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今何処(今の話の何処が面白いのかというと…)

マンガ、アニメ、特撮の感想ブログです。

言い張り可能な世界(1)

2009年06月07日 | 物語愉楽論
【絶対視思考と相対視思考】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/06fb37c8864a033a789f1a794f41dd07

(※この話の続き…という事でもないのですが、先に押えておきたかった事を後書きします)

僕は、このブログで「物語愉楽論」という話を展開しているのですが、これは物語を楽しむ(「愉楽」する)考え方……のようなものを述べています。「面白い」って何だろう?この作品は何で「面白い」のだろう?逆に何で「詰らない」んだろう?という事を一人で(あるいは誰かと)考えている時に、思いついた事、考えた事をつらつらと書き留めているんですけどね。最終的に全ての「面白さ」を理解する事(「愉楽」する事/体感する事)を目的としています。
いろいろ大仰な事を喋ったりするかもしれませんが、この場で僕が話す考えや価値観はこの範囲を出る事はないと思います。…で「そうしよう」と決めた時から、この「物語を愉楽する世界」に身を置いて……身は置いてませんねw 心を置いて、実感した事の一つが、この世界は「言い張り可能な世界」なんだなあ…という事です。それは“空想”と“遊び”の世界だから……って事もありますし、「言葉」の世界(「言葉」の支配が大勢大半を占める世界)だからって事でもあります。今回その話をしようと思います。

■ファクト(事実)の世界

まず「言い張り可能な世界」の話をする前に、その逆の世界、僕は「ファクト(事実)の世界」と言いますが、その話から入りたいと思います。…空想の世界の逆だから、現実世界とか、リアルの世界とか言ってもいいんですけどね。僕自身は、じゃあその現実は何処が違うのか?リアルの何処が違うのか?という事を考えた時、ファクト(事実)が違うのだと思うのですよね。じゃあ、ファクト(事実)って何かって言うと、これは社会の成り立ちというかビジネスとか政治とかの交渉を見て行けばいいと思うんですが…。

たとえば会社で何かの報告書を書くとしてですね…

○日付:2009年6月7日 13:30~15:00

○場所:TeraPadビル

○出席者:漫研様、今何処様、LD

○決定事項:
 1)件名「××××」について契約書を受け取り。(契約完了)
 2)質疑応答…(省略)不明点については持ち帰り6/8までに一旦メールで回答する事。
 3)○○の件について現在、調査中。6/15に状態を確認し再度、方針決定。

○次回予定:6/15 ○○の件について方針決定。

……まあ、適当に書いているので、いろいろ穴があるかもしれませんが(汗)大体、こんな感じの項目を埋めて行きます。こういう世界では言葉もファクト(事実)として扱われる事が求められます。それは他の解釈の余地が無い(絶対的)が求められる世界だという事なんですが、たとえば日付…2009年6月7日と言ったら(西暦の)2009年6月7日の事だし「6/8までに一旦メールで回答する事」と言えば、6月8日までにメールで回答する“約束”を意味し、それ以外の解釈はありません。
この世界において、あなたの上司から「△△の件についての報告が抜けているのは何故だい?」と聞かれたとして、あたなが「…???そこは“行間”から読んでくださいよ!?」……と、ぬかしたとしたら   (=´ω`=)   あなたの顔は次の瞬間変型してしまうか、あるいは次の日からあなたの机は無くなっている事でしょう。(←や、そこまでの事は起きないけどw)……しかし、「物語を愉楽する世界」であれば、行間を「読む」というのは、正に「愉しむ」ため「遊ぶ」ための最初のとっかかりと言ってもいい行為だと思います。同じ「言葉」であっても「愉楽する世界」と「事実(ファクト)の世界」では求められるものがまるで違っています。

まあ「現実の世界」であれば行間を読む事や、空気/雰囲気を読む事が必要な事はあるでしょう。だから対比としては「現実」ではなく「ファクト(事実)」なんですけど、「ファクト(事実)」が絡む限り、この行間読みや、空気読みは、あたなに否応なく正解を求めてきます。この問題は、あなたの見解や注釈(言い訳)など求めていません。そして正解が出せなければ、あなたは事業を失敗したり、人間関係を悪化させたり、そういう、「ファクト(事実)」を容赦なく突きつけられるだけですね。それが「ファクト(事実)の世界」というものだと思っています。

んんん~っと?俺様、今、この不景気な社会に対してけっこういい話してるんじゃね?(`・ω・´)社会人の方には余計なお世話だけど、学生さんとか、新入社員の方たちのために、もう一つファクト(事実)なたとえ話をしてみようかな?(`・ω・´)……今、報告が足りなかった場合の話をしたんですが、逆に内容が多過ぎるというか…ようは変に饒舌である事が「ファクト(事実)の世界」では忌避…悪評価になる事があります。

「△△の件なんですけど。僕もがんばって説明してみたんですが…相手が、なかなかこちらの事情を分かってくれなくって、□□さんも、途中でフォローしてくれたんですけど、それでもダメで……それで、あの、雰囲気的に、とても△△の件は話し出せる感じじゃなくって…」

んんん、まあ、あんましリアリティな感じじゃないかもしれないですけどw…こんな感じで口頭での報告をしていたとしましょう。そうするとちょっと意地悪な人なら、こんな感じの返しをしてくるかもしれません。「お前の“主観”は聞いていない。事実(ファクト)だけを述べろ」と。「ファクト(事実)の世界」は「言葉」だけの“がんばった”とかを求めていません。がんばったなら、その「ファクト(事実)」があるだろう?という話になりますね。これは必ずしも“成功した結果”だけを求めているって事でもなくって(無論、最終的にはそれを求められるのだけど)…がんばった証拠、成果物があろうだろう?と言う事です。…おっかないよねえ~~!!?(((゜Д゜;)))ガクガクブルブル 僕も実際、何時野垂れ死ぬか分かんないんだよ~wホントの話が…!w
まあ、そんな感じに「ファクト(事実)の世界」では基本的に主観の話は必要とされていないですね(主観を持った結果、反映された「事実(ファクト)」を求められる)。それでも主観の話をねじ込もうとしたら責任という「ファクト(事実)」を引き受けた時。あるいは指導や経営的立場にいる人は否応なく全てのケツを持つ責任(ファクト)がのしかかるが故に、主観=決断を求められる立場……という事も言えるかもしれません。

しかし「物語を愉楽する世界」は正に“主観”から出発をします。今、僕は「客観も主観に過ぎない」という観点で話をしますが、主観の世界を旅する事と比喩してもいいように思います。無論、僕の実存が「ファクト(事実)の世界」にある以上、そこを基盤とする事は間違いありません。また「愉楽の世界」から持ち帰った物を「ファクト(事実)」に反映する事もできるでしょう。しかし、「物語(空想)の世界」の「楽しさ」とは「ファクト(事実)」から自由となる事こそが出発点であり、「愉楽の世界」を「愉しみ」、「遊ぶ」事は主観の世界の拡がりをこそ求めているからのものなんだと……僕の目的とするもの「物語愉楽論」はそういう物ですね。

最後に「ファクト(事実)」としての「言葉」について述べておきます。最初に僕は「ファクト(事実)の世界」の報告として、解釈の余地無く使われる「言葉」の話をしたのですが、これはどういう意味のものなのか?

【言葉はツール】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/338f2a8d55210bab964216e766e26e9f

この項で僕は「言葉は不完全なツールである」事を述べています。誤解や伝達不足はもう前提のツールなんだと。これに対して「ファクト(事実)の世界」はどのように「言葉」を使う事にしたかと言うと、確実な言葉、解釈の余地が極少な言葉を選び、それの語意を崩さない構成文法を編みだし、それにそって記述する方法を選びました。それは、どういう事かというと世界の在り様の中で不確かなものは切り捨てて「ファクト(事実)の世界」が存在するという事なんです。少なくとも「物語愉楽論」的な視点から見ればね。実際に「ファクト(事実)の世界」で詩的な表現が基本御法度な所は今例にあげた通りです。森羅万象の在り様にアプローチする「言葉」の中で、確定的に説明でき解釈の淀みのない「言葉」だけを抜き出し文字/文章として構成された世界が「ファクト(事実)の世界」と言う事になります。しかも、そうやって選り抜かれた「言葉」たちでさえも、ここで述べた通り…。

たとえば「条約」や「契約」あるいは「憲法」というのは、規定や強制力の根拠をその文言に全て依存するという、「言葉」という事象(正確には文書だけど)の力を最大に評価した、最上のステージの一つだと思うんですが、国権の最高機関同士によって取り決められた条約や声明文に対してさえ「解釈の違い」というものを完全には排除仕切れないわけです。(場合によっては解釈が分かれる文言じゃないと合意しなかったり)「憲法解釈」の議論はいつだってありますしね。憲法の文言が真に明確に余すところなくある一事象を指すならそんな議論はそもそもおきようはずがありません。

条約や契約書においてさえ完全に解釈の相違を排除する事は大変な困難が伴うわけです。(←“排除仕切れない”と書いて変に突っ込まれるより、“大変な困難”で留める方が面倒くさくなくていいと思ったらしい)まあ、何が言いたいかというと、やっぱり「言葉は不完全なツール」であるって事ですね。たとえ「ファクト(事実)の世界」で運用しているとしても、それは世界の在り様を狭める事と引き替えに限定した、使われ方なんだと……そういう話です。


※時間が迫ってきた事と文字数関係から一度上げます。(↓)続きです。

【言い張り可能な世界(2)】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/27376fb92115e5ca89dcbdd7166e6a26


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