前年よりさらにテールフィンが立派になった1959年型キャデラックです。
ヘッドランプがグリルと一体化しつつあります。
58年型キャデラックはこちらをご覧ください。→Cadillac 1958
60年型キャデラックはこちらをご覧ください。→Cadillac 1960
同じ59年型のシボレーはこちらをご覧ください。→Chevrolet Impala 1959
59年型のビュイックはこちらをご覧ください。→Buick Electra 225 1959
Cadillac 1959 Kanagawa 1994年撮影
Cadillac 1959 Kanagawa 1994年撮影
Cadillac 1959 Tokyo 1990年撮影
Cadillac 1959 Kanagawa 2015年撮影 <2016年2月画像追加>
Cadillac 1959 Kanagawa 2015年撮影 <2016年2月画像追加>
Cadillac 1959 Kanagawa 2015年撮影 <2016年2月画像追加>
Cadillac 1959 Tokyo 2014年撮影 <2016年2月画像追加>
Cadillac 1959 Tokyo 2014年撮影 <2016年2月画像追加>
Cadillac 1959 Tokyo 2016年撮影 <2016年1月画像追加>
<参考データ>
FR/V8,6.4L/Wheelbase 3,300mm,Length 5,715mm
ヘッドランプがグリルと一体化しつつあります。
58年型キャデラックはこちらをご覧ください。→Cadillac 1958
60年型キャデラックはこちらをご覧ください。→Cadillac 1960
同じ59年型のシボレーはこちらをご覧ください。→Chevrolet Impala 1959
59年型のビュイックはこちらをご覧ください。→Buick Electra 225 1959
Cadillac 1959 Kanagawa 1994年撮影
Cadillac 1959 Kanagawa 1994年撮影
Cadillac 1959 Tokyo 1990年撮影
Cadillac 1959 Kanagawa 2015年撮影 <2016年2月画像追加>
Cadillac 1959 Kanagawa 2015年撮影 <2016年2月画像追加>
Cadillac 1959 Kanagawa 2015年撮影 <2016年2月画像追加>
Cadillac 1959 Tokyo 2014年撮影 <2016年2月画像追加>
Cadillac 1959 Tokyo 2014年撮影 <2016年2月画像追加>
Cadillac 1959 Tokyo 2016年撮影 <2016年1月画像追加>
<参考データ>
FR/V8,6.4L/Wheelbase 3,300mm,Length 5,715mm
甲州街道の抜け道があるのですが、いつも渋滞なんかしないのに、その日に限って、なぜか渋滞。しばらくしますと、反対方向からこのキャデラックが!。
アメリカのスーパー等は、この頃の大きさで車の仕切り線が引いてあるので、現代の車で行くと、ドアーの開閉が楽で良いです。
手持ちの資料によるとこの羽は高さ107cmもあり、燃費は2.8km/Lで燃料タンクの容量は95.5Lだそうです。
回転半径が7.3mだそうですから、所有するには駐車スペースのみならずそこに行き着くまでの道幅も考慮しなくてはなりませんね。
”ベルエアの兄貴分”みたいな’58年型から脱却して、独自の顔を取り戻した(?)人気のキャデラックですね。
眉を顰めた様な渋~い表情が又かっこいいと思います。
慥か「007 ドクター・ノオ」で空港の駐車場に停まってたのも此の年式ではなかったかと。
’60年型よりも’59年型の方が典型的なロケットテールなので此方の方が好きです。
知人に72年のフォードランチェロGTというピックアップとF355チャレンジを所有している方がそれぞれいまして、たまたまとあるイベントでばったり出会い、その会場から離れたファミレスまで2台にたった4人で昼食に出掛けようと言うことになって僕は355の方に同乗することになって(一体どうやって停めるのかなあ)と心配したんですが、その辺りは流石にオーナーさんの彼らは手馴れたもので、何と5ナンバーサイズを想定しているであろうその駐車場の仕切り線を跨いで(ちょうど車幅の真ん中=フロアトンネルの真下に仕切り線が一本来るように)停めてしまうのです!つまり4台分の仕切り線に2台だけ!!
日曜でしたから大混雑の子供連れのファミリーでごった返していて、彼らからの何とも言えない視線が…僕には何とも辛かったなあ。
Friedrichさん、以前友人から預かったデイムラーのダブルシックスも負けてはいませんでした。片側60L近く入るタンクがリアフェンダーの左右にそれぞれあり、借り出した場所のすぐ近所の天現寺のスタンドで満タンにしたら福沢諭吉2枚出してお釣りが二百何十円!都内を這いずり回る限り300キロ走るごとに給油する羽目に・・・。
まあこんな風ですんで僕はいつまでたっても庶民感覚から抜け出せず名車とはご縁がないんだなあと妙に納得してしまうのであります。。。
渋滞の原因がこのピンクのキャデラックでは圧倒されてしまって文句を言う人はいなさそうですね。
しかしそんな車で抜け道を走ること自体がエライ!?
60年型で早くもソフトランディングを目指しおとなしくなりつつある姿からしても、ミッチェルが実権を握った58年以前に作られたこのモデルこそアールの最後の仕事だったのかもしれませんね。
言われてみればたしかに。58年型はベルエアの兄貴ですねえ。
この59年型の顔はキャデラックのアイデンティティとしてその後長らく用いられることになりましたね。
面白いお話です。
彼らの視線は非難ではなく憧憬だったのではないですか。
ダブルシックスで両側を満タンにするオーナーは知る限りあまりいなかったような気も!?
彼らの視線は非難ではなく憧憬だったのではないですか。<
う~ん、どうなんでしょうねえ。憧憬ともいえそうですし顰蹙を買っているという気配も無きにしも非ずでしたね。
当時のダブルシックスやXJは出来る限り満タンを心がけるようにとは、当時のディラーだった新東洋のメカニックさんに教わりました。ドイツ車や国産車と違いサビにはめっぽう弱く、古~いシリーズⅠのXJを持っていた僕やダブルシックを持っていた知人はタンクの内側を腐らせて燃料ポンプとラインを何度もOHしました。
最後は穴が開いてしまうほどになってプロの厨房用品の中古店からシンク(流し台)を格安で手に入れ溶接名人にワンオフで造って貰ったほどでした、ああ、あの苦労がよ、蘇ってきました・・・。
ハーリー・アールは病で床に臥せっていた為、ビル・ミッチェルが代役を務め僅か10ヶ月でフリートウッドとフィッシャーの工場でこのモデルをロールアウトさせたそうです。
但し、ハーリー・アールの思惑とは全く異なるデザインだった様です。
当時、梁瀬(現ヤナセ)本店店頭渡し価格が903万円でした。サラリーマンの初任給が1万円以下の時代ですから、現在だったら差し詰め「ブガッティ・ヴェイロン」に匹敵する価格ではないでしょうか。