やあ、いらっしゃい。
寝苦しい夜が続くね。
暑苦しさから、布団を跳ね除けて寝てる人も、居るんじゃないかい?
さて…今夜話すのも、小泉八雲の著作からだ。
知っての通り、彼はギリシア生れのアイルランド育ち。
元名はラフカディオ・ハーンと言う。
長く放浪した末、彼は日本に到り、日本の風土や文化をこよなく愛した。
そして士族育ちの娘、小泉節子と結婚。
彼女が語る様々な日本の物語は、彼の興味を非常に惹き付けた。
とりわけ興味を寄せたのが幽霊話で――切っ掛けはこんな話だったらしい。
ずっと以前の事、鳥取の町に在る、極小さな宿屋が、開業してから初めての泊り客に、一人の旅商人を迎えた。
この客は並ならず親切にもてなされたが、それは宿屋の主人が、自分の小さな宿屋の評判を取りたいと、思っていたからである。
新しい宿屋だったけれど、持ち主が貧しいので、その道具――家具や器物――は、大抵古手屋から買った物だった。
それでも、どれも皆清潔で気持ちが良く、それに綺麗だった。
お客は心行くまで食べ、温くて美味い酒も沢山呑んだ。
食事が済むと、畳の上に寝床が延べられ、お客は横になって眠った。
さて、温い酒を沢山呑んだ後では、殊にそれが寒い晩であって、寝床がとても気持ちの良い場合には、ぐっすり眠るのが普通である。
所がこの客は、ほんの暫くしか眠らない内に、部屋の中で人声がするので、目を覚ました。
――それは子供の声で、何時も互いに、同じ事を尋ね合っているのであった。
「兄さん寒かろう?」
「お前寒かろう?」
自分の部屋に子供が居るのを、お客は煩く思ったかもしれないが、別に驚きはしなかった。
と言うのは、こうした日本の宿屋では戸は無くて、部屋と部屋との仕切りには、ただ障子が在るだけだからである。
それで、何処かの子供達が暗がりに戸惑いして、自分の部屋へ迷い込んで来たのに違いないと、お客には思われたのである。
彼は優しくたしなめた。
すると、ほんの暫くは静まったが、やがてまた、優しい、弱々しい、うら哀しげな声が、お客の耳元で、「兄さん寒かろう?」と尋ねた。
すると、別な優しい声が、「お前寒かろう?」と、労わる様に答えた。
お客は起上がって、もう一度行燈に灯りを点け、部屋の中を見回したが、誰も居なかった。
障子は全部閉まっていた。
戸棚を調べてみたが、空っぽだった。
不審に思いながら、灯りを点けたまま、再び横になった。
すると、直ぐさま枕元で、またもや訴える様に、人声がした。
「兄さん寒かろう?」
「お前寒かろう?」
そこで初めてお客は、体中にぞっと寒気を感じたが、それは夜の寒さとは違ったものだった。
話し声は、何度も何度も聞えて来た。
そして、その度毎に、益々恐くなって来た。
と言うのは、その声が蒲団の中から聞えるのが、判ったからである。
この様に声を出しているのは、掛け蒲団だったのである。
お客は大急ぎで、僅かばかりな身の回りの品を纏めると、階段を下りて行って、宿の主人を起し、事の次第を話した。
すると主人は大層腹を立てて答えた。
「実際の所、お客さんのお気に入る様に、万事手を尽くして居るんです。
所が、お客さんはお酒をあまり召し上がったんで、悪い夢を見られたんですよ。」
それでもお客は、直ぐ勘定を払って、何処か他の所の宿を探す、と言って聞かなかった。
明くる日の晩、また一人のお客が来て、一夜の宿を求めた。
夜が更けると、主人はこの泊り客に起されて、また同じ話を聞かされた。
しかし今度のお客は、不思議な事に、酒を少しも呑んでいなかった。
そこで主人は、これは何か自分を妬んで、商売を潰そうと企んだものと思って、激しい語調で答えた。
「お客さんのお気に召す様に、万事手を尽くして居るんです!
それなのに、お客さんは、縁起でもない、忌々しい事を仰る!
所で、この宿屋が、手前の暮らしを立てる家業だという事も、ちゃんと御存知の筈です!
一体、何でこんな事を言われるのか、実に怪しからん話です!」
そこでお客の方も癇癪を起して、もっと酷い事を大声で怒鳴り立てた。
こうして双方とも、かんかんに怒ったまま別れた。
しかし、お客の立ち去った後で、主人はどうも変だと思い、二階のその空いた部屋へ行って、蒲団を調べてみた。
すると、そこに居る内に、あの人声が聞えて来た。
そこで主人は、二人のお客の話が、全く本当だった事が、解ったのである。
声を立てたのは、一枚の――ただ一枚の掛け蒲団だけだった。
その他の物は、ひっそりとしていた。
主人は、その掛け蒲団を自分の部屋に持って行って、それから夜が明けるまで、それを着て寝た。
すると、その声は、「兄さん寒かろう?」、「お前寒かろう?」と、夜明けの頃まで言い続けた。
それで彼は、眠る事が出来なかった。
しかし夜が明けると、主人は起上がって、この蒲団を買った古手屋の主人を、尋ねに出掛けた。
所が、その商人は何も知らなかった。
彼は、その蒲団をもっと小さな店から買ったのだった。
そして、その小店の主人は、町のずっと場末に住んでいる、更にもっと貧しい商人から買い受けたとの事だった。
それで宿屋の主人は、次から次へと尋ね歩いた。
こうして最後に、その蒲団は町外れの貧しい一家の物であったのを、その家族が住んでいた小さな家の家主が買い取った物であるという事が、判って来た。
所で、その蒲団の由来というのは、こうであった。
その小さな家の家賃は、一ヶ月僅か六十銭にすぎなかったが、それでもこの貧しい人達にとっては大した支出だった。
父親は殆ど稼ぎが無く、母親は病身で働けなかった。
それなのに子供が二人――六つと、八つになる、男の子が居た。
しかも、この一家は、鳥取では余所者だった。
或る冬の日に、父親が病気になって、一週間患った後、死んで埋葬された。
それから、長い間病気だった母親がその後を追い、子供達だけ残された。
助けて貰える様な人は、一人も知らなかった。
それで、生きる為に、売れる物は何でも売り始めた。
それも、沢山は無かった。
亡くなった父や母の着物、自分達の着物の大部分、幾枚かの木綿の夜具、それと少しばかりの粗末な世帯道具類――火鉢、どんぶり、茶碗、その他のこざこざした物くらいだった。
子供達は毎日何かを売って、とうとう一枚の蒲団の他には、何も無くなってしまった。
こうして、何も食べ物の無い日がやって来た。
それに、家賃も払ってなかった。
恐ろしい大寒がやって来た。
その日は大変雪が高く積って、子供達は外へ出て行けなかった。
それで二人は、一枚の蒲団の下に寝て、一緒に震えながら、子供らしいやり方で、互いに慰め合うより他無かった。
「兄さん寒かろう?」
「お前寒かろう?」
火は無く、燃やし付ける物も無かった。
やがて、暗くなって来た。
そして氷の様な風が、この小さな家の中に、ぴゅうぴゅう鳴りながら、吹き込んで来た。
子供達は風が恐ろしかったが、それ以上に家主が恐かった。
と言うのは、家主は荒々しく子供達を起して、家賃を請求したのである。
この家主は人相の良くない、冷酷な男だった。
それで家賃を払う者が居ない事が解ると、子供達を雪の中へ追い出し、たった一枚の蒲団も取り上げて、家に錠を下ろしてしまった。
子供達は、それぞれ紺の薄い着物一枚しか、着ていなかった。
他の着物は皆食べ物を買う為に、売り払ってしまったからである。
それに二人は、何処へも行き処が無かった。
それ程遠くない場所に観音堂が在ったが、あまり雪が深いので、そこまでは行けなかった。
それで家主が帰った後、二人はこそこそと家の後ろへ引き返した。
寒さの為に眠気が差して来たので、兄弟は暖を取る為、抱合って眠った。
こうして眠っている間に、神様は二人に新しい蒲団を着せてくれた。
――それは、この世の物と思えぬ程、真っ白な大変美しい蒲団だった。
それで、二人はもう寒さを感じなかった。
幾日も幾日も、そこに眠っていた。
それから、或る人がこの兄弟を見付けて、千手観音堂の墓場に、二人の寝床を作ってやった。
家主の主人は一部始終を聞くと、その蒲団を観音堂の坊さんに寄進して、小さい者達の霊の為に、お経をあげて貰った。
それで蒲団は、その後は物を言わなくなった。
…小泉八雲は、この話を、自身の日本に関する最初の著作で在り、日本研究の最初の著書でも在る『知られぬ日本の面影(1894年出版)』の中で紹介している。
寝苦しくても、蒲団はしっかり掛けておいた方がいい。
深夜、食み出した手や、足を、そぉっと撫でる手が…無いとは言い切れないだろう?
今夜の話は、これでお終い。
何時もの様に、蝋燭を1本、吹消して貰えるかい。
……有難う。
また…1つ、明りが消えたね。
では気を付けて、帰ってくれ給え。
いいかい?
…明るい所に出るまで……後ろは絶対に振り返らないように。
夜に鏡を覗くのも禁物だ…。
それでは御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。
『怪談・奇談(小泉八雲 著、田代三千稔 訳、角川文庫 刊)』より
*小泉八雲の墓は、東京雑司ヶ谷霊園に在る。
春には桜が咲いて美しい。
寝苦しい夜が続くね。
暑苦しさから、布団を跳ね除けて寝てる人も、居るんじゃないかい?
さて…今夜話すのも、小泉八雲の著作からだ。
知っての通り、彼はギリシア生れのアイルランド育ち。
元名はラフカディオ・ハーンと言う。
長く放浪した末、彼は日本に到り、日本の風土や文化をこよなく愛した。
そして士族育ちの娘、小泉節子と結婚。
彼女が語る様々な日本の物語は、彼の興味を非常に惹き付けた。
とりわけ興味を寄せたのが幽霊話で――切っ掛けはこんな話だったらしい。
ずっと以前の事、鳥取の町に在る、極小さな宿屋が、開業してから初めての泊り客に、一人の旅商人を迎えた。
この客は並ならず親切にもてなされたが、それは宿屋の主人が、自分の小さな宿屋の評判を取りたいと、思っていたからである。
新しい宿屋だったけれど、持ち主が貧しいので、その道具――家具や器物――は、大抵古手屋から買った物だった。
それでも、どれも皆清潔で気持ちが良く、それに綺麗だった。
お客は心行くまで食べ、温くて美味い酒も沢山呑んだ。
食事が済むと、畳の上に寝床が延べられ、お客は横になって眠った。
さて、温い酒を沢山呑んだ後では、殊にそれが寒い晩であって、寝床がとても気持ちの良い場合には、ぐっすり眠るのが普通である。
所がこの客は、ほんの暫くしか眠らない内に、部屋の中で人声がするので、目を覚ました。
――それは子供の声で、何時も互いに、同じ事を尋ね合っているのであった。
「兄さん寒かろう?」
「お前寒かろう?」
自分の部屋に子供が居るのを、お客は煩く思ったかもしれないが、別に驚きはしなかった。
と言うのは、こうした日本の宿屋では戸は無くて、部屋と部屋との仕切りには、ただ障子が在るだけだからである。
それで、何処かの子供達が暗がりに戸惑いして、自分の部屋へ迷い込んで来たのに違いないと、お客には思われたのである。
彼は優しくたしなめた。
すると、ほんの暫くは静まったが、やがてまた、優しい、弱々しい、うら哀しげな声が、お客の耳元で、「兄さん寒かろう?」と尋ねた。
すると、別な優しい声が、「お前寒かろう?」と、労わる様に答えた。
お客は起上がって、もう一度行燈に灯りを点け、部屋の中を見回したが、誰も居なかった。
障子は全部閉まっていた。
戸棚を調べてみたが、空っぽだった。
不審に思いながら、灯りを点けたまま、再び横になった。
すると、直ぐさま枕元で、またもや訴える様に、人声がした。
「兄さん寒かろう?」
「お前寒かろう?」
そこで初めてお客は、体中にぞっと寒気を感じたが、それは夜の寒さとは違ったものだった。
話し声は、何度も何度も聞えて来た。
そして、その度毎に、益々恐くなって来た。
と言うのは、その声が蒲団の中から聞えるのが、判ったからである。
この様に声を出しているのは、掛け蒲団だったのである。
お客は大急ぎで、僅かばかりな身の回りの品を纏めると、階段を下りて行って、宿の主人を起し、事の次第を話した。
すると主人は大層腹を立てて答えた。
「実際の所、お客さんのお気に入る様に、万事手を尽くして居るんです。
所が、お客さんはお酒をあまり召し上がったんで、悪い夢を見られたんですよ。」
それでもお客は、直ぐ勘定を払って、何処か他の所の宿を探す、と言って聞かなかった。
明くる日の晩、また一人のお客が来て、一夜の宿を求めた。
夜が更けると、主人はこの泊り客に起されて、また同じ話を聞かされた。
しかし今度のお客は、不思議な事に、酒を少しも呑んでいなかった。
そこで主人は、これは何か自分を妬んで、商売を潰そうと企んだものと思って、激しい語調で答えた。
「お客さんのお気に召す様に、万事手を尽くして居るんです!
それなのに、お客さんは、縁起でもない、忌々しい事を仰る!
所で、この宿屋が、手前の暮らしを立てる家業だという事も、ちゃんと御存知の筈です!
一体、何でこんな事を言われるのか、実に怪しからん話です!」
そこでお客の方も癇癪を起して、もっと酷い事を大声で怒鳴り立てた。
こうして双方とも、かんかんに怒ったまま別れた。
しかし、お客の立ち去った後で、主人はどうも変だと思い、二階のその空いた部屋へ行って、蒲団を調べてみた。
すると、そこに居る内に、あの人声が聞えて来た。
そこで主人は、二人のお客の話が、全く本当だった事が、解ったのである。
声を立てたのは、一枚の――ただ一枚の掛け蒲団だけだった。
その他の物は、ひっそりとしていた。
主人は、その掛け蒲団を自分の部屋に持って行って、それから夜が明けるまで、それを着て寝た。
すると、その声は、「兄さん寒かろう?」、「お前寒かろう?」と、夜明けの頃まで言い続けた。
それで彼は、眠る事が出来なかった。
しかし夜が明けると、主人は起上がって、この蒲団を買った古手屋の主人を、尋ねに出掛けた。
所が、その商人は何も知らなかった。
彼は、その蒲団をもっと小さな店から買ったのだった。
そして、その小店の主人は、町のずっと場末に住んでいる、更にもっと貧しい商人から買い受けたとの事だった。
それで宿屋の主人は、次から次へと尋ね歩いた。
こうして最後に、その蒲団は町外れの貧しい一家の物であったのを、その家族が住んでいた小さな家の家主が買い取った物であるという事が、判って来た。
所で、その蒲団の由来というのは、こうであった。
その小さな家の家賃は、一ヶ月僅か六十銭にすぎなかったが、それでもこの貧しい人達にとっては大した支出だった。
父親は殆ど稼ぎが無く、母親は病身で働けなかった。
それなのに子供が二人――六つと、八つになる、男の子が居た。
しかも、この一家は、鳥取では余所者だった。
或る冬の日に、父親が病気になって、一週間患った後、死んで埋葬された。
それから、長い間病気だった母親がその後を追い、子供達だけ残された。
助けて貰える様な人は、一人も知らなかった。
それで、生きる為に、売れる物は何でも売り始めた。
それも、沢山は無かった。
亡くなった父や母の着物、自分達の着物の大部分、幾枚かの木綿の夜具、それと少しばかりの粗末な世帯道具類――火鉢、どんぶり、茶碗、その他のこざこざした物くらいだった。
子供達は毎日何かを売って、とうとう一枚の蒲団の他には、何も無くなってしまった。
こうして、何も食べ物の無い日がやって来た。
それに、家賃も払ってなかった。
恐ろしい大寒がやって来た。
その日は大変雪が高く積って、子供達は外へ出て行けなかった。
それで二人は、一枚の蒲団の下に寝て、一緒に震えながら、子供らしいやり方で、互いに慰め合うより他無かった。
「兄さん寒かろう?」
「お前寒かろう?」
火は無く、燃やし付ける物も無かった。
やがて、暗くなって来た。
そして氷の様な風が、この小さな家の中に、ぴゅうぴゅう鳴りながら、吹き込んで来た。
子供達は風が恐ろしかったが、それ以上に家主が恐かった。
と言うのは、家主は荒々しく子供達を起して、家賃を請求したのである。
この家主は人相の良くない、冷酷な男だった。
それで家賃を払う者が居ない事が解ると、子供達を雪の中へ追い出し、たった一枚の蒲団も取り上げて、家に錠を下ろしてしまった。
子供達は、それぞれ紺の薄い着物一枚しか、着ていなかった。
他の着物は皆食べ物を買う為に、売り払ってしまったからである。
それに二人は、何処へも行き処が無かった。
それ程遠くない場所に観音堂が在ったが、あまり雪が深いので、そこまでは行けなかった。
それで家主が帰った後、二人はこそこそと家の後ろへ引き返した。
寒さの為に眠気が差して来たので、兄弟は暖を取る為、抱合って眠った。
こうして眠っている間に、神様は二人に新しい蒲団を着せてくれた。
――それは、この世の物と思えぬ程、真っ白な大変美しい蒲団だった。
それで、二人はもう寒さを感じなかった。
幾日も幾日も、そこに眠っていた。
それから、或る人がこの兄弟を見付けて、千手観音堂の墓場に、二人の寝床を作ってやった。
家主の主人は一部始終を聞くと、その蒲団を観音堂の坊さんに寄進して、小さい者達の霊の為に、お経をあげて貰った。
それで蒲団は、その後は物を言わなくなった。
…小泉八雲は、この話を、自身の日本に関する最初の著作で在り、日本研究の最初の著書でも在る『知られぬ日本の面影(1894年出版)』の中で紹介している。
寝苦しくても、蒲団はしっかり掛けておいた方がいい。
深夜、食み出した手や、足を、そぉっと撫でる手が…無いとは言い切れないだろう?
今夜の話は、これでお終い。
何時もの様に、蝋燭を1本、吹消して貰えるかい。
……有難う。
また…1つ、明りが消えたね。
では気を付けて、帰ってくれ給え。
いいかい?
…明るい所に出るまで……後ろは絶対に振り返らないように。
夜に鏡を覗くのも禁物だ…。
それでは御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。
『怪談・奇談(小泉八雲 著、田代三千稔 訳、角川文庫 刊)』より
*小泉八雲の墓は、東京雑司ヶ谷霊園に在る。
春には桜が咲いて美しい。