貯めること、増やすことより使うこと

の方が今の俺にとって重要なのでは?
いや、10年後の俺なら間違いなくそうだと言えるわけで・・・
そのときに

10年くらい前から使っておけばもっと愉しめただろうに、なんでこんなに俺はアホなのか?

なんて思ってる姿が容易に想像がつく。
特に年金や配当を全部遣ったところで資産は減らないわけだから、遠慮なく遣ったらいいってば。
先日行った日帰り旅行なんかも、その一環としての行動です。
亡くなるときに、なにも向こうに持って行けないのはわかってることとして、生きてる時だって入院したりしたら自由に行動できずに消費などできまい。
まして、食べるということに制限が掛かったりなんかしたら、それこそ消費などできないでカネを持ってるってことの空しさを味わうはず。

そこで、病院だってカネを持ってたら個室に入れるとかの選択肢も生まれるけど、そんな事のために貯めてきてるわけではないからね。
もしそうだとしても、必要以上には・・・ って思うよ。

なんでもそうだけど、どうして〇をしなかったのだろう?ってのは、想像力の欠如だわ。
あとから考えれば理解できるのに、その場の判断ができてないというのは。
たとえば体を使う行動で無理をして軟骨を減らしてしまい老齢になった際に不自由になるとか、若いころの事故で体が不自由になるなど、どうしてあの時・・・!
って思いだすことが一生続くことにもなりうるわけです。

俺は年金をもらえるくらいになって、ようやくオカネに対する考え方が少し変わったかな。
いままでも状況に応じて好きに使ってきたし、やりたいことや貝鯛モノにも遣ってきた。
でも、今回はまた違った意味で考えてます。

もう少し具体的に考えてみますと、例えばですね3000万の蓄えがあって年金などで充分な収入があったとすると、その3000万の蓄えは減りません。
残り時間を300カ月としたら10万/月の消費が可能な訳で、もしそれを使わずに全部とか一部を繰り越したとしたとき、10万×12か月の120万の100万円を繰り越したら、次の年は繰り越された100万÷(300-12)のオカネを多く消費できる。
しかし、その年も元の計画の10万円/月を消費できないと前年繰り越し分100万+今年残った分といった具合に増えて行ってしまいます。

歳をとって家や車などの大きな買い物をするとか、豪華旅行に行くってのは消費するところのない年寄りの満足感を得るためというより、抵抗なのかもしれないですな。

亡くなった時に大金を残してたりすると、こんなにカネを持ってても使わずに死んでしまったら何もならないのに・・・
ってのは、よく聞く話です。
やはり適度に残しつつ、いつ亡くなっても自分が満足できるような消費生活ってのが理想ですよねぇ。

俺は、そういうことを考えて、まずは年金配当生活を始める前に練習をしていかなくちゃ!って心持ですけど、今回はどうなるか?
いつものように息切れして終わるのか?
なにかで考える間もなく終わればいいけど、病気や事故で生きてはいるけど満足に行動や生活ができなくなったらオカネなんてたくさんあってもなーって思うはず。

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