聖徳太子研究の最前線

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聖徳太子は英語を話すバイキングだった!(4月1日限定:特別記事)

2021年04月01日 | その他
 えー、毎度馬鹿馬鹿しいお話でご機嫌をうかがいます。夜がふけて日付が変わり、4月1日となったとたん、どこで打つのか寺の鐘が「ボ~~ン」と陰にこもってものすごく響いたため、驚いて立ち上がろうとしたところ、椅子がぶつかってマンションの壁が少し壊れ、そこから古い巻物が出てまいりました。こうしたことは、前にもあったような気がいたします(こちらと、こちら)。

 その巻物を広げてみるってぇと、和紙に墨で書かれているのに、すべて横書きの英語であって、冒頭には The world is false, Buddha alone is true! と大書されておりました。驚いたのなんのって。これは、「天寿国繍帳銘」に見える聖徳太子の有名な言葉、「世間虚仮、唯仏是真」の英訳じゃございませんか。

 いや、六世紀末か七世紀初頭としか思われない紙質の古さを考慮すると、この英文の方が元であって、「世間虚仮、唯仏是真」というのは、後になって道慈あたりが漢訳した可能性が高うございますな。道慈は博識で万能だったそうですから、英語くらい出来たでしょう。しかも、この言葉の下に、Short Kutai と記してあるのは、この巻物を書いた人物の名前らしゅうございます。
 
 仏教信者であって「世間はいつわりだ」とつぶやくとなりゃあ、Kutaiは「苦諦(くたい)」に違いありませんな。苦諦・集諦(じったい)・滅諦・道諦という仏教の四諦(したい)説の最初、つまり、生き物の生存はすべて苦だという教えを姓としていたのでございましょう。

 実際、インドにはクターイ(Kutāi)という地名がありますし、Shortという名も、人生の短さを表しているようじゃございませんか。この時、梅原猛先生の霊があたくしにおりてきたらしく、直感がひらめきました。この「ショート・クタイ」という名に後で漢字を当てて「聖徳太子」と表記するようになったんだ!と。 

 これで合点がゆきました。聖徳太子については、ユーラシアの北方遊牧民族の首領が日本に来て聖徳太子となったというトンデモ説がありましたが、それどころじゃございません。英語を話す勇者がヨーロッパからインド、スリランカ、東南アジアを渡ってくる途中で仏教徒となり、日向から東征して大和地方を支配し、後に聖徳太子と呼ばれるようになったのでございますな。ヨーロッパから海路でとなれば、バイキングに違いありません。

 英語を話すヨーロッパ人なのに「苦諦」という姓はおかしいだの、漢字の呉音である「くたい」とインドのクターイという地名と何の関係があるんだだの、バイキングがイギリスに進出したのは9世紀あたりからなので聖徳太子より後だの、Short Kutai だと「太子」の「し」はどうなるんだだの、そもそも上記の文は現代英語であって古英語は文字の形もスペルも違うだろうだの、何でもかんでも道慈がやったことにするな!だのと、文句をつける方々がおられるかもしれませんが、そんなのは、梅原先生も言われていたように、部分的ないちゃもんにすぎず、「根本的な反論」にはなりませんな(こちら)。

 みな様も御存知のように、先年、文科省が提示した社会科指導要領の改定案では、聖徳太子というのは死後の呼称だから本名である厩戸王を先に出し、「厩戸王(聖徳太子)」の形で教えることにするとしていたため大騒ぎとなり、結局取り消されたわけでございます(こちらと、こちら)。しかし、次回の改訂では、某山川出版社や某東京書籍や某清水書院や某帝国書院などの高校教科書も、すべて「Short Kutai(聖徳太子)」という表記となるに違いありません。

とお話ししてまいりますうちに、空気に触れたせいか、巻物の字が変色して薄くなってまいりました。この字が読めるのは、おそらく本日、つまり4月1日限りでございましょう。お後がよろしいようで……。
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