時間が流れてるということ

嬉しいことも悲しい、苦しいこともすべて時間が薄めてくれますからね。
あと5年、10年後に現在の苦しみは続いていません。そこまでの時間の流れの中に喜怒哀楽がたくさんあって、同じことばかりで苦しんでるわけがないからね。
とすれば、その喜怒哀楽はどんなことなんだろうな?とか考えます。

さて、きのう向こうのブログに書いた居眠り運転で中央分離帯に衝突して妻と娘を亡くしてしまった85歳の老人。これから何を楽しみに生きて行ったらよいのか?
長年連れ添った妻と、娘を亡くしてしまった我が家に戻り、出掛ける前の状態になっている室内や台所を見ると悲しさは深まるばかりです。いつも妻がいた場所、一緒に居間でテレビを見ながら会話した情景などを思い浮かべるとお金では買えない大きなものを失ったことに気が付きますね。そして娘が結婚していて旦那や子供がいたらあわせる顔もなく、孤独な毎日がただ続くだけです。

他にも、少し前に女の子2人が車の運転でスピードを出しすぎ、高架道路のガードレールを突き破って落下して首の骨を折ったけど、あれってどうなのかね?



2人とも18歳で、まだ若いのに・・・ 首の骨が折れるくらいの事故だったら手足なんかも無事じゃないだろ?車もボコボコだし。これから一生事故をしたことを考えながら生きていくのかね?ちなみに首の骨が折れるのだったら全身不随とかも考えられちゃうからなぁ。それはきっと死ぬよりも苦しいと思うよ。

ホントさぁ「起こった時の事の重大さ」というのを分からないで行動する人っているけど、あれって恐ろしいことだよ?マインチどこかで事件とか事故とかあるけど、その日を境に人生が大きく変わってしまうことなのになぁ。
おれも気を付けないとね。いやホント。
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