瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

2023年、クリスマスには歌を歌おう♪その10

2023年12月31日 17時51分59秒 | クリスマス
はあぃ♪ミス・メリーよ♪
泣いても笑っても、今年も後数時間で終わってしまうわね…
皆とも後2日でお別れ…やり残しが無い様に、メリー頑張るわ!

10夜目に紹介する詩は、クリスマスと言うより、年末恒例のものかしら?
ドイツの偉大な作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが、1824年に作曲した彼の9番目にして最後の交響曲第九番、日本で通称「第九」と呼ばれる曲の4楽章最後の声楽パート、「歓喜の歌」の歌詞に引用された、フリードリヒ・フォン・シラー作「歓喜に寄す」よ。
ちなみに「第九」が年末に演奏されるようになったのは、第一次世界大戦後の1918年、ドイツの名門オーケストラのライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が、大晦日に「第九」を演奏した事が切っ掛けと云われてるわ。
日本でも第二次世界大戦後の1947(昭和22)年の末に、日本交響楽団(現NHK交響楽団)が第九のコンサートを開催し、それがあまりに評判良かった為に、年末は「第九」を演奏する習慣が出来たんですって。
ドイツでも日本でも、背景には戦争が在ったのね。

ところでベートーヴェンが引用したという、フリードリヒ・フォン・シラー作の詩、実は「第九」で歌われる歌詞とかなり内容が違うって知ってたかしら?
ベートーヴェンはシラーの「歓喜に寄す」を読んでいたく感動し、詩に曲を付けようと思い立ったのが「第九」誕生の切っ掛けとされてるけど、シラーの詩をそのまま引用したんじゃなくて、主に前半部から抜粋し、自作の詞を声楽パート冒頭に加えた上、シラーの詩の内容を改変までしてるのよ。
その為に発表当時はシラーのファンから物凄く批判されたらしいわ。
当時ドイツではシラーの詩が大ブーム、大勢のドイツ人が知ってたんですって。
交響曲で合唱をメインに据えるアイデアはベートーヴェンが初で、その斬新な試みはベートーヴェンのファンに絶賛された一方、シラーの詩を愛する人達からは総スカンを食らってしまい、第4楽章だけ演奏されない事も有ったそうよ。
今じゃ信じられない話ねー。
それじゃあどんな風に違ってるのか、両者の詩を比較してみましょうか?


「歓喜に寄す(フリードリッヒ・フォン・シラー作)」

喜びよ、美しい神々の閃光よ
楽園の世界の娘よ
私達は足を踏み入れる、炎に酔い痴れつつ
天なるものよ、そなたの聖所へと
そなたの魔力の力は再び結び付ける
世の中の時流の剣が分け隔てていたものを
乞食が王公の兄弟になるのだ
そなたのその柔らかな翼が憩うところで
抱き合おう、幾百万の人々よ!
このキスを全世界に!
兄弟達よ、星の輝く天幕の彼方に
慈愛に満ちた父が絶対に居るに違いない

大きな幸せを得た者は、 1人の友の友となり
優しい妻を得た者は、その喜びを共にしよう!
そうだ、たとえたったひとつの魂であっても
自分のものと呼べるものが、世界の中に在るならば!
そしてそれが出来ない者は、そっと出て行くしかない
涙しながらこの集まりの外へ!
この大きな環に住む者らは
共感を尊び育め!
それは我々を星の世界に導く
あの未知なるもの (主) が君臨しているところへ

喜びを飲む、全ての生きとし生けるものは
自然の乳房から、全ての善きもの、全ての悪しきものも
その薔薇の道を追い求めて行く
喜びは私達にキスと葡萄 (酒)とを与えた、そして死の試練を乗り越えた友を
快楽は虫に(も) 与えてしまい (与えられ)
そして天使ケルビムは立っている、神の前に
幾百万の人々よ、お前達は跪く事はないのか?
世界よ、創造主を感じられるか?
彼を星の輝く天幕の彼方に探せ!
星の彼方に彼は必ずや居るに違いない

喜びは力強いバネだ
久遠の自然の中において喜びよ、喜びこそが歯車を回す
その巨大な宇宙時計において
それは花々を蕾から誘い出し
恒星たちを天空から (誘い出し) 天球を空間で回転させる
予言者の遠眼鏡が知らぬところで
朗らかに、創造主の恒星たちが飛び回る様に
壮大な天空を駆け抜けて進め、兄弟よ、お前達の行く道を
喜びに満ちて、勝利に向かう英雄の様に!

真理の炎の鏡の中から
それは探究する者に微笑みかける
美徳の険しい丘に
それは耐え忍ぶ者の道を導く
信仰の輝ける山々の頂には
その旗が風に翻るのが見え
砕かれた柩の裂け目からは
それが天使の合唱の中に立っているのが (見える)
耐え忍べ、勇気を持って、幾百万の人々よ!
耐え忍べ、より良い世界の為に!
星の輝く天幕の彼方の天国で
大いなる神が報いてくれるだろう

人が神々に報いる事は出来ない
しかし神々に倣うのは素晴らしい事だ
悲嘆にくれる者も貧しい者も出て来い
朗らかな者と一緒に喜べ
怒りも復讐も忘れてしまえ
不倶戴天の敵も許すのだ
彼に涙を強要するな
悔恨が彼を苦しめるようにと願うな

貸し借りの帳簿は破り捨ててしまえ!
世界全てが和解しよう!
兄弟よ
星の輝く天幕の彼方では
神が裁く、我々がどう裁いたかを

喜びは杯に湧き返る
葡萄の黄金の血の内に
残忍な者は優しい心を飲み込み
絶望は勇気を (飲み込む)
兄弟よ、お前達の席から飛び立て
なみなみと満たされた大杯が座を巡ったら
その泡を天に迸らせよう
このグラスを善き精霊に!
星の渦が褒め称えているもの
セラフィムの聖歌が賛美するもの
このグラスを善き精霊に
星の輝く天幕の彼方にまで!

重い苦悩には不屈の勇気を
無実の者が泣いているところには救いを
固い誓いには永遠を
友にも敵にも真実を
王座の前では男子の誇りを
兄弟よ、たとえ財産と生命を懸けてでも
功績には栄冠を
偽りの輩には没落を!
神聖なる環をより固く閉じよ
この黄金の酒に懸けて誓え
誓約に忠実であることを
これをあの星空の審判者に懸けて誓え!

暴君の鎖からの救出を
悪人にもまた寛大さを
死の床で希望を
処刑台で慈悲を!
死者もまた生きるのだ!
兄弟よ、飲み、そして調子を合わせよ
全ての罪人は赦され
そして地獄はもはや何処にも無い
朗らかな別れの時!
棺衣に包まれた甘美な眠り!
兄弟よ
優しい判決を
死の時の審判者の口から!



(ベートーヴェン作「第九」声楽パートの歌詞)
おお友よ、このような旋律ではない!
もっと心地良いものを歌おうではないか
もっと喜びに満ち溢れるものを
(↑上3行がベートーヴェン作詞)

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上楽園の乙女よ
我々は火の様に酔いしれて
崇高なる者(歓喜)よ、汝の聖所に入る

歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上楽園の乙女よ
我々は火の様に酔いしれて
崇高なる者(歓喜)よ、汝の聖所に入る

汝が魔力は再び結び合わせる
時流が強く切り離したものを
全ての人々は兄弟となる
汝の柔らかな翼が留まる所で

1人の友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
自身の歓喜の声を合わせよ

そうだ、地球上にただ1人だけでも
心を分かち合う魂が在ると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしても出来なかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい

全ての存在は
自然の乳房から歓喜を飲み
全ての善人も全ての悪人も
自然がつけた薔薇の路を辿る

自然は口付けと葡萄の木と
死の試練を受けた友を与えてくれた
快楽は虫けらのような者にも与えられ
智天使ケルビムは神の前に立つ

天の壮麗な配置の中を
星々が駆け巡る様に楽しげに
兄弟よ、自らの道を進め
英雄が勝利を目指す様に喜ばしく

抱き合おう、諸人よ!
この口付けを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
聖なる父が住み給うはず

跪くか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界中の者どもよ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住み給う


…読み比べてみて、どう感じたかしら?
シラー作の詩は重々しくて気迫に満ち溢れてるわね。
特に6章以降は、争い尽きない今読むと、深いメッセージに思えるわ。
シラーの詩の中で神は天空から地球を見詰める絶対神のイメージ、対してベートーヴェンが書く詩には乙女が出て来て女性的イメージだわ。
まるでラブレターの様に甘い内容に改変されていて、当時のシラーファンが怒って受け入れなかったのも、メリー解る気するわ(笑)。
いつの世も、他人の原作在りきの作品化には、原作への配慮が求められて、クリエイターは大変ね。

さて、2023年最後のクリスマス・ソングを紹介するわ――「Auld Lang Syne(オールド・ラング・サイン)」♪
歌はこちらを参考にね――って「歓喜の歌」じゃないのかって?…それも考えたんだけど、やっぱり大晦日だものね~。
ちなみに日本版「よろこびの歌」なら、以前採り上げた事有るから、良ければ過去記事を読んでねv
今夜のメリーの話はお終い、2024年元日も一緒に楽しくクリスマスソングを歌いましょう♪



【Auld Lang Syne(オールド・ラング・サイン)】




Should auld acquaintance be forgot♪
And never brought to mind♪
Should auld acquaintance be forgot♪
And days of auld lang syne♪

And days of auld lang syne my dear♪
And days of auld lang syne♪
Should auld acquaintance be forgot♪
And days of auld lang syne♪


And there's a hand my trusty fiere♪
And gies a hand o' thine♪
We'll tak a cup o' kindness yet♪
For auld lang syne♪

For auld lang syne, my dear♪
For auld lang syne♪
We'll tak a cup o' kindness yet♪
For auld lang syne♪



【訳】
旧き友は忘れたまま、
決して心に戻る事は無いのか?
旧き友も、
懐かしき昔の日々も忘れるべきなのだろうか?

懐かしき昔の日々よ、我が愛しき者よ
懐かしき昔の日々よ
旧き友も、
懐かしき昔の日々も忘れるべきなのだろうか?


この手を取れ、我が信友よ
そして手を貸してくれ
優しさの一杯を交わそうではないか
懐かしき昔の為に

懐かしき昔の日々、我が愛しき者の為に
過ぎ去りし懐かしい昔の為に
優しさの一杯を交わそうではないか
懐かしい昔の為に



…こんばんは、びょりです。
今回の内容は、年末にBSテレ東で放送した「第九特集」に影響受けました…ってメリーさんが言ってました💦
第九の初演は失敗だったって聞いた事有るけど、その背景にシラー作「歓喜に寄す」の人気の高さが有ったとは知らなんだ。
確かに双方の詩を読み比べると、全く違う印象を抱く。
シラーの詩の訳は浜松フロイデ合唱団様のサイト(←https://www.freude.or.jp/column/03/)より引用しました…無断で御免なさいm(__)m💦

写真はハウステンボス、ドムトールンに飾ってあったクリスマスツリー。
遥か高みから~をイメージして。

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