【ヒーローの条件】
ちょっとした人の縁で『超弩級少女4946』(作・東毅)の虎の穴用小冊子作りに、いずみのさんとの対談という形で参加させてもらいました。やあ、何と言うかびっくりです。(`・ω・´)
それで今回、そこで僕が話した内容を取り出し、その意図を細かく述べるセルフ解説をしておこうかと思います。このブログのタイトル通り、野暮ったく自分の冗談を語る「今の話の何処が面白いかというと…」というワケです(汗)(※それと小冊子で述べている事も、ここで述べる事もLD個人の観方なので、この作品の“正しい読み方”とかそういうものではない事、念のため述べておきます)
『超弩級少女』は、身長40メートルオーバーのヒロイン・衛宮まなが、背は低いが人並み外れた正義感を持ったヒーロー・飛田マコトと出会ってしまう物語。超身長差ラブコメにして、人類を脅かす宇宙生物(怪獣)と戦っているお話…という感じでしょうか。
まず『超弩級少女』の全体としての構造を述べておくと“ラブコメ”としてのラインと、世界を護る“ヒーロー”としてのラインを並行に(どちらかが主格でどちらかが従格という形にならないように)進めていて、その焦点が一致する事を目指している『物語』に思えます。
とはいえ……まあ、これは人の印象にもよりますが、やはり“前面”にはラブコメが出ている作品だと思います。可愛い女の子いっぱい出てくるしねw戦って世界を護るヒーローの話は、実はかなり凄惨な設定などが混じっているので、あまり正面切って出していないというか“後方”に隠して描いている。
僕はヒーローの『物語』が好きで、ずっと追っている所があるので、ラブコメとしての『超弩級少女』ではなく、ヒーローとしての『超弩級少女』を語らせてもらおうと思います。
後方に隠されている……隠してはいないまでも後ろに置かれているヒーロー面が、それでもラブコメ面の従格ではなく、並行に描いているというのは、けっこうこの作品って様々なヒーローの形…というか、成れの果てというか、そういうものをしっかり置いていて、現在進行形で世界を護っている衛宮まなと飛田マコトの二人と対比させているからではあります。
アメリカ合衆国のエージェント・モンタナとかね。まあ、米国が本当に正義の味方か?モンタナが正義の味方の成れの果てかって議論は置いておくとして…(汗)ともかく現在進行形で正義を成す国…と思われている米国は、同時に“正義の逆説”の代表格のような扱いも受けているわけで、ヒーローというものの別の角度の見え方を『受け手』に見せていると言えます。
…ここらへんの視点としては、国交省の土田さんも、かなりそんな感じな気がします。実はモンタナは「現実には正義が無かった(これまでの自分のセカイでは出会えなかった)という体験」から諦観を抱えた少女なんですが、土田さんは彼女よりはもう少し“超能力/超解決力を持たない正義の味方”というものが、どういうモノなのか知っていて、それを選んでいる人のように観えます。
それから、飛田玖海はいいですよねえw「お兄ちゃん(マコト)大好き!」ってレベルじゃなくって「兄の為に生命を賭ける!」と決意している。ちょww『葉隠』!ww…というヒロインとしてもそうですが、女ヒーローとしても。ここで語ったように、彼女は、退魔稼業そのものには大した意味を見出していない“結果のヒーロー”なんですけど。でも、僕は「結果を出しているヒーロー」が大好きなんです!w(`・ω・´)
しかし、この玖海の心象は、ヒロインとしてもヒーローとしても、衛宮まな(マコトの恋人)に至れない『瑕疵』として描かれていると思います。彼女は言わば「マコトがいない世界などどうなってもいい!」という悲鳴をあけ、それを衛宮まなに「マコトと一緒にいられる世界がどうなってもいいはずがない!」と返されてしまった。それは兄を想う気持ちでは負けてはいなかったはずなのに、どうしてか、そこには至れなかった…という物語なんですよね。
…実は作者の東先生からは「セカイ系というキーワードをヒントに話が進むとよいかも」とガイドを貰っていたのですが、衛宮まなが至れたもの、飛田玖海が至れなかったものの、ここがその焦点に感じています。座談会でもそう語っていますが、衛宮まなと共闘した時も、彼女は、そこに至ったというワケではないでしょう。
でも、僕は「結果を出しているヒーロー」には良い物語(因果)が待っているものだよ…とも思いますけどね。おそらくは彼女には、さほど見向きもしなかったであろう「彼女がその手で守った人々」は確かにいて。彼女が彼らの存在に気がついた時、はじめて彼女は「どうなってもいい世界」じゃなかった事を知る事になるのだろうと、そんな風にも思います。
いや、別に彼女はヒロインになりたいのであって、ヒーローになりたいワケじゃないから、そんな展開じゃなくっていいのですけどねw(汗)ヒーローの物語としてはそういうモノだという事です。
実は、この『物語』で一番注目しているキャラクターは塩屋センリくんです。彼は『面白い』。いや、玖海ちゃんも『強い』のですが、何だかんだ言って、こういう娘は「マンガではよく居る」とも言えますw塩屋センリは…居ないとはいいませんけど『面白い』ですね。ヒーローになる気満々……なのにヒーローである事に失敗している。そんなキャラに観えます。
塩屋センリは自分を「ボクは、愛の探求者にして、地球を護るスーパーヒーロー」と自己紹介する奴で、衛宮まなと飛田マコトの二人に対して「キミたちの愛は歪んでいる(ニセモノ/錯覚だ)」と断じて、自分こそが衛宮まなの恋人に相応しいと言い出すんですが…。
その相応しい理由は何かというと、自分も衛宮まなと同じカテゴリーDと呼ばれる“怪獣”で、硬質化して巨大な武器のようなものに変化できる、それは巨大過ぎた衛宮まなの、待ちに待った武装を意味するという……おい、それ愛情じゃなくって、功利主義って言わないか?と言うw
少なくとも塩屋センリは愛を功利の副産物であると解していると。これが全てかどうかはともかく、一面の真実をついていたとしても、彼は知識としてそれを“知っている”だけで、実感として心の中に取り込んではいないという事が分かります。なのに彼は自らを「愛の探求者」と説き、愛に関する自説をまことしやかに披露する………ちょっとイタいですねw
これは僕の想像に過ぎないんですけど、こういう風だと、多分彼は、ヒーローとして失敗だらけだったんじゃないかなと想像するんですよ。何故か上手くいかない。
先程、玖海ちゃんは助ける者の事など見向きもしなかった…かのように語りましたが、たとえば、危険に晒されているのが、小さな兄妹だったりした場合……多分、彼女はものすげえええええっく!!感情移入して二人を救ったと思うんですよねw塩屋センリくんには多分、そういう事もない。…じゃあ、何でヒーローに成りたがってるの?という所に彼の秘密があると思いますが。
そういう愛の事も、護る事も、よく分かっていない塩屋センリがこの『物語』で何を見届けるか?が…彼に与えられた役割という気がします。
…実を言うと“見届ける役”としてはマコトの親友の神宮寺兼人とかぶっている気もするんですけどね(汗)…塩屋はヒーローとしての見届人。…神宮寺はラブコメとしての見届人。…あるいはその逆!!(`・ω・´)かな~?とか考えたりしています。
最後に、ちょっと読み直して思ったのは。以前、僕は(↓)下のような記事を書いて「ヒーローって英雄的意味を大きく持って、ヒロインって(今の物語だと)恋愛的意味を大きく持っているんだけど、それでこのワードが“対”の扱いになっているって“言葉の整備”としてよろしくなくね?」と語ったんですが…。
【ヒーロー/ヒロインの呼称の整理】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/ecf949bab245a54996311a5fab0b7db0
この作品は、そのテーマから、ヒーロー/ヒロインの不整備を上手く突いているというか…意図的にごっちゃにして語っていますね。(言葉の整備は、正確な伝達と記述のために必要とは思うんだけど、物語の伝達としてはこう混沌としている方が『面白く』なったりするんだなあ~w)こう言ったセリフ回しを拾って、どういう意味が入るのか『読んで』みるのも愉しいかもしれません。
ちょっとした人の縁で『超弩級少女4946』(作・東毅)の虎の穴用小冊子作りに、いずみのさんとの対談という形で参加させてもらいました。やあ、何と言うかびっくりです。(`・ω・´)
それで今回、そこで僕が話した内容を取り出し、その意図を細かく述べるセルフ解説をしておこうかと思います。このブログのタイトル通り、野暮ったく自分の冗談を語る「今の話の何処が面白いかというと…」というワケです(汗)(※それと小冊子で述べている事も、ここで述べる事もLD個人の観方なので、この作品の“正しい読み方”とかそういうものではない事、念のため述べておきます)
『超弩級少女』は、身長40メートルオーバーのヒロイン・衛宮まなが、背は低いが人並み外れた正義感を持ったヒーロー・飛田マコトと出会ってしまう物語。超身長差ラブコメにして、人類を脅かす宇宙生物(怪獣)と戦っているお話…という感じでしょうか。
LD 超弩級少女は、ラブコメとしての磁場と、人類を護る物語という磁場を一致させることにすごく努力していて。ラブコメ的に「絶対うまくいかないカップル」という障害があるのを、人類を護るためのハードルとして利用しているんです。(座談会より)
まず『超弩級少女』の全体としての構造を述べておくと“ラブコメ”としてのラインと、世界を護る“ヒーロー”としてのラインを並行に(どちらかが主格でどちらかが従格という形にならないように)進めていて、その焦点が一致する事を目指している『物語』に思えます。
とはいえ……まあ、これは人の印象にもよりますが、やはり“前面”にはラブコメが出ている作品だと思います。可愛い女の子いっぱい出てくるしねw戦って世界を護るヒーローの話は、実はかなり凄惨な設定などが混じっているので、あまり正面切って出していないというか“後方”に隠して描いている。
僕はヒーローの『物語』が好きで、ずっと追っている所があるので、ラブコメとしての『超弩級少女』ではなく、ヒーローとしての『超弩級少女』を語らせてもらおうと思います。
後方に隠されている……隠してはいないまでも後ろに置かれているヒーロー面が、それでもラブコメ面の従格ではなく、並行に描いているというのは、けっこうこの作品って様々なヒーローの形…というか、成れの果てというか、そういうものをしっかり置いていて、現在進行形で世界を護っている衛宮まなと飛田マコトの二人と対比させているからではあります。
アメリカ合衆国のエージェント・モンタナとかね。まあ、米国が本当に正義の味方か?モンタナが正義の味方の成れの果てかって議論は置いておくとして…(汗)ともかく現在進行形で正義を成す国…と思われている米国は、同時に“正義の逆説”の代表格のような扱いも受けているわけで、ヒーローというものの別の角度の見え方を『受け手』に見せていると言えます。
…ここらへんの視点としては、国交省の土田さんも、かなりそんな感じな気がします。実はモンタナは「現実には正義が無かった(これまでの自分のセカイでは出会えなかった)という体験」から諦観を抱えた少女なんですが、土田さんは彼女よりはもう少し“超能力/超解決力を持たない正義の味方”というものが、どういうモノなのか知っていて、それを選んでいる人のように観えます。
LD ある意味で一番正義の味方なのは玖海ですよ。彼女は人の生命を相当救っているはずですから。でも本人に全くその気はないというかw動機ではなく、結果として正義の味方なんですよw(座談会より)
それから、飛田玖海はいいですよねえw「お兄ちゃん(マコト)大好き!」ってレベルじゃなくって「兄の為に生命を賭ける!」と決意している。ちょww『葉隠』!ww…というヒロインとしてもそうですが、女ヒーローとしても。ここで語ったように、彼女は、退魔稼業そのものには大した意味を見出していない“結果のヒーロー”なんですけど。でも、僕は「結果を出しているヒーロー」が大好きなんです!w(`・ω・´)
しかし、この玖海の心象は、ヒロインとしてもヒーローとしても、衛宮まな(マコトの恋人)に至れない『瑕疵』として描かれていると思います。彼女は言わば「マコトがいない世界などどうなってもいい!」という悲鳴をあけ、それを衛宮まなに「マコトと一緒にいられる世界がどうなってもいいはずがない!」と返されてしまった。それは兄を想う気持ちでは負けてはいなかったはずなのに、どうしてか、そこには至れなかった…という物語なんですよね。
…実は作者の東先生からは「セカイ系というキーワードをヒントに話が進むとよいかも」とガイドを貰っていたのですが、衛宮まなが至れたもの、飛田玖海が至れなかったものの、ここがその焦点に感じています。座談会でもそう語っていますが、衛宮まなと共闘した時も、彼女は、そこに至ったというワケではないでしょう。
でも、僕は「結果を出しているヒーロー」には良い物語(因果)が待っているものだよ…とも思いますけどね。おそらくは彼女には、さほど見向きもしなかったであろう「彼女がその手で守った人々」は確かにいて。彼女が彼らの存在に気がついた時、はじめて彼女は「どうなってもいい世界」じゃなかった事を知る事になるのだろうと、そんな風にも思います。
いや、別に彼女はヒロインになりたいのであって、ヒーローになりたいワケじゃないから、そんな展開じゃなくっていいのですけどねw(汗)ヒーローの物語としてはそういうモノだという事です。
LD 彼(塩屋センリ)の正義には人間らしい血が通ってないですからね。多分、今まで失敗だらけだったんだと思うんですよ。助けたはずなのに何故か喜んでもらえなかったとか……。それで「愛情」というモノを探しているんじゃないでしょうか。(座談会より)
実は、この『物語』で一番注目しているキャラクターは塩屋センリくんです。彼は『面白い』。いや、玖海ちゃんも『強い』のですが、何だかんだ言って、こういう娘は「マンガではよく居る」とも言えますw塩屋センリは…居ないとはいいませんけど『面白い』ですね。ヒーローになる気満々……なのにヒーローである事に失敗している。そんなキャラに観えます。
塩屋センリは自分を「ボクは、愛の探求者にして、地球を護るスーパーヒーロー」と自己紹介する奴で、衛宮まなと飛田マコトの二人に対して「キミたちの愛は歪んでいる(ニセモノ/錯覚だ)」と断じて、自分こそが衛宮まなの恋人に相応しいと言い出すんですが…。
その相応しい理由は何かというと、自分も衛宮まなと同じカテゴリーDと呼ばれる“怪獣”で、硬質化して巨大な武器のようなものに変化できる、それは巨大過ぎた衛宮まなの、待ちに待った武装を意味するという……おい、それ愛情じゃなくって、功利主義って言わないか?と言うw
少なくとも塩屋センリは愛を功利の副産物であると解していると。これが全てかどうかはともかく、一面の真実をついていたとしても、彼は知識としてそれを“知っている”だけで、実感として心の中に取り込んではいないという事が分かります。なのに彼は自らを「愛の探求者」と説き、愛に関する自説をまことしやかに披露する………ちょっとイタいですねw
これは僕の想像に過ぎないんですけど、こういう風だと、多分彼は、ヒーローとして失敗だらけだったんじゃないかなと想像するんですよ。何故か上手くいかない。
先程、玖海ちゃんは助ける者の事など見向きもしなかった…かのように語りましたが、たとえば、危険に晒されているのが、小さな兄妹だったりした場合……多分、彼女はものすげえええええっく!!感情移入して二人を救ったと思うんですよねw塩屋センリくんには多分、そういう事もない。…じゃあ、何でヒーローに成りたがってるの?という所に彼の秘密があると思いますが。
そういう愛の事も、護る事も、よく分かっていない塩屋センリがこの『物語』で何を見届けるか?が…彼に与えられた役割という気がします。
…実を言うと“見届ける役”としてはマコトの親友の神宮寺兼人とかぶっている気もするんですけどね(汗)…塩屋はヒーローとしての見届人。…神宮寺はラブコメとしての見届人。…あるいはその逆!!(`・ω・´)かな~?とか考えたりしています。
最後に、ちょっと読み直して思ったのは。以前、僕は(↓)下のような記事を書いて「ヒーローって英雄的意味を大きく持って、ヒロインって(今の物語だと)恋愛的意味を大きく持っているんだけど、それでこのワードが“対”の扱いになっているって“言葉の整備”としてよろしくなくね?」と語ったんですが…。
【ヒーロー/ヒロインの呼称の整理】
http://blog.goo.ne.jp/ldtsugane/e/ecf949bab245a54996311a5fab0b7db0
この作品は、そのテーマから、ヒーロー/ヒロインの不整備を上手く突いているというか…意図的にごっちゃにして語っていますね。(言葉の整備は、正確な伝達と記述のために必要とは思うんだけど、物語の伝達としてはこう混沌としている方が『面白く』なったりするんだなあ~w)こう言ったセリフ回しを拾って、どういう意味が入るのか『読んで』みるのも愉しいかもしれません。
超弩級少女4946 4 (少年サンデーコミックス) | |
東 毅 | |
小学館 |