やあ、いらっしゃい。
今夜はプーアル茶を用意して、お待ちしていたよ。
今淹れるから腰掛けて寛いで居てくれ給え。
さて……妖精は恐ろしい存在で、人間とは相容れない者達だと、これまではお話して来たね。
しかし他方で、人間の生活に関わり合おうと、積極的に近付いても来る。
今夜から3晩は、それを実証する様な妖精譚を、お聞かせしよう。
昔、イングランドのセルクカークシャーと言う所に、器量良しだが陽気で怠け者の娘が居た。
当時は女性の仕事として糸紡ぎが必須だったが、娘はそれよりも野原を彷徨って花を摘む方が好きだった。
反対に娘の母親は家庭的かつ、とても上手な紡ぎ手だったので、娘にやり方を根気良く何度も教えた。
…が、全く物にならず、終いには堪忍袋の緒を切らしてしまい、娘を寝室に閉じ込めると、糸車と7人分の繰り綿を運び込んで、こう言った。
「この7つのかせに、3日の内に糸を紡ぎなさい!
でないと2度と外に出させないからね!」
憤然として母親が行ってしまうと、娘は涙が涸れるまで泣いていた。
母親が真剣に怒っている事を理解した娘は、1日中ずっと糸車に取組んでいたが、生来の不器用さ故、容易には行かない。
糸を縺れさせ、手に豆を作り、糸を舐めるので唇は傷付き、それでも何とか瘤だらけで太さがまちまちの糸を、3フィート(1フィートは約30.48㎝、つまり約1mって事ですか)程紡いだが、とても織ったり編んだり出来そうな代物ではなかった。
そうこうしている内に、娘は泣きながら眠ってしまった。
翌朝早く目が覚めると、太陽は輝き小鳥が囀っていた。
爽やかな朝の景色を窓から眺めて…目の前に有る自分が紡いだ僅かの糸を見た娘は、こう思った。
「此処に居たって気持ちが落ち込むばかりだわ。
外に出て冷たい空気に当り、気晴らしして来よう。」
そこで娘は母親に気付かれない様、階段をそっと抜き足で降り、母親の寝室を通り抜けると、ドアを静かに開けて、野原の方へ走って行った。
あちらこちら歩き回りながら、野原に咲いてるプリムローズを摘んだり、小鳥の囀りを聞いたり…
…そうして居つつも、頭の中に浮ぶのは母親の怒った顔。
早く家に戻って作業をしなければ…と思い出した頃、ふと傍に小さな土塚が在るのが目に付いた。
その近くには、穴開き石が転がっている。
娘はそこに腰を降ろすと、辛い立場を思い起して、わっと泣き出してしまった。
所で当時此の地の人は、穴開き石の穴を覗けば、妖精の姿が見えると信じていた。
泣いてる娘の耳に……穴の中から、奇妙な音が聞えて来た。
ブンブンという音と、それに合せて小声でキーキー歌う声。
顔を上げて穴を覗く娘の目に、奇妙な小さい老婆が、忙しなく糸車の棒を動かしたり、糸を長い唇から引張り出したりしている様が入って来た。
「好いお天気ですね、お婆さん。」
娘は誰にも愛想が良い性格だったので、気さくに話し掛けた。
「ああ、お早う、娘さん。」
そんな娘を気に入ったらしく、小柄な老婆もこう挨拶を返した。
「お婆さんの唇、どうしてそんなに長いのかしら?」
無邪気な子供の様に、娘が尋ねる。
「糸を引っ張る為だよ、娘さん。」
老婆は娘に、こう答えた。
「私もそんな風に唇をしなけりゃ行けないのかしら?
でも上手く行かないのよ。
ちっとも出来やしない。」
娘はこれまでの事情を皆話した。
「心配しなくて良いよ、娘さん。
繰り綿を持っといで。
あんたの母さんが催促するまでに、私がちゃんと紡いであげるから。」
老婆は親切に、こう言った。
そこで娘は飛んで帰ると、こっそり部屋に戻り、素早く繰り綿を取って、急いで戻った。
「所で、お婆さんは何と言う名前なの?
糸にして貰ったら、何処に取りに行けば良いの?」
娘は老婆に尋ねた。
しかし娘から繰り綿を受取ると、老婆は見る間に消えてしまった。
娘はどうして良いか判らず…石に腰掛けて待っていた。
頭上の太陽は燦々と照らしてい、心地良い暖かさに、何時の間にやら娘は眠り込んでしまった。
辺りの空気が冷えた頃目を覚ますと…陽はすっかり沈んで、暗くなっていた。
娘の耳には前より大きく、紡いだり歌ったりする音が聞えて来る。
穴開き石から明りが漏れているのが目に入り、娘は膝を着いて中を覗いてみた。
――異様な光景が、穴の中に見えた。
洞窟に似た中に、沢山の奇妙な格好をした老婆達が、糸車の前座って、せっせと気狂いの様に糸を紡いでいる。
誰も彼も長い長い唇をして指は平たく、背中はせむしの様に曲っていた。
その中に、あの友達になった老婆も混じっている。
一際醜い老婆が離れて1人、皆からスキャントリー・マブと呼ばれ、敬われている様だった。
どうやら群れの中の長らしい。
「もう殆ど仕上がるよ、スキャントリー・マブ。」
友達になった老婆がこう言って笑う。
そうして――
「急いで糸を束ねておくれよ。
あの娘が母親の所へ持って行くまでに、渡しに行かなきゃならないからね。
それにしても、あの丘の小さい娘っ子は知るまいよ。
私の名前が『ハベトロット』だと言う事をね。」
――と仲間達に言った。
今の言葉で、老婆の名前と何処で会うのかが解った娘は、部屋にすっ飛んで帰った。
するとハベトロットが現れ、美しく紡ぎ上がった7つの糸かせを、娘に渡してくれた。
「まあ、どうやって御礼をしたら良いかしら?」
娘が言うと――
「御礼はいいよ。
但し、誰が糸を紡いだか、母さんに言っちゃいけないよ。」
――と、ハベトロットは言った。
そして「もし私が必要になったら、呼んでおくれ」と言い残し、暗闇の中消えてしまった。
その晩……娘の母親は、早目に床に入っていた。
ブラック・プディング(豚の血や脂肪の腸詰の事、要はソーセージです)作りを1日中行い、疲れていたからだ。
台所に降りた娘の目に、乾かす為たる木から下げられてた、そのブラックプディングが入った。
娘は美しく仕上げて貰った紡ぎ糸を、母親の目に付く様広げて置くと、乾かしてあったブラックプディングを火で炙って食べた。
酷くお腹が空いていた娘は、忽ち7つ全部平らげてしまった。
それから娘はそっと爪先で階段を上るとベッドに入り、頭が枕に付くか付かぬ内に、ぐっすり眠ってしまった。
次の朝、母親は起きて台所に入り、7つの美しい紡ぎ糸が置かれてるのを見付けた。
この地方のどんな上手な紡ぎ手がやったよりも、綺麗に仕上げられていた。
母親は驚いて、それらをマジマジと見詰た。
ふと気付けば、昨夜自分が一生懸命拵えた筈の、ブラックプディングが見えない。
ただフライパンだけが、火の傍に立てかけて有った。
母親は腹立たしいのと嬉しいのとが一緒くたになって、もうどう表現して良いか解らない気持ちになり、ベッドガウンのまま外へ飛び出すと、気狂いの様に大声で叫んだ。
「娘が紡いだ、7つ7つ7つ!
娘が食べた、7つ7つ7つ!
それも皆夜明け前」
あまりの大声に娘は目を覚ますと、急いで起きて服を着た。
驚き喚く母親の前、偶々若い領主が馬に乗って通り掛った。
「何をそんなに喚いてるのかね?おかみさん。」
領主がこう言うと、母親はまた歌う様に言った。
「娘が紡いだ、7つ7つ7つ!
娘が食べた、7つ7つ7つ!
もし私の言う事をお信じにならぬなら、どうぞ中に入って御自分の目で確かめて下さいまし、御領主様!」
そう言って母親が家に案内する。
領主は、台所に置かれた美しく紡いである糸の束を見ると、紡ぎ手は誰かと尋ねた。
そして、起きて下に降りて来た娘の姿を見ると、結婚したいと申し込んだ。
領主は凛々しく立派で心も優しいと評判高かったので、娘は喜んで「はい」と応えた。
結婚後…娘はたった1つだけ、困った事が有った。
それは領主が、あの時の様に、また彼女に素晴しい糸を紡いでくれと、何度もせがむ事だった。
困った娘は、あの穴開き石の所へ出掛けて行くと、ハベトロットを呼んだ。
驚いた事に、ハベトロットはもう娘の悩みを知っていて、こう言った。
「心配しなくて良いよ、娘さん。
此処にその領主さんを連れておいで。
上手く私達がやってあげるからね。」
次の日の夕暮れ時、娘と領主は穴開き石の傍に立っていた。
領主が穴の中を覗く。
そこには醜い姿をした老婆が、大勢で糸を紡いでいた。
それを見て驚いた領主が言った。
「何故あの老婆達は、皆唇があんなに歪んでいるのだろう?」
それを聞いたハベトロットは、大声で領主に言った。
「自分で皆に聞いて御覧。」
領主が老婆達に尋ねる。
すると老婆達は、口々に掠れ声でこう言った。
「わしら糸を紡いで、紡いで、紡いでいるから――」
「そうそう、昔は皆、綺麗だったよ。」
ハベトロットは言った。
「だけど糸紡ぎ手はこんなになってしまうんだよ。
あんたのお嫁さんだって同じさ。
今は綺麗だけど、糸紡ぎをずっと好きでやっていればね。」
「やっては駄目だ!」
領主は叫んだ。
「今日から一切、彼女には糸車に触れさせない!」
「仰る通りに致しますわ、御領主様!」
娘は喜んでこう返した。
その日から領主と娘は、一緒に馬に乗って野山を駆け回ったり、田園を歩き回ったりして過す様になった。
そして繰り綿の仕事は、皆この年取ったハベトロットに渡して、糸に紡いで貰う様になったという。
『ハベトロット』は、この地方で糸紡ぎの守護妖精として崇められている。
手先の不器用な自分としては、是非親しくなりたいものだ。
それにしても、流石は年の功。
実に機知に富んだ答えじゃないか。
領主にとっては働き者の嫁さんよりも、綺麗な嫁さんのが良かったようだね。
…今夜の話はこれでお終い。
さぁ…それでは14本目の蝋燭を吹き消してくれ給え…
……有難う……今日は緊迫する試合が有ったお陰で、目が酷く疲れたんじゃないかい?
どうかゆっくり休んでくれ給え。
いいかい?……くれぐれも……
……家に帰り着くまで、後ろは絶対に振り返らないようにね…。
『妖精Who,s Who(キャサリン・ブリッグズ、著 井村君江、訳 筑摩書房、刊)』より。
今夜はプーアル茶を用意して、お待ちしていたよ。
今淹れるから腰掛けて寛いで居てくれ給え。
さて……妖精は恐ろしい存在で、人間とは相容れない者達だと、これまではお話して来たね。
しかし他方で、人間の生活に関わり合おうと、積極的に近付いても来る。
今夜から3晩は、それを実証する様な妖精譚を、お聞かせしよう。
昔、イングランドのセルクカークシャーと言う所に、器量良しだが陽気で怠け者の娘が居た。
当時は女性の仕事として糸紡ぎが必須だったが、娘はそれよりも野原を彷徨って花を摘む方が好きだった。
反対に娘の母親は家庭的かつ、とても上手な紡ぎ手だったので、娘にやり方を根気良く何度も教えた。
…が、全く物にならず、終いには堪忍袋の緒を切らしてしまい、娘を寝室に閉じ込めると、糸車と7人分の繰り綿を運び込んで、こう言った。
「この7つのかせに、3日の内に糸を紡ぎなさい!
でないと2度と外に出させないからね!」
憤然として母親が行ってしまうと、娘は涙が涸れるまで泣いていた。
母親が真剣に怒っている事を理解した娘は、1日中ずっと糸車に取組んでいたが、生来の不器用さ故、容易には行かない。
糸を縺れさせ、手に豆を作り、糸を舐めるので唇は傷付き、それでも何とか瘤だらけで太さがまちまちの糸を、3フィート(1フィートは約30.48㎝、つまり約1mって事ですか)程紡いだが、とても織ったり編んだり出来そうな代物ではなかった。
そうこうしている内に、娘は泣きながら眠ってしまった。
翌朝早く目が覚めると、太陽は輝き小鳥が囀っていた。
爽やかな朝の景色を窓から眺めて…目の前に有る自分が紡いだ僅かの糸を見た娘は、こう思った。
「此処に居たって気持ちが落ち込むばかりだわ。
外に出て冷たい空気に当り、気晴らしして来よう。」
そこで娘は母親に気付かれない様、階段をそっと抜き足で降り、母親の寝室を通り抜けると、ドアを静かに開けて、野原の方へ走って行った。
あちらこちら歩き回りながら、野原に咲いてるプリムローズを摘んだり、小鳥の囀りを聞いたり…
…そうして居つつも、頭の中に浮ぶのは母親の怒った顔。
早く家に戻って作業をしなければ…と思い出した頃、ふと傍に小さな土塚が在るのが目に付いた。
その近くには、穴開き石が転がっている。
娘はそこに腰を降ろすと、辛い立場を思い起して、わっと泣き出してしまった。
所で当時此の地の人は、穴開き石の穴を覗けば、妖精の姿が見えると信じていた。
泣いてる娘の耳に……穴の中から、奇妙な音が聞えて来た。
ブンブンという音と、それに合せて小声でキーキー歌う声。
顔を上げて穴を覗く娘の目に、奇妙な小さい老婆が、忙しなく糸車の棒を動かしたり、糸を長い唇から引張り出したりしている様が入って来た。
「好いお天気ですね、お婆さん。」
娘は誰にも愛想が良い性格だったので、気さくに話し掛けた。
「ああ、お早う、娘さん。」
そんな娘を気に入ったらしく、小柄な老婆もこう挨拶を返した。
「お婆さんの唇、どうしてそんなに長いのかしら?」
無邪気な子供の様に、娘が尋ねる。
「糸を引っ張る為だよ、娘さん。」
老婆は娘に、こう答えた。
「私もそんな風に唇をしなけりゃ行けないのかしら?
でも上手く行かないのよ。
ちっとも出来やしない。」
娘はこれまでの事情を皆話した。
「心配しなくて良いよ、娘さん。
繰り綿を持っといで。
あんたの母さんが催促するまでに、私がちゃんと紡いであげるから。」
老婆は親切に、こう言った。
そこで娘は飛んで帰ると、こっそり部屋に戻り、素早く繰り綿を取って、急いで戻った。
「所で、お婆さんは何と言う名前なの?
糸にして貰ったら、何処に取りに行けば良いの?」
娘は老婆に尋ねた。
しかし娘から繰り綿を受取ると、老婆は見る間に消えてしまった。
娘はどうして良いか判らず…石に腰掛けて待っていた。
頭上の太陽は燦々と照らしてい、心地良い暖かさに、何時の間にやら娘は眠り込んでしまった。
辺りの空気が冷えた頃目を覚ますと…陽はすっかり沈んで、暗くなっていた。
娘の耳には前より大きく、紡いだり歌ったりする音が聞えて来る。
穴開き石から明りが漏れているのが目に入り、娘は膝を着いて中を覗いてみた。
――異様な光景が、穴の中に見えた。
洞窟に似た中に、沢山の奇妙な格好をした老婆達が、糸車の前座って、せっせと気狂いの様に糸を紡いでいる。
誰も彼も長い長い唇をして指は平たく、背中はせむしの様に曲っていた。
その中に、あの友達になった老婆も混じっている。
一際醜い老婆が離れて1人、皆からスキャントリー・マブと呼ばれ、敬われている様だった。
どうやら群れの中の長らしい。
「もう殆ど仕上がるよ、スキャントリー・マブ。」
友達になった老婆がこう言って笑う。
そうして――
「急いで糸を束ねておくれよ。
あの娘が母親の所へ持って行くまでに、渡しに行かなきゃならないからね。
それにしても、あの丘の小さい娘っ子は知るまいよ。
私の名前が『ハベトロット』だと言う事をね。」
――と仲間達に言った。
今の言葉で、老婆の名前と何処で会うのかが解った娘は、部屋にすっ飛んで帰った。
するとハベトロットが現れ、美しく紡ぎ上がった7つの糸かせを、娘に渡してくれた。
「まあ、どうやって御礼をしたら良いかしら?」
娘が言うと――
「御礼はいいよ。
但し、誰が糸を紡いだか、母さんに言っちゃいけないよ。」
――と、ハベトロットは言った。
そして「もし私が必要になったら、呼んでおくれ」と言い残し、暗闇の中消えてしまった。
その晩……娘の母親は、早目に床に入っていた。
ブラック・プディング(豚の血や脂肪の腸詰の事、要はソーセージです)作りを1日中行い、疲れていたからだ。
台所に降りた娘の目に、乾かす為たる木から下げられてた、そのブラックプディングが入った。
娘は美しく仕上げて貰った紡ぎ糸を、母親の目に付く様広げて置くと、乾かしてあったブラックプディングを火で炙って食べた。
酷くお腹が空いていた娘は、忽ち7つ全部平らげてしまった。
それから娘はそっと爪先で階段を上るとベッドに入り、頭が枕に付くか付かぬ内に、ぐっすり眠ってしまった。
次の朝、母親は起きて台所に入り、7つの美しい紡ぎ糸が置かれてるのを見付けた。
この地方のどんな上手な紡ぎ手がやったよりも、綺麗に仕上げられていた。
母親は驚いて、それらをマジマジと見詰た。
ふと気付けば、昨夜自分が一生懸命拵えた筈の、ブラックプディングが見えない。
ただフライパンだけが、火の傍に立てかけて有った。
母親は腹立たしいのと嬉しいのとが一緒くたになって、もうどう表現して良いか解らない気持ちになり、ベッドガウンのまま外へ飛び出すと、気狂いの様に大声で叫んだ。
「娘が紡いだ、7つ7つ7つ!
娘が食べた、7つ7つ7つ!
それも皆夜明け前」
あまりの大声に娘は目を覚ますと、急いで起きて服を着た。
驚き喚く母親の前、偶々若い領主が馬に乗って通り掛った。
「何をそんなに喚いてるのかね?おかみさん。」
領主がこう言うと、母親はまた歌う様に言った。
「娘が紡いだ、7つ7つ7つ!
娘が食べた、7つ7つ7つ!
もし私の言う事をお信じにならぬなら、どうぞ中に入って御自分の目で確かめて下さいまし、御領主様!」
そう言って母親が家に案内する。
領主は、台所に置かれた美しく紡いである糸の束を見ると、紡ぎ手は誰かと尋ねた。
そして、起きて下に降りて来た娘の姿を見ると、結婚したいと申し込んだ。
領主は凛々しく立派で心も優しいと評判高かったので、娘は喜んで「はい」と応えた。
結婚後…娘はたった1つだけ、困った事が有った。
それは領主が、あの時の様に、また彼女に素晴しい糸を紡いでくれと、何度もせがむ事だった。
困った娘は、あの穴開き石の所へ出掛けて行くと、ハベトロットを呼んだ。
驚いた事に、ハベトロットはもう娘の悩みを知っていて、こう言った。
「心配しなくて良いよ、娘さん。
此処にその領主さんを連れておいで。
上手く私達がやってあげるからね。」
次の日の夕暮れ時、娘と領主は穴開き石の傍に立っていた。
領主が穴の中を覗く。
そこには醜い姿をした老婆が、大勢で糸を紡いでいた。
それを見て驚いた領主が言った。
「何故あの老婆達は、皆唇があんなに歪んでいるのだろう?」
それを聞いたハベトロットは、大声で領主に言った。
「自分で皆に聞いて御覧。」
領主が老婆達に尋ねる。
すると老婆達は、口々に掠れ声でこう言った。
「わしら糸を紡いで、紡いで、紡いでいるから――」
「そうそう、昔は皆、綺麗だったよ。」
ハベトロットは言った。
「だけど糸紡ぎ手はこんなになってしまうんだよ。
あんたのお嫁さんだって同じさ。
今は綺麗だけど、糸紡ぎをずっと好きでやっていればね。」
「やっては駄目だ!」
領主は叫んだ。
「今日から一切、彼女には糸車に触れさせない!」
「仰る通りに致しますわ、御領主様!」
娘は喜んでこう返した。
その日から領主と娘は、一緒に馬に乗って野山を駆け回ったり、田園を歩き回ったりして過す様になった。
そして繰り綿の仕事は、皆この年取ったハベトロットに渡して、糸に紡いで貰う様になったという。
『ハベトロット』は、この地方で糸紡ぎの守護妖精として崇められている。
手先の不器用な自分としては、是非親しくなりたいものだ。
それにしても、流石は年の功。
実に機知に富んだ答えじゃないか。
領主にとっては働き者の嫁さんよりも、綺麗な嫁さんのが良かったようだね。
…今夜の話はこれでお終い。
さぁ…それでは14本目の蝋燭を吹き消してくれ給え…
……有難う……今日は緊迫する試合が有ったお陰で、目が酷く疲れたんじゃないかい?
どうかゆっくり休んでくれ給え。
いいかい?……くれぐれも……
……家に帰り着くまで、後ろは絶対に振り返らないようにね…。
『妖精Who,s Who(キャサリン・ブリッグズ、著 井村君江、訳 筑摩書房、刊)』より。