映画を見て、吉岡秀隆さんのあの少し困ったような表情にうっとり(?)しつつも、物足りなさを感じてしまって、「いつか小説版を…」と願ったのはいつだったか。。。
先日ハハウエが単行本を購入していたので、読後に貸してもらった。
一言で言うならば、良かった。映画版よりも好き(善し悪しではなく)。
映画版では『未亡人』と『私』と『博士』との関係性の変化をストーリーの切り替えポイントとして用いたからか、私には生々しく思われ、若干の違和感を生んでいたところが、原作ではあくまでも大切な要素の一つとして成り立っているので全体的に調和がとれている。
もちろん、2時間の映画としては、原作のやや平坦と思われる展開をよりドラマチックにする必要があると思うので、悪いというワケではないけれど。
映画版で私が意味をなしていないと感じた『80分しか記憶がもたない』という設定も、完全に納得出来るわけではないけれど、きっちりと生きている。
こないだ読んだ『放浪の天才数学者エルデシュ』が参考文献として挙げられていたのは「やっぱり」という感じ。
子供好き、生活の全てを数学に捧げている…などエルデシュさんをモデルにしたと思われる設定があったのだ。
確かにエポックメイキングな人物像を持つ彼は、物語を作る上ではこの上なく魅力的な素材だと思う。
しかし、小説家ってすごいね。
長らく小説を読んでいなかったからかもしれないけど、随所にちりばめられているその叙情的な表現力にはうっとりとさせられっぱなしである。
例えば、
博士は考えているときと同じ目を、私に向けていた。瞳の黒色が透き通って見えるほどに濃くなり、息を吐くたび睫毛の一本一本が震え、近くに焦点があるのにはるか遠くを見通しているかのような目だった。
私は自信を持って言える。
「こんな文章、一生かかったって書けねぇ」
と。
いや、もし、実際にそういう人がいて、私に対してそういう動作をしていて、さらにそのとき私が小説を書こうという意志を持っていたならば、万が一書けるかもしれない。いや無理だけど。でも、作者はこれを頭の中で想像して書いているのだ。あり得ない。どういう頭をしているんだろう?
で、さらにすごいのは、それだけの文章力を持ちつつも、数学に関する微妙な描写もウマイのである。
実際に作者が数学に対して、ある程度の知識を土台にした憧憬というか、敬意のようなものを持っていなければ書けないであろう表現が沢山あるのだ。
もちろん、元来持っているものだけではなく、執筆に当たってたくさんの資料に囲まれ、様々な人に取材もしただろう。
一つの作品に対して、そこまでの情熱を持って、小説家は書いている。
そして、そんな作品を沢山世に出しているのだ。
う~ん…おそるべし小説家たちよ。
関係ないけど、DVDの公式ページのBBSが海外のエロサイトのスパムコメントで埋め尽くされているのが、悲しいね。