ウツウツ記

毎日の生活で感じたことを書いています。

逃げてもいい。

2020-02-13 16:45:32 | Weblog
昨日もEテレのねほりんぱほりんを見ました。
大好きな番組です。
他でもない、依存症について取り上げるというので
私的に若干ハードルが上がっていたかもしれません。
というか、家族なので知っている情報が多すぎるのかもしれませんね。
いつものような新鮮なドキドキ感は薄く
でも、知らない人に少しでも真実が伝わるといいなと
思って見ました。
こうやって、少しずつ色々な番組で啓発していくのは
とても大切なことだと思います。

さて、昨日はもう一つ、楽しみにしていた番組がありました。
BSでDVや毒親から逃げてもいいよ、逃げるのも手だと・・
というテーマの番組がありました。
一つは妻からのDVに悩んだ夫が、様々に手段を講じ、工夫して
離婚をしたもの。
DVというとどうしても被害者は妻という発想をしてしまいがちですが
夫の場合も増えているそうですね。
でも、やはり夫が被害者の場合はとても沢山の証拠が必要になると伝えていました。
男だからというハードルを取り払い、
会社の人にも打ちあけて協力をしてもらって
離婚に至ったそうです。
困っていることを話してみれば、皆協力的で
それが嬉しかったと言っていました。

もう一つは、毒親から逃げた女性のケースでした。
妹さんは普通に愛されて育てられるのに
お姉さんである彼女は誕生祝もないような差をつけられて育ちます。
奨学金を得てやっと親元を離れて進学するのに
そのお金すら遊興費に使いこむ親です。
お前のためだと過干渉し、何かにつけては親不孝者となじる。
結婚にも反対され、孫の存在まで否定します。
彼女もようやく逃げる決意をして、夫の協力の元
様々な手段、知恵で親から逃げ切ります。
彼女が辛かったのは、世間の多くの人は
そういう親がいることを信じてくれず、
親孝行しなさい、と言われることだったと言っていました。
そう、本当にこれが辛い。
私も逃げたい、と思っても邪魔をするのは自分の中にある「罪悪感」でした。
カウンセラーから「逃げてもいい」と言われた時の安堵感は忘れられません。
また、世間の人は全員が毒親について理解できる訳ではないから
理解できる人とできない人を峻別してもいい、と言われました。
それも私には目から鱗でした。
理解できない人に話して、ムダに自分が傷つく必要はないのです。
そこで峻別して嘘をついても、それは構わないと。
また、罪悪感はいつか絶対に無くなる、とも言われました。
その時はその言葉が信じられなかったけれど
大丈夫、ホントに忘れる日が来ました。
ふっと思い出すけれど、以前のように心が揺れたりしないで
自分の足でちゃんと立っています。

毒親に悩む人の相談に乗っておられる方が言っていたことで
私にも当てはまることがありました。
それは、成長に合わせた下着を買ってもらえない、ということ。
とても恥ずかしいことで、今まで口にしたことがありません。
カウンセラーにも言えなかった。
でも、本当なのです。
経済的に支配されている子供にとって、本当に辛く恥ずかしいことでした。
何故わからないのだろう、いつわかってくれるのだろう、と
考え続けましたが
ずっとわからないフリをされました。
私は誰にも相談できず、コソコソとお使いのつり銭を胡麻化したりして
やっとの思いで自分で買いました。
(小遣いすらありませんからね)
私だけかと思っていたら、そういう親は案外といたのですね。
驚きました。
子供はいつまでも子供のままでいて欲しい、という願望の現れ?と解説されていたけれど
いい迷惑です。
私は姉と歳が離れた末っ子でしたし、
確かに家の中ではピエロ役というか、天然な子供の役を演じるように強いられてきました。
そのことの延長線上の事なんでしょうね。

DVも毒親も、縁のない人にはわからない世界でしょうね。
仕方ないと思います。
幸せなことです。

でも、悩む人がいたならば。
逃げることも選択肢に入れて、考えてほしいです。
逃げることはダメなことではありません。
私は親から「潔くない」と怒られてきましたが
潔くなくて構いません。
せっかく生まれ生きているのですから、楽しく、優しく(これが難しいのですが)生きていきたい。
改めてそう思いました。
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