こぺる【自動/ラ五】

①ゆるゆるする。②なんとなくなんにもしない。
そしてオッサンへ…

●字面がキレイなモノは疑ってかかるべきかも

2017-05-13 | よもやま
『ふるさと納税返礼品、やめたら寄付ゼロ「でも良かった」』

とどのつまりが『官製通販』。地方vs地方の消耗戦。当初の理念はさておいて、実態的には『ブラックな内容の事物であるものほどキレイな名前を付ける』の好例となっているような。

ふるさと納税による住民税の減収分と寄付額とを比べると、全国トータルでプラスにはなっているみたい。
だけど、税収が減る自治体も地方交付税の補填があるとは言え、減るのは減るし、モノで釣ってる側面がある以上、増えたところも来年どうなるかは分からないわけで安定財源として効果的に利用出来るような気がしない。

例えば予算を組むときに『来年度どうなるか予測しづらいお金』をどうするだろうって考えた時に、出来るだけランニングコストが発生しないもの、イニシャルコストだけで出来るモノを考えるよね。
使い道を予め示してる自治体もあるけど、『○○に関する事業』とか良さそうなモノが一杯並んではいる。でもどれくらい継続させられるのか、とかちゃんと考えてるのかな?



だから「ウチ、辞めますわ」と言った所沢市は偉いなぁと思うわけです。むしろこういう所に寄付したくなるわ。

モノで釣るというのは、行政サービスというソフトウェアの価値を、釣る方も釣られる方も理解していないんだろうなぁと思うわけです。

●じゃあどうすれば良いんですかッ!(キレ気味)

2017-05-01 | よもやま
仕事先で、若い新人さんが、
「ワタシ、バカだからハッキリとその場で言ってもらわないと分かりませんッ!」
と、“上司に向かって”言ってたのを聞いちゃった。


これとか、『じゃあ、どうすればいいんですかッ!』とかもそうだけど、私の中での回答は「呆けてらっしゃるのですか?それを考えるのが貴方様のお仕事でしょう?」というような趣旨の事を、プライドが崩壊するくらいの勢いで言われて、当然その場では理解すら出来ず、何ヶ月か後になってちょっと意味が分かって、何年か後になって完全に理解出来て、さらに何年か後に後進に自分の言葉でそれを(多分同じように)伝える・・・なんだけど、今の子にそれを理解してもらえるのだろうか、という不安はある。

いや「今の若いもんにそういう言い方してもねぇ」というような上から目線では無く、自分を含めてそういう雰囲気を醸成してこなかった私たち世代の問題かなぁと。
何でもそうだけど、極論でブラックかホワイトか、みたいなのはやっぱりちょっと怖い・・・というか違うんじゃ無いかなぁと思うんですね。
もし今の私(自営)の労働環境をして、ブラックかホワイトかと聞かれると、まぁ100%ブラックなんですけど、死のうとか辞めようと思った事は無いですし、だからといって人を雇うとなると、こんな働き方を強要することなんて絶対出来ないし、娘が同じ仕事をしたいと言ったらどうかと考えると、「まぁがんばんなさい」と言うだろうなぁ、とも思う。
ただ、その頃にこんな仕事が残っているかどうかは分かりませんが。

ん~自分で始めた仕事の場合はちょっと違うかもねぇ。好きでやってて(業種)、好きなようにやってる(自営)わけだから、「辞めたい」とか「死にたい」とか言ったら、まず奥さんに殺されちゃうわな。



閑話休題。
誰もが分かっているとは思うけど、曖昧なものに線引きをしようとするととても可笑しな事になりがち。
『100時間働くとブラック。99時間59分ならセーフ』というのは違うと思う。でも『80時間からアウト』というのもなんか違う。
働く事が人生の全てだとは思わないけど、働く事は生きがいでもある(私にとっては)。
微妙。色々お話を聞いて、「あぁ、それはブラックだねぇ」と「そうでもないんじゃない?」とは誰でも言えるけど、お役所的にそれじゃあマズイしねぇ。




ただ、やっぱりそれでお金を貰っている以上、シンドイ思いをある程度耐えないといけないし、それは絶対後で役に立つ。
もちろん、シンドイ思い無しに出来る人もいるだろうけど、そういう人には別のシンドイ思いをさせてあげるべきだとも思う。(もちろん、きちんと評価した上で、ね)
そしてそれを耐えられる人もいれば耐えられない人もいるのも当然で、でも『ギリ耐えられるような環境』を作っていかなければならない。
これは彼らの仕事ではない。私たちが影でコッソリと格好良くやっておくべき事だ。

『自分らの時はその苦労に耐えたんだから、おまえらも耐えろ』

ではダメなんだろう。
彼らは、私たち先達が踏み荒らしてきた業界から、さらに新しいものを生みだしていかなければならないという課題を、既に与えられているのだ。
端的に言って、自分達よりもスタート地点でハンデを負わされているのだ。もう一工夫くらいコチラがしてさしあげるべきかもしれない。


多分、私たちのまた先達は、そういう苦労をしてきているのだ。
だから私は先達にこう言われる。

『自分らの時はその苦労に耐えたんだから、おまえらも耐えろ』

と(矛盾)。


●誰がするか、ではなく何をするか、ではあるけれど

2017-03-10 | よもやま
所謂渦中の人物2人が、『教育勅語』の精神(の一部)を評価していたりするのだけれど。。。

「教育勅語の精神である親孝行や、友だちを大切にすることなど、核の部分は今も大切なものとして維持しており、そこは取り戻すべきだと考えている」
もちろん、親孝行は大事だし、友だちだって大切。それは当たり前の事で、当たり前の事が当たり前じゃ無くなりつつある、という危機感は分かるんだけど、それを取り戻すための手段として、国民主権の立場から見ても問題があり、国会で訣別宣言までされているものを敢えて持ってくる感覚はどうにも理解出来ない。

憲法9条に引っかかるから『戦闘行為』じゃなくて『衝突』と言った
これも同じ人の主張なんだけど、言葉遊びで何でもOKなんだったら、彼女らの主張する憲法改正なんていらないんじゃないかな、と思う。

あの学園だって、中身はとても良い教育なのかもしれない(いや、巷間見聞きする情報からだと北朝鮮みたいとしか思えないんだけど)。
でもそれをやろうとしている人々のネガティブな要素が大きすぎて、信じられない。

出来るだけ『誰が』ではなく、『何を』やろうとしているるか、で判断すべきだとは思うんだけど、その前にどうしても色眼鏡で見てしまいがちになっちゃう。

●時間は有限

2017-02-24 | よもやま
仕事先で「lineやってないの?」と言われるけど、便利なのかなぁ。

トータルすると、電話やメールよりもコミュニケーションに取られる時間が増えるような気がする。。。
twitterやFacebookでさえ、あーだこーだ考えて「あぁ、この書きようだと間違って伝わるかもなぁ」とかって思って、結構な時間悩んでしまう私には難しすぎる。

実際、この投稿も最初Facebookで書いてたけど、色々考えてる内にコッチに移ってきた。
短くまとめる力がないというのは辛いモンですな。


それと、lineって、投稿して返事がくるまでの時間が短い方だと思うから、つい待ってしまうというか、頭を完全には切替えずに他の作業に移る事になる。
そうするとその作業に集中できなかったり、集中できた頃に返事が来て、思考が途切れたり・・・。
そんなのを考えていると、『トータルすると時間を損してないか?』と思ってしまうのだ。

また逆に(自分がそう思っちゃうからかもしれないけど)自分のメッセージに対して、相手に「早く返事を返さなきゃ」と思わせるだけの強制力って怖い気がする。
メールだと「いつ返事してもらっても大丈夫」だと思って送信するからか、あんまりそうは思わないし、
電話だと最初に「いまお時間大丈夫ですか」の5秒ですむから楽。

まぁ、lineだって返事が来なきゃ、今忙しいんだな、と思っておけば良いだけなのかもしれないし、一長一短あって、既読機能は割とイイなと思ったりもする。
少なくとも「読んだことは相手に伝わる」から、メールの「返事がない→届いていないのか読んでいないのか返信をしてこないのか分からない」事は無くなる。
あと、かなり少ない時間で「了解!」を相手に伝えることができるのも良さそう。


というわけで、ツールの使い分けさえできれば良さそうなもんだけどやっぱり抵抗があって、それは仕事柄、コミュニケーションの敷居が下がるとサポセン化しそうな事に対する懸念だったりする。
殆どのクライアントさんはきちんと理解してくれているのだけれど、どうしてもそういう事を理解してくれない人もいる。
それをもう教育することは諦めていて、自分の時間を過度に割かれないよう防衛するモードになっているので、誰か経由でlineやってるのが知られたりすると困るのだ。

というわけで、コミュ力に乏しく、最早無関心な新しいサービスに手を出す余力もなく、時間があれば娘を抱っこしたいと思っているオッサンにはlineは無理なのである。

●雄々しくあろうとすることはとても女々しく映るもので

2017-01-24 | よもやま
オバマさんは演説上手いよなぁ。

ライターの力もあるのだろうけれど、当意即妙なやり取りとかも上手いからスマートに感じる。
見てると米国人でないのにポジティブになれる。

逆に他を貶めて優位性を得るやり方を偉い人がしちゃうと、げんなりしてしまう。
批判に対する反論である場合は特に。

内田樹さんは「どちらが正しいかは見た人の判断でどうぞ」というスタンスで、批判されてもあんまり反論してないけれど、それでいいと思うのだ。
ムキになってるのを見ると、自信がないのか、他人を理解力の無い馬鹿だと思っているかのどちらか(あるいはその両方)のように思えてしまう。