ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

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歌詞を考える  欅坂46 『二人セゾン』

2017年10月19日 23時12分19秒 | 歌詞を考える
こんばんは、ジニーです。


おひさしぶりに、今夜は歌詞の解析をしてみようと思います。
今回は欅坂46の「二人セゾン」

歌詞はこちらから欅坂46 二人セゾン


個人的には、女性アイドルの歌の歌詞に意味を求めてはいけないと思ってたりします。
穿った見かたかもしれないですが、アイドルの歌は聴くものではなく、感じるものだと思うからです。
アイドルの歌の歌詞に投影されるのは、彼女たちの生き様やプライド、想い、葛藤、喜びで
歌という媒体を通して、ファンはアイドルとの共感を得るものだと思っています。

だけど、「二人セゾン」はそういう点でいえばとても異質に思えました。
歌詞を聴きたくなる。
なぜ、彼女たちがこの歌を歌うのかという意味を知りたくなる。
そんな曲でした。


二人セゾン。
セゾンは「季節」という意味です。
ふたりの季節と捉えればいいでしょうか。

曲はサビから始まります。
それは、春夏で表れて、秋冬で去っていく。
そして、「後悔はしてないか?」と聞きます。
誰が?誰に?
僕が感じる答えは、もう少し先で書こうと思います。

この曲の歌詞は1番も2番も情景描写が前半を占めています。
主人公は、生きることに輝きを見いだせていません。
原因は分かりません。
思春期のモラトリアムかもしれません。

何も楽しいと思えず、いつもどこかむなしい。
何のために生きているのか、どうすれば心に花が咲くのか。

いまやネットでなんでも知ることができる時代。
スマホさえあれば退屈な時間は埋めることができます。
しかし、なにか豊かさのようなものを失っているような気がするのも事実です。
常に満たされた状態が続くと、乾くという感覚が鈍るのだと思います。
結果、虚無感が心を占めてしまう。

この主人公もそうでしょう。
「道端咲いてる雑草にも
 名前があるなんて忘れてた」
くらい、世界に興味を持てなくなっています。

でも「忘れてた」んです。
それに気づいている現在があります。
気づかせてくれたきっかけがあります。


もう一度Aメロに戻ってみましょう。
1番
「道端咲いてる雑草にも
 名前があるなんて忘れてた
 気付かれず踏まれても
 悲鳴を上げない存在

 誰かと話すのが面倒で
 目を伏せて聴こえない振りしてた
 君は突然
 僕のイヤホン外した」

2番
「価値を吹き抜ける風の中
 何かの香りがしてたのに
 振り返る余裕とか
 興味もなかった

 自分の半径1m
 見えないバリア張った別世界
 そんな僕を
 連れ出してくれたんだ」

見事に無関心と拒絶で埋め尽くされています。
それが主人公の今までだったのです。
そんな僕のイヤホンを外して
「What did you say now?」=今なんて言ったの?
そんな僕を連れ出して
「What made you do that?」=何をしたの?
と、
それぞれにあるきっかけが訪れます。
ここからのBメロが本当に秀逸です。

例えば1番
「太陽が戻ってくるまでに
 大切な人にきっと出逢える
 見過ごしちゃもったいない
 愛を拒否しないで」

太陽が戻ってくるまでにというのは、朝が来るまでということ。
つまりこの主人公の心に伸びる夜が明ける頃ということでしょう。
その頃までに大切な人に出逢えるから愛を拒否しちゃいけない、受け入れろと
言っています。

続いて2番
「一瞬の光が重なって
 折々の色が四季を作る
 そのどれが欠けたって
 永遠は生まれない」

些細なものであっても、一つ一つに意味があり、それらの共生が意味のある
ものを作り出している。
一人でいるのではなく誰かと過ごすことで永遠の意味が分かると説いています。


主人公にとって価値観を変えるパラダイムシフトが起こります。
ではその需要な価値観の変化、これを誰が誰に言ったのか?

僕は、自分なんだと感じています。
最初、歌詞を読んでいると、主人公と恋人がいて、恋人がBメロの言葉を
伝えているように感じたのですが、違和感がありました。
果たして恋人が「大切な人にきっと出逢える」と言うのだろうか?
それをきっかけに、恋人ではない誰かの言葉として改めて考えたとき
自分自身の内なる声ではないかと思ったのです。

これは、主人公の成長の歌であり、心の移り変わりを季節になぞれらえた、
いわば大人になるその瞬間を切り取った歌だと思ったのです。



最初から書いている通り、とにかく主人公は無関心と拒絶の塊でした。
それが、日々の流れの中で、頑なであったものが、ほどけていきます。
そしてあるタイミングで、ずっと秘めていた内なる素直な自分の声に
ちゃんと耳を貸せるようになったのだと思います。

頑なだった自分と、素直な自分。
ふたりはずっと一緒に、同じ季節を過ごしていていたのです。
それこそが二人セゾンの持つ意味に感じてなりません。


風の感触、雨の冷たさ、陽の暖かさ、夜の深さ、花の香り、人のぬくもり。
それらに目も向けたとき、生きていることを感じます。
理由はなくてもいいのです。
生きて、そこにいることが大事。
そこにいるからこそ、その周囲のものと関わっていくことが大事なんです。
何かに触れたとき、はじめて自分がそこにいることを感じる。
何も触れなければ、自分がいることさえわからない。
それはあまりにも空しいです。

だからこそ、その尊さを歌うこの歌には力があり、聴いてしまう。
そしてこれをアイドルである、主人公と同じ思いを持ち、共感できる年代の彼女たちが
歌うからこそ説得力が生まれる。
素晴らしいです。
完璧なまでに世界観を作り上げています。

やはり歌には大きな可能性と、力があります。
言葉で言われたって理解できないことを、なにか第6感で感じることができるから。


花のない冬のさくらに、春を感じることができるのは
想像することを与えられた人間のなせる業です。
夢見ることがちょっと恥ずかしく感じる現代だからこそ、夢見てみようじゃないですか。
心の中のセゾンの声に従って。


いい歌です。


欅坂46 『二人セゾン』


コメント
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