はぁい!ミス・メリーよ!
今日は『クリスマスツリーの起源』について、話すわね!
『クリスマスツリー』という言葉が歴史に登場するのは1600年頃――アルザス(現フランス領)のシュレットシュタットの会員制酒場のマスター、バルタザール・ベックの日誌からだとの事だけど、木に物を吊るして飾るといった風習は、それこそキリストが誕生するずっと以前から世界中で有ったらしいわ。
古代ギリシャでは『エイレシオーネー』という、オリーヴの枝に羊毛を巻きつけパンや収穫したばかりの果実を吊るした物を、アポロン神殿に奉納してたというし、古代インドでは15mもある大竹に果実や装飾品等の様々な物で飾り立てた『インドラの旗竿』なる物を奉ったと云うわ…日本にも『七夕の笹の葉飾り』なんて風習が有るけど、ひょっとしたらこの辺りとも繋がってるのかもしれないわね。
クリスマスツリーに物が吊るされるのは何故か?
それはクリスマスの元祖が、太陽の復活と新たな年の恵みを祈願する『冬至祭』であった事に大きな理由が有るわ。
前述した通り、古代より収穫祭・冬至祭の折には、生命の息づく葉の繁った枝にリボンや木の実等で飾り立てるといった風習が、それこそ世界各国津々浦々で有って、勿論古代ヨーロッパにも存在していたの…木に物を飾る事で来る年にもこんな風に大いなる実りが有る事を、豊穣と幸福を願う為だったのね。
飾り立てた木は元来『モミ』の様な針葉樹ではなく広葉樹だったそうだけど…気候の変化や、人が木の実を家畜の飼料に、落ち葉は堆肥にしようと持ち去った為に、本来在った広葉樹の森は次第に荒廃してしまったの、で、15世紀頃から痩せた土地でも簡単に育つ針葉樹の種が蒔かれて行き…針葉樹の方が広葉樹より数が増えて、手軽に入り易くなり…何時しか針葉樹を飾り立てる様になって行ったんじゃないかって。
それと凍てつく様な真冬のヨーロッパの森に在って尚、緑を絶やさぬ針葉常緑樹は、枯渇する事の無い生命力の象徴として、ヨーロッパの人々に崇拝の念を抱かせたのでしょうね…中でも横から見ると三角形な形状の『モミ』は、この三角形がキリスト教の教えの『三位一体』を表しているとして、当時、根強く残ってた樹木信仰をキリスト教の教えに取り込もうと躍起になっていた、キリスト教伝道師達の目的にも適う木として普及が進んだみたい。
古代の冬至祭の名残からか、初期にクリスマスツリーに飾られたのは食べ物中心だったそうよ、そしてその飾りを子供達が揺すって落として食べたという記録が残ってるそう…今のようなお飾り一辺倒タイプになったのは、第一次世界大戦以降の事なんですって。
最初クリスマスツリーは、ライン川の上流の谷間にのみ見られただけだったけど、徐々にドイツの他の地域でも人気を得る様になってったの。
1820年代頃にイギリスのカロライン女王の側近の1人が、子供のパーティー用にドイツから持って来た事により、イギリス王家にもクリスマスツリーが伝えられて…その他にもマンチェスターに移住したドイツの商人達からとか…そんな風に1840年代頃までにはヨーロッパ中にかなり広められていたんですって。
ちなみに日本でクリスマスツリーにされてるのは主にドイツトウヒで、モミではないんだそう…ハウステンボスのツリーもドイツトウヒやヒマラヤ杉だったわね。
ヨーロッパモミは、ドイツ南部以西のヨーロッパに自生しているらしいけど、北欧やイギリスには見られない為、それらの地域でもドイツトウヒが主にクリスマスツリーにされているんですって。
そうそう、日本にクリスマス・ツリーが伝わったのは、江戸時代の頃だと言われてるわ。
1860年12月の江戸時代も終盤に、来日した諸外国の高官を持成す為、芝赤羽の宿舎で日本最初のクリスマスパーティーを開いた記録が残ってるんですって。
その時、椿の花や提灯や綿や砂糖菓子をいっぱい枝に下げたクリスマスツリーを飾ってたらしいの。
クリスマスツリーはキリスト教にとって異教である、樹木信仰の色合いを強く残した存在。
昔の人は、1年で1番太陽の光が弱まる冬至の頃を年の節目とし、来る年にもまた、こうして木がたわわに実を付け食べ物に困らない様にとの願いを込めて飾り立てたのね。
…ミス・メリーに代って余談(汗)、クリスマス時期に食べるお菓子として、フランスで『ビュシュ・ド・ノエル』という丸太を象ったお菓子が有るじゃないですか?
あれはヨーロッパでは、クリスマスに森から丸太を切り出して来て暖炉にくべて燃やし、その炭を薬として食べたりしていたという古い慣習から生まれたんじゃないかと推測されているそうで…。
他にも『バウムクーヘン』という木を象ったお菓子も有りますね~、これもヨーロッパではクリスマスに食べるのが倣いだそうな。
斯様な程に、ヨーロッパ人の間では、樹木信仰の念が強い、と。
…ヨーロッパだけでなく、元は世界中皆そうだったんですがねー。
写真の説明~、去年のクリスマスになっちゃうんですが(汗)、ハウステンボス、アレキサンダー広場内に立ってるクリスマスツリー。
去年は白一色でしたが、それもまた聖なる木って感じがして良かったんですが、今年はより一層華やかに煌き輝いています。
『ビネンスタッド、スパーケンブルグ行きのバス停』の位置から見ると、ドム・トールンからスタッドハウスからこの背高のっぽなクリスマスツリーから、重ねて観賞出来て一挙三得出来ますよ~。
写真を撮るには前に在る街路樹が邪魔して×ですが、座ってゆっくり観る分には、あのバス停席はベストスポットな気がします…寒いけどな。(笑)
今日は『クリスマスツリーの起源』について、話すわね!
『クリスマスツリー』という言葉が歴史に登場するのは1600年頃――アルザス(現フランス領)のシュレットシュタットの会員制酒場のマスター、バルタザール・ベックの日誌からだとの事だけど、木に物を吊るして飾るといった風習は、それこそキリストが誕生するずっと以前から世界中で有ったらしいわ。
古代ギリシャでは『エイレシオーネー』という、オリーヴの枝に羊毛を巻きつけパンや収穫したばかりの果実を吊るした物を、アポロン神殿に奉納してたというし、古代インドでは15mもある大竹に果実や装飾品等の様々な物で飾り立てた『インドラの旗竿』なる物を奉ったと云うわ…日本にも『七夕の笹の葉飾り』なんて風習が有るけど、ひょっとしたらこの辺りとも繋がってるのかもしれないわね。
クリスマスツリーに物が吊るされるのは何故か?
それはクリスマスの元祖が、太陽の復活と新たな年の恵みを祈願する『冬至祭』であった事に大きな理由が有るわ。
前述した通り、古代より収穫祭・冬至祭の折には、生命の息づく葉の繁った枝にリボンや木の実等で飾り立てるといった風習が、それこそ世界各国津々浦々で有って、勿論古代ヨーロッパにも存在していたの…木に物を飾る事で来る年にもこんな風に大いなる実りが有る事を、豊穣と幸福を願う為だったのね。
飾り立てた木は元来『モミ』の様な針葉樹ではなく広葉樹だったそうだけど…気候の変化や、人が木の実を家畜の飼料に、落ち葉は堆肥にしようと持ち去った為に、本来在った広葉樹の森は次第に荒廃してしまったの、で、15世紀頃から痩せた土地でも簡単に育つ針葉樹の種が蒔かれて行き…針葉樹の方が広葉樹より数が増えて、手軽に入り易くなり…何時しか針葉樹を飾り立てる様になって行ったんじゃないかって。
それと凍てつく様な真冬のヨーロッパの森に在って尚、緑を絶やさぬ針葉常緑樹は、枯渇する事の無い生命力の象徴として、ヨーロッパの人々に崇拝の念を抱かせたのでしょうね…中でも横から見ると三角形な形状の『モミ』は、この三角形がキリスト教の教えの『三位一体』を表しているとして、当時、根強く残ってた樹木信仰をキリスト教の教えに取り込もうと躍起になっていた、キリスト教伝道師達の目的にも適う木として普及が進んだみたい。
古代の冬至祭の名残からか、初期にクリスマスツリーに飾られたのは食べ物中心だったそうよ、そしてその飾りを子供達が揺すって落として食べたという記録が残ってるそう…今のようなお飾り一辺倒タイプになったのは、第一次世界大戦以降の事なんですって。
最初クリスマスツリーは、ライン川の上流の谷間にのみ見られただけだったけど、徐々にドイツの他の地域でも人気を得る様になってったの。
1820年代頃にイギリスのカロライン女王の側近の1人が、子供のパーティー用にドイツから持って来た事により、イギリス王家にもクリスマスツリーが伝えられて…その他にもマンチェスターに移住したドイツの商人達からとか…そんな風に1840年代頃までにはヨーロッパ中にかなり広められていたんですって。
ちなみに日本でクリスマスツリーにされてるのは主にドイツトウヒで、モミではないんだそう…ハウステンボスのツリーもドイツトウヒやヒマラヤ杉だったわね。
ヨーロッパモミは、ドイツ南部以西のヨーロッパに自生しているらしいけど、北欧やイギリスには見られない為、それらの地域でもドイツトウヒが主にクリスマスツリーにされているんですって。
そうそう、日本にクリスマス・ツリーが伝わったのは、江戸時代の頃だと言われてるわ。
1860年12月の江戸時代も終盤に、来日した諸外国の高官を持成す為、芝赤羽の宿舎で日本最初のクリスマスパーティーを開いた記録が残ってるんですって。
その時、椿の花や提灯や綿や砂糖菓子をいっぱい枝に下げたクリスマスツリーを飾ってたらしいの。
クリスマスツリーはキリスト教にとって異教である、樹木信仰の色合いを強く残した存在。
昔の人は、1年で1番太陽の光が弱まる冬至の頃を年の節目とし、来る年にもまた、こうして木がたわわに実を付け食べ物に困らない様にとの願いを込めて飾り立てたのね。
…ミス・メリーに代って余談(汗)、クリスマス時期に食べるお菓子として、フランスで『ビュシュ・ド・ノエル』という丸太を象ったお菓子が有るじゃないですか?
あれはヨーロッパでは、クリスマスに森から丸太を切り出して来て暖炉にくべて燃やし、その炭を薬として食べたりしていたという古い慣習から生まれたんじゃないかと推測されているそうで…。
他にも『バウムクーヘン』という木を象ったお菓子も有りますね~、これもヨーロッパではクリスマスに食べるのが倣いだそうな。
斯様な程に、ヨーロッパ人の間では、樹木信仰の念が強い、と。
…ヨーロッパだけでなく、元は世界中皆そうだったんですがねー。
写真の説明~、去年のクリスマスになっちゃうんですが(汗)、ハウステンボス、アレキサンダー広場内に立ってるクリスマスツリー。
去年は白一色でしたが、それもまた聖なる木って感じがして良かったんですが、今年はより一層華やかに煌き輝いています。
『ビネンスタッド、スパーケンブルグ行きのバス停』の位置から見ると、ドム・トールンからスタッドハウスからこの背高のっぽなクリスマスツリーから、重ねて観賞出来て一挙三得出来ますよ~。
写真を撮るには前に在る街路樹が邪魔して×ですが、座ってゆっくり観る分には、あのバス停席はベストスポットな気がします…寒いけどな。(笑)
だからがんばってパティスリーで《ノエル》を食べて、お土産にバームクーヘンを買って帰ったんですわ 雨の中、、
ってウソウソ(*^。^*)
でも《ノエル》見た目は去年の「ラブラブサンタ」のほうがよかったかも。。。味は美味しかったよ
昔、なぜ朝になったら自分の欲しいものが枕元にあるのか本当に不思議でした。お手紙をクリスマスツリーにつるしておいたら、イブの日の翌日の朝にプレゼントが届いていました。
うちの子はみんなもう大きいので、サンタさんの正体は知っていますが、私は、いないという証拠もないし、人それぞれの心の中に一人ずつサンタさんがいるんだよ。。とわかったようなことを言ってごまかしています。
そうね~~見た目だけなら確かに去年のケーキのがラブリーなデザインだったかしら?(苦笑)
けどそう、クリスマスの根幹を考えるならば、そこはやっぱり木を模ったお菓子を食べなくっちゃ。
クリスマスツリーの起源って、物が『木』なだけに根が深いのよね~。
でも一旦此処で話打ち切るわ、でないとブログが全部この話題で埋まっちゃうから、ゴメンなさいねv
ふくちゃんさん…そうそう!クリスマスと言えば、やっぱりサンタクロースが主役よね!
お待たせv今日と明日はサンタさんのお話よv
今の世の中、「我輩こそはサンタなり~!!」って名乗りを上げる方が沢山いらっしゃって、或る意味良い時代よね♪
だってそれだけ子供の夢を守りたいっていう大人が居るって事だもの。
きっとね、クリスマスの夜に灯る明りの数だけ、サンタクロースは存在するんだわ。
メリー、そう思うの。
何て…ちょっとメルヘン思考過ぎるかしら?(苦笑)
皆さんコメント有難う!メリー、とっても嬉しいわv