千の天使がバスケットボールする

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『カストラート』

2008-12-01 23:33:44 | Movie
モーツァルトの「フィガロの結婚」で私が好きな曲は、小姓のケルビーノのアリア「恋とはどんなものかしら」である。メゾソプラノの女性歌手が男性役を演じる通称ズボン役であるが、作曲された当時はカストラートが歌っていた曲である。「カストラート」とは、今では絶滅種の全く不思議なしかも悲しい存在である。
ここで、小説「死の泉」で怪演されたクラウス医師の解説を思い出してみよう。

その昔、教会では女性の声を禁止されていたが、ミサの聖歌に欠かせない高音域の女声部分を受け持つためにボーイソプラノにかわる去勢された歌手が台頭してきたのである。彼らは、少年の天上のような声質と音域を維持しながら成人男性の胸郭と肺活量をもっていた。まさに神々しく奇跡のような声。事故や病気で去勢された少年だけでなく、口べらしのような形でこっそり親に去勢された少年らが、続々とナポリに集まり、彼らに優れた音楽教育を行う音楽院も存在した。勿論、去勢されて変声期を迎えないままの声を維持しても音楽的な才能に恵まれなかった者もいる。彼らには、聖職者への道が残され、やがてそれも向かない者は巷に流れて今日のオペラに発展していった。まさに、教会とカストラートは需要と供給の関係だったのだが、現代ではあまりにも非人道的に思える天使の声もクラウス医師によると「元々教会と人道主義は相容れない」のだから、ということになる。。。

カルロ・ブロスキ(ステファノ・ディオニジ)は、幼い頃、天使のような尊厳に満ちた素晴らしい声の持主だった。幸か不幸か、落馬事故により去勢されて、その声は変声期を迎えないまま彼はカストラートとしての道を歩くことになった。道の同行者は、弟の天賦の才能に驚嘆する8歳年上の作曲家の兄リカルド(エンリコ・ロ・ヴェルソ)。兄弟は、兄が作曲して弟がその曲を歌うという二人三脚の関係を築き、ふたりは演奏会で大成功し、超絶技巧を軽々と歌うカルロの声に熱狂する女性たちも共有している。英国宮廷の作曲家ヘンデル(ジェローン・クラッペ)は、偶然街中で歌うカルロの声を聴き、たちまち魅了されてロンドンへ誘うのだが、兄と一緒にというカルロの願いを聞き入れなかったため、契約にまでは至らなかった。
やがて12年の歳月がたち、30歳となったカルロは「ファリネッリ」と名乗り、その名は一世風靡するまでになったのだが。。。

日本公開時に劇場で観た『カストラート』を「死の泉」を読んで思い出し、再度DVDにて鑑賞する。(以下、内容にふれています。)
映画を観た当時の記憶に残るのは、喉をかばうために常に白くて長いマフラーを巻いていたファルネッリ、当時のスーパースターでもてもての弟のフェロモンでオチタ女性を次は兄がいただく18禁シーンと、8歳年上の兄がまだ小さい弟を秘薬の風呂に沈める場面である。二回目の鑑賞では、ヘンデルとの確執が存外におもしろく作品に芸術性を与えるという再発見もあったが、この3つの印象は我ながら作品のポイントをついていると思った。白く包帯のような長いマフラーが、カストラートという存在の芸術性の繊細さや危うさとともに崇高さを象徴し、兄と女性を共有する場面では、まだ本当の恋にめざめていなかったファルネッリと兄の特殊な結びつきとそれゆえに愛憎が深くお互いを傷つけていくさま、そして最後にまるでクラウス医師のような自己中心的な兄の行動が与える衝撃。

ファルネッリの名声が高まれば高まるほど、去勢されている肉体が傷つける男としての誇りや存在である。顔を白塗りして赤い口紅を塗り、小林幸子並のド派手な衣装と舞台装置がもの悲しい。その一方、男性としては健全だが、容姿も整い天賦の音楽的才能に恵まれた弟と比較して、凡庸な才能しかなかった兄の悲劇もよく描かれてる。
結局、表舞台から消え、スペイン国王お抱え歌手になったファルネッリは、最も有名な実在のカストラートである。
ちなみに、最大の主役である声は、カウンター・テナーのデレク・リー・レイギンとソプラノのエヴァ・ゴドレフスカの声を合成しているが、違和感なく感動的に聴こえる。

「死の泉」でマルガレーテの息子のミヒャエルが歌のレッスンにあけくれながら、クラウス医師からやがて自分が去勢されることを予感して
「声を失ったら、ぼくに何があるでしょうか」と問う。
素晴らしい声をもったがゆえに、その声だけに自分の存在価値を見つめる悲しみが、ファルネッリの最後の歌に響いている。

監督:ジェラール・コルビオ
原題: FARINELLI-IL CASTRATO
イタリア/フランス/ベルギー 1994製作


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