千の天使がバスケットボールする

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「水平記」山文彦著

2005-08-16 23:19:56 | Book
松本治一郎。かって明治から昭和にかけて、時代を思う存分に生き抜いた大きな、大きな男がいた。
明治20年に生まれ、昭和41年に没するまで生涯を被差別階級の人々の解放のために闘った男。「解放の父」こう紹介するとイデオロギーを実践する非情なリアリストか、夢見る深窓の令息のようなロマンチストを想像されるかもしれない。けれども松本治一郎は、どちらでもない。机上の理想論に溺れて酔うこともなく、時流に流されることもなく近代国家への歩みをすすめる日本という国と正々堂々首尾一貫とした正しいセオリーで闘う一方、常に弱者への思いやりと配慮を忘れなかった。700ページ以上に及ぶ「水平記 松本治一郎と解放運動の100年」は、まさに日本が明治維新から昭和まで、治一郎を中心にまだ明けきれぬこの国の時代の暗闇とともに、いかに多くの人々が差別と闘い、この時代をかけぬけていったかの軌跡でもある。

松本治一郎は、福岡県筑紫郡豊平村に比較的裕福なに生まれる。幼年の頃は、当時から抜きん出て体格も大きく、負けん気が盛んだった。思春期に入ると上京して、私学に通学するも暴力沙汰を起こして、次々と放校になる。明治36年中国に渡り、大道易者、あやしげな薬を売ったりしながら大陸を放浪する。やがて強制送還されて帰国すると、実兄が創設された松本組で、多くの被差別階級出身の労働者とともにつるはしをもち、額に汗水たらしてドカタの仕事に精をだす。(後年、この松本組は治一郎の政治活動資金を援助し経済的基盤をなし、今では九州地区大手ゼネコンに成長している。)すでに「おやじ」という愛称をつけられた彼は、毎晩のように腹巻に札束をいれ、仲間とともに博多の夜に繰り出し、酒を呑み、女を買っては博打というやんちゃな青春時代を過ごす。

やがてそんなただの体格のよい肉体に恵まれた若者としての生活に転機が訪れる。
大正5年6月17日の博多毎日新聞事件である。
「浮世覗眼鏡」というタイトルで、火葬にたずさわる被差別階級者への侮蔑に満ちた記事に怒った”男衆”が、毎日新聞を襲撃した事件である。この時のワッショワッショと追山笠祭りの如く血気盛んな男衆の襲撃は、翌日の民の働き盛りの男たち全員の大量検挙という報復を受ける。事実確認も人権もなにもない。民だからという理由で、村から根こそぎ検挙、逮捕を行ったのだ。今までも出身ということで、教育の場、職場、結婚などで様々な差別を受け、屈辱を味わっていた彼らには、またかという気持ちが淡々とのぼるだけだ。差別が貧困と侮蔑をうみ、貧困があらたなる差別をうんだ社会。この時29歳、治一郎は直接事件に関わったわけではないが、これを契機に民自らが組織をつくり、差別をなくすための自立した闘いの必要性を感じ、酒、煙草、博打、妻帯、ネクタイの「五禁」を課し、粗末な家に住みながら貧窮している人々への炊き出し、不当逮捕による者への保釈金や、若者への学資援助など、なんの見返りも期待せず、ただひたすら日本から、またこの世から差別をなくすための運動に生涯を捧げることになる。

しかし治一郎のゆくてには、多くの困難が待ち受けていた。何度も冤罪による逮捕で獄中生活を経験し、同志を過酷な拷問によって失ったこともある。やがて民のみを構成員とする「」の最高指導者となり、戦前、戦中の軍部のいかがわしさを暴き、共産主義にもまれ、右翼から命の脅迫を受けても意に介さず、陰謀と策略による大きな波に何度も転覆しそうになった「」という船の船長役を、その真実を見極める目と正しい信念で貫き通した。なかでもへびように執念深く策謀をはりめぐらし、治一郎を追い落とそうとしたのが、吉田茂だった。参議院議員として政界に進出した治一郎を、何度も公職追放にしようと謀った。そして下山総裁謀殺事件に代表されるように、GHQによる熾烈なレッドパージがはじまるとその意向を利用して、巧みに治一郎を国会から追放した。しかし米国「ライフ」誌が吉田茂がホイットニー将軍へ宛てた手紙をすっぱぬき、政治的陰謀が暴かれると国会でも追及され、再審査請求の嘆願署名が100万人も超えた。それらをすべてワンマン首相は無視した。尚且つ、1万90人の公職追放者の解除を宣言するが、ただひとり治一郎の名前だけは、最後に自分のところにリストがまわってきた時に、削除する。それを知った治一郎は怒るでもなく、「吉田君は、よほど僕のことが怖いのだろう」と苦笑いをした。治一郎には、このような泰然として茫洋たる気風がある。
この時の吉田茂のしたことは、ただ厄介ものたちを社会から追放したいだけだった。元々公職追放者は戦前からの裕福な支配者だった。なんてこともない、解除後、利害が一致している彼らは復帰すると、再び社会の支配層として人々の上に君臨したのである。

やがて5年後、政界に復帰した治一郎がそんな吉田茂と再会する時がきた。
昭和28年参議院本会議でのことだ。
「吉田君、今からでも遅くはない。世界平和のために、この平和憲法をあくまで守り抜く意思と勇気があるか」
と挑むようにいった。礼を失して逃げの一手の吉田の答弁だったが、気の小さか男やけん、ひとりじゃ、なあんもでけん男やとその性格を見抜かれていた。

晩年の治一郎は、一国の差別だけでなく、「世界水平」という目標に海外へも視野を広げ、中国、韓国、ベトナムをはじめ多くの国を訪問し、講演を行った。インドでは、イギリスの巧妙で狡賢い統治政策を見抜き、ロシアで共産社会にあるまじき特権階級の存在に気づき怒り、精力的に活動した。中国では一番最初に恩義を感じている人という意味で「井戸を掘る人」として語られた。見事な生き方である。吉田茂の名前は、今後もずっと日本の政治史のなかにその”素晴らしい”政治的手腕の業績とともに残るであろう。松本治一郎の名は、やがてまもなく消えていき、忘れられるだろう。それで良いのかもしれない。その時が、本当に治一郎が望んだ差別のない世界が実現する日なのかもしれない。

本書の魅力は、治一郎を主役とした群像劇でもある。或る眉目秀麗な美青年は、思いつめて14歳の娘と心中未遂事件を起こし、ある者は仁義なき戦いの如く、華族の屋敷に火を放ち、またある者は受けた恩義を足蹴にするかのように転向して去り、の活動資金が底をつくと必死に窮乏を訴え金の無心をする者もあり。純粋で、愚かで、過ちも犯すが、貧しく必死に生きている彼らの姿は、「物語三昧」のペトロニウスさまの言葉を拝借すると、まさに”不思議な輝き”を帯びているのである。
時代を駆け抜けた治一郎と彼らの足跡に、私はかすかな、しかしたくさんの光芒を見る。

著者の山文彦氏は、1958年生まれ。ハンセン病と闘いながら早逝した作家の評伝「火花 北条民雄の生涯」で、ノンフィクション作家としての評価を高めた。その著書を上梓して間もない頃、神田古書店で「松本治一郎伝」という一冊の本にめぐりあう。その本を手に読み進むうちに、評伝で北条民雄を「忘れられた」とするのは誤りで、「忘れていった」と書いた文章が、そのまま自分への批判となって返った。そして山氏を最終的に筆をとらせたのは、長崎の原爆で母を失った青年に送った治一郎の短い一文である。
そこには、こう書いてあった。

  -生き抜け、その日のために。

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2 コメント

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この本読みたいですね (ペトロニウス@「物語三昧」)
2005-08-20 16:33:52
いつもおもうのですが、樹衣子さんて、文章うまいですね。コンパクトで、きちっと全体像が要約されていて、それでいて杓子定規ではない。僕は、構成がめんどくさくて、垂れ流す書き方をしているので、高い頻度でこの文章を書けるのには、いつも感心します。



ちなみに、すごい読みたいですね、この本。もしかしたら本ではなくて、樹衣子さんの紹介文がいいのかもしれませんが。



というのは、僕は基本的に「不幸自慢」はキライです。というのは、不幸という美酒によって、客観的ではない『だから俺様が偉いナルシシズム』になる人が多いからです。ぼくたちは競争社会に生きているので、不幸になったヤツは負けです。



唯一不幸を問題視できるのは、差別やアフリカなどの、競争のスタートラインに構造的に立てない人々の不公平を無くすことです。



機会がある程度同じなら、いや多少違っても、人間は戦って幸せを獲得すべきだと思うのです、僕は。幸せは満足と充実の中にあるのだから。



・・・・どうせ本を読むのならば、物語が好きな僕は、不幸な現実と戦って戦って、生ききるドラマチックな姿を見たい。不幸に負けている姿なぞ見たくはない、と思います。



「不思議な輝き」と書きましたが、この松本治一郎さんの生き様は、この短い文の中でも、凄まじいドラマを感じさせます。まさに日本近代化を支えた偉大なる政治家であることが、伺えます。僕は、戦略家としての吉田茂は恐ろしい天才だと思っていますが、その彼をして恐れさせるという時点で、いかに吉田のエリーティズムに反対する最高レベルの政治家が日本にいたかの証左です。世界は矛盾に満ちている。だから、そういう全く方向は違うけど、どちらも「すげぇ!」という人物同士が争える「場」があることが、最高の舞台であると思います。自由主義ですね。



いやぁ、ちょっと探してみます。
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吉田茂は確かに天才ですね (樹衣子)
2005-08-20 17:26:05
実は私もお茶目なミスは日常茶飯事。

このブログも殆ど書き終えて、画像を貼り付けるだけになったところで、ちょっとPCから離れただけで不正使用をしたと警告され、突然消滅。

投げようかと思ったけれどそれでも時間をおいて、気を取り直して最長のブログを書いた原動力は、この本の魅力と、訪問者の方のうち、ひとりでも読んで興味を示してくださるかもしれないという見返りのない期待です。



「水平記」は、誰にでも薦めたい本ではありません。説明が足りなかったですが、現解放運動の前身である「水平運動」の成り立ちと歴史、そのトップに就任した松本治一郎を主役とした記録に近いです。わかりやすい差別の実態も一部紹介されていますが、読者の気持ちを昂揚させるような表現を抑え、豊富な資料を丹念に調べ事実を積み上げた力作ではありますが。そこから読者に登場人物の感情や行動をおもしろがれるセンスがあれば、より望ましいです。(ちょっと僭越な言い方をしておりますが、良書の体験者としてお許しください。)

人間に興味のある方、社会の構図とシステム、そこで発散されるエネルギーを”くもりのないまなこ”で見たい方、そして「物語」が好きな方にはお薦めです。だからペトロニウスさまには、ヒットすると予測しておりましたね。だからコメントをいただき非常に嬉しいです。笑っております。^^



治一郎の私生活は謎に包まれております。ご本人も生前、自伝や評伝を書かれるのを望んでおりませんでした。しかし非常に顔が広く、エピソードが豊富な方です。(このあたりは、これから読む方へ伏せます)私は、場所をとるのでいつも本は図書館から借りていますが、帯をはずしてカバーされているのです。読み終えた後、治一郎の風貌を知りたいと検索して、あまりにも本から受けた人物像と風貌が一致していることに、ちょっと感動しました。女性の目から見ても、実にいい顔をしております。そして嘘のない顔です。



>幸せは満足と充実の中にあるのだから

私は芸術、基礎研究など競争とかけ離れた分野を大事にしていきたいものです。けれどもそれと同時に競争社会は望ましいと考えるものでもあります。幸福感は、待ってえるものでなく勝ち取るものです。(男女の恋愛も同じかも)正しい競争こそは、希望と活性化がうまれ、そのモチベーションが社会を好転させます。

問題は、ペトロニウスさまのおっしゃるような差別や不平等で同じスタートラインにたてない国、人々が混在している現実です。



・・・それにしても次々と送られる刺客や忍者。おっしゃるように劇場型の選挙戦のようです。
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