゲンを2枚撮影し

「異常ないですね」と言いながら 写真の説明も

ていねいにしてくれました

結局、原因は分からず、特に重病ではない。との診断でしたが

なんとなく満足して帰ってきました

そしてやっと・・

ほぼ1カ月経った今日、やっとなんとなく淡も減り初め

快方に向かったとの実感が出てきました

長かったです・・ホントに・・・

呼吸器科で先生に これまで処方された薬を示すと

「これは〇〇耳鼻科ですね」

と、ワタシが受診した耳鼻科名を当てたので驚いてしまいました

   (決して近くではありません)

「この先生は こういう薬の出し方をするから」

それを聞いて なんとなく納得しました

病院の先生て 出す薬が すごくワンパターンなんですよね・・

病院ごとに、だいたい処方するものが一緒

ワタシも51年の人生の中で いくら病院ギライといっても

いろんな病院にかかってきました

子供もいろんな病院につれていきました

確かに先生ごとに出す薬は いつも同じでした

それってどーなんでしょ・・



台風19号( ゚Д゚)

2019年10月13日 13時19分52秒 | 日々の出来事

台風一過のキレイな今日の明け方です

バイクを走らせ磯子の山に行ってきました(*'▽')

今朝はホントに穏やかで清々しい朝を迎えましたが

昨日はホントにコワかった・・・

先月に続いての大規模台風に 

いつも以上に 気合い充分に備えに頭をフル回転させる父は

とても84歳とは思えぬシャキシャキぶりでした

先月に続いてニュースを観て心配して電話をかけてきてくれた

父の実兄(長野県飯山在住)にも

「備えるだけは備えた。あとはもう運にまかせるだけだ!」と

意気揚々と語ってましたが

築30年に近い我が家は一度も塗装の直しをしたことがないので

案の定、東側の窓や一階のカベは雨水が染みておねしょのような

シミが出来てしまいました

住めるだけ住んで どうしようもなくなったら

建て直せ!その方が安上がり。という持論の持ち主なので

こんなシミ程度、へとも思っていないようですが

このようにボロボロになりつつあるこのお家を

残して逝かれても・・・

ワタシに建て直す経済力はありませぬ・・・( ゚Д゚)

台風は20時頃をピークに 

ものすごい雨風がうねりまくり

ちょっと窓を開けるだけで風圧で窓が割れそうな勢いでした

雨戸があって本当に良かった・・と心底思いましたよ~

さらに、突然、家が下から持ち上がって浮いたような

ズトン!とくる感覚を覚え

「ヒィ~!( ゚Д゚) 

家が浮き上がった!」

とおののくと なんと地震でした

こんな時に何て紛らわしいの?(/ω\)しくしく

しかも直下型!

オズの魔法使いの竜巻に吸い込まれる挿絵が

頭にパッと浮かびましたよ・・・ホントに・・

震源地の千葉の人たちも さぞビックリしたことでしょう

そうこうするうちに 今度は停電!

「ひゃー停電じゃー」とランタンの電源を入れると

パッと電気が回復

「よかったー」とホッとするも数分でまた停電・・・

我が家は数分で復旧したのでラッキーでしたが

今も、まだ停電中の地域があるようで

横浜もタイヘンな一夜でした・・・(+_+)

父は気圧計を持っているので 

テレビの中継よりも早く台風の進行具合を知ることが出来ます

21時ころになると

「気圧が上がってきたから もう大丈夫だ」

西の窓を開けると風向きが明らかに変わってきたので

「助かった・・・」と やっと胸を撫でおろしました

屋根が吹っ飛ばなくてホントによかったです

屋根といえば 台風の場合

屋根は飛行機の羽と同じ原理で吹っ飛ぶらしく

家の中の気圧が上がることで

風船が膨らむように押し上げてしまう?

などなど父が毎回難しい事を

ギャンギャン言ってきますが

つまり、家の中の圧を抜かないといけないそうで

風向きと反対側の窓を少し開けておくと 

少しは予防になるとか、ならないとか

物理は難しくてわかりませんが

とりあえず 今回も風向きを見て西側の風呂場の窓を

開けておいたら家の中で風が流れていくが分かりました

朝になって「よかったよかった」と胸を撫でおろした父が

「さて 田舎の兄貴に連絡するか」

と、電話をしますと つながらない(。´・ω・)?

「あれ?」

続いて妹と弟の所に電話しましたが こちらも不通

あらららら・・・

ネットで千曲川のライブカメラを観てみると

なんと!川の水が

すごいことになってました

父の村は全員避難中・・・

👇こちらが春の飯山 かなり高い堤防がそびえています

 

歴史的に何度も大洪水に見舞われてきた地域ですが

すばらしい堤防に生まれ変わって以降、決壊してません

結構な高さもあります

川までの距離もかなりもの 

👇この位置で 川まで約1/3くらい

👇で・・この道路(堤防の頂上)のすぐ下まで川水が満水状態・・

 とんでもなく広大な菜の花畑の地域が全部全部水で埋まってました( ゚Д゚)

越水も時間の問題・・てな感じの状況に

父もワタシもア然です・・

越水も困りますけど決壊なんてコトになったら

母の墓石も流されちゃうではないですか~( ゚Д゚)

👇こちらは飯山線から見える千曲川 

今回はこのあたりも全部、浸水のようです・・

両親の村は7時をピークに増水が止まり

減水が始まったので まだ家には帰れませんが被害はなさそうです

これより前の上流のあちこちが決壊したので

今回は助かりましたが

ここに到達するまでに 

もたない箇所が何か所もあったということは

今回の雨量が

とんでもなく想像を絶する量だったということではないかと

思います

もちろん、上流が決壊したとしても

ワタシが子供の頃の堤防のままだったら

間違いなく、父の村も決壊

そして大洪水にあったと思います。

あそこまでの浸水に耐えられる堤防があってこそ

寸でのところで助かった

・・それほどに危険な状態でした

浸水被害というのは実に大変なもので

以前もブログで書きましたが

畳から何から全てパーです

汚いし重いし どうにもなりません

泥水というのは 本当に困ります

横浜を心配してもらっていたのに

まさかまさかの長野が

こんなことになってしまうとは・・( ゚Д゚)

寝耳に水とは まさにこのこと!

とにかく一刻も早く水が引き

ものすごく大変と思いますが

一日も早く復旧できますことを 

祈るしかありません

飯山線から見える林檎畑も全滅かもしれませんね・・

あと少しで収穫のはずなのに

自然は 本当に怖いです

てか・・

実は従弟が長野市の篠ノ井や三才に

義理の姉は福島県の相馬の宇多川沿いに

ダンナ様の親戚は宮城のあちこちに・・

       (もちろん仙台市にも)

自分の所が一番ヤバいと思っていたのに

こんなことってあるんですか?

    

って感じです・・・