瀬戸際の暇人

今年も偶に更新します(汗)

異界百物語 ―第98話―

2009年09月04日 20時22分55秒 | 百物語
やあ、いらっしゃい。
今夜も話を聴きに来てくれて嬉しいよ。
会も終りが近い事だし…お礼にとっときの怪談を紹介しよう。
貴殿は『稲生物怪録』と言うのを御存知だろうか?

備後三次(びんごみよし、現在の広島県三次市三次町)の武士であった稲生武太夫(幼名、平太郎)が、寛永二年(1749年)16歳の夏に体験したと言う怪事を纏めた物だ。
その驚くべき内容は藩内で物議を醸し、当人が江戸へ上った際に、江戸の知識人から注目されるようになった。
中でも幽冥界・神仙道研究の始祖である江戸の大学者「平田篤胤」は、この記録こそ幽冥界実在の証明に使用出来ると、徹底的に調査・分析に当たった。
そして後世に残る絵付の妖怪実見記が、篤胤の死後弟子の尽力も有って完成したのである。

前置きはさて置き、始めるとしよう。




備後国三次郡の住人、稲生武左衛門の一子に、平太郎と言う者が在った。
寛永二年五月の末、諸国を歩いて帰郷した相撲取り、三津井権八の訪問を受けた平太郎は、百物語をした後、比熊山に登り、山頂の塚に札を結んで無事に帰ったものの、以来平太郎の周りでは一ヶ月に渡って怪事が起きるようになった。

七月一日、障子が燃え、髭を生やした巨大な手を持つ大男が、塀の上から平太郎に襲い掛かった。
一方、三津井権八も門前で小坊主の妖怪に出会い、金縛りにされてしまった。

七月二日、行灯の火が燃え上がり、天井を焦がすほど大きくなった。
畳の角も少し捲れ上がった。
就寝後、俄かに水が湧き出て、部屋中水浸しとなった。

七月三日の夜、家が鳴り、大地震に見舞われる。
行灯が石塔に変じ、下から凄まじく火を発した。
石塔の幻影が消え、眠りに就こうとすると、今度は天井に動く物が有る。
青い瓢箪が上からぶら下がって来たのだ。
夜中、大きな女の首が出現、血腸を引いて、胸の上に座り込んだ。

七月四日、水瓶の水が氷となり、釜の蓋が開かなくなった。
火吹竹を吹いても風が出ない。
宵、鴨居の上の小さな穴から下駄が飛び出し、部屋を歩き回った。
また蟹の如き石が侵入した。
翌日、近所の車留めの石が化けたものと分かった。

七月七日、盥一つ転げ出る。
夜、台所の入口が白い袖で塞がれ、そこから擂り粉木の様な手がぞろぞろと現れた。
それぞれの手の先から新しい手が生まれ、どんどん増えて行く。
捕まえようとすると消えてしまう。
蚊帳に入ると、今度は目を光らせた坊主の首が、串刺しになって跳ね回りながら入り込んで来た。
眠るどころではない。

七月八日、前夜は眠れなかったので疲労した。
昼から眠っていると近所の者共が集まり、守ってくれると言う。
夜、またしても畳が捲れ上がった。
夜半に、錫杖がじゃらじゃら鳴り、尺八の音が聞えた。
虚無僧がぞろぞろやって来たが、無視すると次第に消えて行った。

七月十日、貞八と言う馴染みの者が来た。
話をしている内に、貞八の頭が大きくなって二つに割れ、中から猿の様な赤子が三人現れた。
赤子は一人の大童子になり、平太郎に掴み掛かって、実に気味が悪い。

七月十三日、妖怪を祓う力を持つ仏影を西江寺から借り受ける事になった。
猟師の長倉と言う者が取りに行く途中、笠袋の様な黒き物と、赤い石の如き物とに打ち襲われる。

七月十四から十五日、長倉が再度、西江寺に赴き、仏影・仏器を借りる。
しかしその夜、仏器、香炉等が、静かに浮き上がった。
仏影の法力現れず、家鳴り激しく、また台所には大きな漬物桶が置かれる。
また香炉が浮き、客に灰を降り掛けた。
客の一人が嘔吐し、皆逃げ帰る。

七月十七日、祈祷済みの札が届く。
しかし夜、輪違いの様な物が沢山現れる。
くるくる回り気味悪い事限り無い。
輪の中に顔が有って、睨んだり笑ったりするのだ。
西江寺の祈祷札は墨で落書きされてしまった。

七月十八日、曲尺の如き光る手が、伸び縮みしながら沢山出現する。
それでも構わずに平太郎は蚊帳に入った。
眠りから覚めた時、蚊帳の上から老婆の巨顔が舌を突き出し、平太郎の体を舐め回していた。
しかし平太郎は更に構わず、為すがままにしておくと、老婆の顔面も消え去った。

七月二十日、妖怪を罠に掛けるべく、踏み落しの罠を十兵衛なる名人に仕掛けをさせた。
十兵衛は古狸・古猫の仕業と確信し、罠を仕掛けて待った。
しかし十兵衛は大きな手に掴まれ、隠れ場所の雪隠の戸諸共引き倒された。

七月二十一日、長き黒髪を足にして歩く逆さ首が、不気味に笑いながら飛び回る。
歯を黒く染めた首が柱の根より次々現れ、髪をくるくる巻いて飛び回る。
膝の上に乗るのを扇で叩こうとすると、鳥の様に飛んだ。

七月二十二日、陰山正太夫と言う者が、自家の名刀を持参した。
夜になるとまた女の生首が現れたので、正太夫は名刀で斬り付けた。
しかし名刀は真っ二つ。
責任を感じた正太夫は、申し訳無しと言って切腹してしまった。
うろたえる平太郎の元へ、正太夫の亡霊が逢いに来る。
朝見ると死体は消えていた。

七月二十四日、中村平左衛門の家より美しい女が使いとして、餅菓子を重箱に入れて持参した。
美しいが油断出来ぬと思い、送り出して見れば、門を出た後何処へか消えてしまった。
同夜、竈から火が出て燃え上がった。
瓶の水をざんぶと掛ければ、掛けるよりも早く消えた。
竈が水浸しになり、灰が流れて不快だった。

七月二十七日、台所の方がもやもやしているので見ると、網の目の如く並んだ人間の顔が在った。
菱形をし、口を開いたり、閉じたりしている。
刀で斬り掛かっても煙を斬る様で手応えが無い。
平太郎は気にしない事にし、蚊帳に入って眠った。
夜中、腹の真ん中で、組紐を結んだ蝦蟇が跳ね回った。
葛籠の化物よ、と思い、紐を握って寝た。

七月二十八日、日暮れて後、壁に人の影が映った。
書見台を前に置き、高らかに書物を読んでいるが、聞き取れない。
同日、夜半に便所へ立った後、奥の縁側に出て涼もうとした。
踏み石に足を下ろそうとすると、冷たくねばねばした死体を踏んだ。
死体が目を開け、瞬きすると、ぱちぱち音がした。
後で見ると、踏み石には何も無かった。

七月二十九日、炭小屋へ行き炭を出そうとすると、物置の戸口いっぱいに大きな老婆の顔が在った。
目をぎょろぎょろさせている。
捨て置くのが一番と思い、火箸を眉間に突き込んで帰った。
帰ると座敷が白く変っており、糊の様に粘った。
仕方が無いので柱に寄り掛かって夜を明かした。

七月晦日の昼、心地の悪い風が吹き渡り、星の光りの様な物が煌く。
蛍が乱れ飛ぶ様に似て思えた。
物寂しい眺めで心細くなったが、屈しなかった。

夜の四つ頃、障子の外から声がして、背が高く恰幅の良い武士が悠々と現れた。
浅黄の裃を着し、腰に両刀差して前に座った武士に、平太郎は脇差を抜いて斬り掛かった。
しかし大男は壁の中に入り込み、笑い声を響かせた。
何者だと問えば、「我は山本(さんもと)五郎左衛門なり」と答える。
平太郎の左側には蓋をした炬燵が有ったが、その蓋が不意に舞い上がり、茶釜を掛けた様な丸い煙が立った。
煙は人の頭の如く膨れ、二つの角になって煮零れる様に、湯がそこから溢れ出した。
よくよく見れば零れ出たのは平太郎が最も苦手なミミズである。
這い寄られるも気絶せぬよう堪える平太郎を見た五郎左衛門は大笑いした。
続いて壁に大きな目鼻が現れ、蜻蛉の目玉の様な目が飛び出して、青白く輝いた。
平太郎が耐え続けるのを見て、五郎左衛門は人の姿に戻り言った。

「我はこれより暇を乞い、汝に会う事も無くなる。
 汝を驚かそうとして、ついつい長居をしてしまった。
 最早敵の神野悪五郎も此処へは来るまい。
 此処に有る槌を汝に譲る故、一生大切に持つべし。
 この後、もし怪事有れば、北に向いて『早く山本五郎左衛門来たれ』と呼び、この化物槌で柱を叩くべし」

五郎左衛門がそう告げる間、冠装束の気高き人の姿が、腰から上だけ見えた。
これこそ自分を守る氏神と気付いた平太郎は、嬉しく思った。
山本五郎左衛門は、「これより退散する故見送り給え」と平太郎に言った。
平太郎が庭を見れば、大勢の供回りが集まり、駕籠を置いている。
皆異形の者共であった。
彼の大男が駕籠に乗る。
小さい駕籠に乗るのは無理と思えたが、毛深い大脚を駕籠から出した形で、身を畳む様に乗り込んだ。

異形の行列は影の如く消えて行った。

夢ではないかと疑ったが、翌朝、六寸程の槌が残っていた。
その後、怪しい事は二度と起らず、平太郎は「武太夫」と改名して、家の跡目を相続した。




…人の想像力の限界に挑戦するような奇想天外な話だが、「実話」として残されている。
主人公の稲生武太夫は実在していた記録が有り、「化物槌」も現存している。
毎年1/7(もしくは1/8)には、広島の国前寺で化物槌の御開帳が行われるそうだ。
そのあまりに非現実に富んだ内容から、当人が語った当時でも眉唾として捉えられていたが、調査を試みる度に彼は内容を少しも違える事無く告白してみせたと云う。

発端は百物語。
怪語らば、怪来る。

この会も後…で百話に到達する訳だが…
会に集まる人達の身に、どんな怪異が現れるのか、私は今から楽しみで仕方ないのだよ……


…今夜の話は、これでお終い。
さあ…蝋燭を1本吹消して貰えるかな。

……有難う……残すところ、後2本になったね……。

それでは気を付けて帰ってくれ給え。

――いいかい?

夜道の途中、背後は絶対に振返らないように。
夜中に鏡を覗かないように。
風呂に入ってる時に、足下を見ないように。
そして、夜に貴殿の名を呼ぶ声が聞えても、決して応えないように…。

御機嫌よう。
また次の晩に、お待ちしているからね…。




『平田篤胤が解く稲生物怪録(荒俣宏、編著 角川書店、刊)』より。

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