Komy’ Bakers

パン作りにすっかりはまってしまいました。日常の独り言&パン作り日記です。

血小板が少ない

2019年06月17日 21時17分14秒 | 徒然日記
『父は血小板の値が低い』
これは入院初日に先生から言われました。

それまでに何回か採血しているんだけれど
(場合によっては一日に何回か採られる)
それらの値が全て基準よりも大幅に低いので、もしかしたら今まで気が付かず日常的に低かったのかも、と言われたんだけれど。


6/12の2回目の抗がん剤が終わって先生の診察のとき、再び『血小板の値が低すぎる。今日10.5なのでこれより低かったら次回から抗がん剤が使えないかもしれません』と言われたようです。 

3回目の6/19は弟①が行くらしいのですが
(二人か一人かは不明。余計な口を叩かずにちゃんとやってくれればいいんです)

当日の朝、採血して結果が出ないとわかりません。


無事にできれば、その翌週は抗がん剤お休み。
無事にできるといいなぁ。。。。




息子から真夜中にケーキのお土産が。
しかも2箱!
明日の朝、いただこうかな〜♪

6/3、4、5 入院です〜続き

2019年06月12日 15時49分22秒 | 徒然日記
続きです。


結局、その後も来る気配もなく。

弟②が電話をかけても出ることもなく。


父も『もういいよ』とうんざりした様子。

ごめんよ、抗がん剤を打っているときにこんなこと、嫌だよね。



そして今日。

6/6、無事に退院できました。

一日伸びただけで36000円ほど医療費かかりました。

1割負担でこの金額、 怖いわぁ。。。

抗がん剤はアブラキサンとジェムザール。あとは吐き気止め。


今回の入院中はレントゲン撮影の回数が多かったから高くなったのかな。抗がん剤だけだったらここまではならないと思います。 




初めての抗がん剤でしたが今はとくに体調も変わらないようで

『これから一度家に帰って、枇杷持って海無し県(の上の方に住んでいる)オバ さん(母の妹)宅に行くぞ』と父。


いくら『心配だからダメ、抗がん剤打ったばかりなんだから』と言っても聞きゃぁしない(*_*;



脚立を出してきて登ろうとするのでそれはやめて、とお願いして私が収穫することに。

梨箱1つ分くらい山盛りに枇杷の実を採ってダンボール箱に詰めて。

『今から行くなら電話しないと夜からオバ さん忙しいでしょ』

↑居酒屋経営。


電話に出たオバさんにも父は散々『危ないから来ないで』と言われてやっと諦めてくれたようで

『じゃあ、枇杷だけそっちに行くよ』


私が帰るときも『またすぐに来るからね、今日は帰るから』と声をかけてもソッポ向いて『ああ』

いつもと違う、拗ねている様子でした。




海無し県へ帰ってきて。

旦那母が作ってくれたお夕飯を食べてホッ、、とひと息ついていたら電話が。


『さっきはごめんよ。←枇杷の件

弟①には電話で話したよ。

もうな、やつらはオカシイと思うしかないよ。

嫁が来ても無視してりゃいいよ。

とりあえず6/19の3回目の抗がん剤の日は弟①が来るって言ったからさ』



弟②は父の隣でブツブツ言っていますが。


本人がいいなら、いいや。


話を聞く限りでは、やはりかれらの中では私は敵認定のようです。

なので私からかれらに今までのようにすべての事柄で中継局のように連絡することはもうないです。



6/3、4、5 入院です。

2019年06月12日 15時46分17秒 | 徒然日記
6/2、仕事後そのまま海あり県の実家へ。


6/3、朝一番、入院セットを持って父と一緒にがんセンターへ。

入院手続を済ませて病室へ入って、その日は採血や全身の筋肉量、骨量などのデータをとって栄養学の先生と面談。


年齢の割に父は筋肉量が多く水分も足りていて全身のバランスが良いそうで。

体調面で問題がなければ翌日に抗がん剤をスタートできそう、とのこと。

夕方には私は実家へ。


6/4、再び朝一番に病院へ。

今朝早く父は嘔吐してしまい、本日の抗がん剤は無しに。

レントゲン検査の結果、問題は無さそうなんだけれど、大事をとって翌日になりました。

本人は『申し訳ない。。。』とがっくりしているけれど、こればかりはわからないことだから仕方ないよ、と声をかけているところに主治医が登場。

『初めましてのご挨拶を、、、』と私のみがカンファレンスルームへ呼ばれて。


本当は初めましてではないんですが(肝生検をしてくれた先生なので一度会って話している)

いつも父が一緒に居るから話し辛かったから、と時間を設けてくれました。


話の内容は、現状の再確認と、私の見解と余命宣告を本人にするかどうかの確認です。



 

膵癌からのかなりひどい肝転移で腹膜播種を起こしていて腹水が溜まっている、脾臓や胃に浸潤している末期の状態なのでもっても半年ほどなのでは?

 

『そのとおりです。今のままならば3ヶ月、抗がん剤の効果があっても6ヶ月ほど』

 

この前の診察(別の先生)には、

『3年もちますか?』と父が聞いて

『2年も持たない』というやり取りがありました。

本人と私以外の家族はまだあと2年ある、と楽観的に捉えてしまった。なのでもう少し危機感を持ってほしい



『自分はその時にいなかったんだけれど、PCに残っているやり取りを読んで『まずいなぁ』と感じた。

本人から聞かれたら期間を伝えるけれどそれまでは2年もない、今のうちにやりたいこと、やらなきゃいけないことをするように話します』


お願いします


このあと、カンファレンスルームへ父も呼ばれてやんわりと先生は話してくれました。


『介護サービスの申請をしなきゃね、これは早めにしなきゃいけませんよ』

『、、、お母さんのときは緩和ケア使いましたか?

間に合いませんでしたか。。。

これもね、早めに申し込まなきゃいけませんね』


この言葉で父もやっと少し危機感を持ってくれた様子。




その後は流石にショックを受けた様子でしたが、しっかり治療を受けるよ、なるようにしかならないからなぁ、とベッドで横になりながら言ってくれました。







6/4は抗がん剤が打てず、翌日へ持ち越しです。

実家に帰って弟②とお夕飯を食べながら病院でのことを話しました。

『自分のときは3ヶ月や半年なんて聞いてないけど!』

でもね、主治医から言われてんだから間違いはないわけで。  


『だったらなんのために抗がん剤するんだよ』


少しでもがん細胞を減らして、今の痛みを軽減させてあげたいからだよ。


弟①にも電話で今日聞いた内容を掻い摘んで話して。

退院の予定が1日ずれたので弟②も一緒に病院行くんだよリ

『明日、半休とって自分も病院行くよ』



。。。ここから、来る、来ないでゴタゴタするんですよ



6/5、弟②と一緒に病院へ。

父は体調は良くなったので抗がん剤を打てることに。

お昼過ぎには始まるとのことで父はベッドから動けず私達2人はちょっと2階にあるラウンジへ。

フリーWi-Fi使えるんです。



弟①へメールを送信。

昨日、半休とって来るって言っていたけれど何時の予定?  


『一度、家に帰って連れてくるから夕方前になるなぁ』


連れて来るって、誰?

嫁の子供だったら父が退院してから、日を改めてにしてほしい。 

来るならきみだけにしてよ。


『嫁ちゃんだよ。 一度帰って連れてくるから時間かかるんだ』


、、、、。

この前、父親本人から面と向かって『お前は来るな』と言われたのが理解出来ている???


『病院に連れて来るなとは言ってないじゃん。

話をするときに席を外せば問題ないでしょ』


いやいや、なんで嫁を連れて来ないといけないの?

なんでお前一人で来れないの?

 

『嫁が来たらなんでいけないの?』


もうね、無限ループの『なんで? なんで?』


なにを言っても理解しようとしない。


そのうち嫁からもメールが。

弟①がいつも私からのメールを全部転送しているんで丸伝えなんです。


『なんでこんなに心配しているのが分からないのか? 

家族だと思っていたのに悔しくて心外だ、姉さん(私)の子供たちと同じように自分の子供も心配しているのに来るなってひどい』


などなど、、、

いつもの支離滅裂な文で、しかも長文。

読みながらウンザリしていたら


ここで様子を見ていた弟②『俺が電話してくる』


『なんで姉ちゃんにあんなこと(嫁来るな)言われなきゃいけないんだ』

主治医が時間を作ってくれたんだよ、これからのことを話さなきゃいけないのに何をグズグズ言ってるんだお前は

嫁は邪魔なんだよ だから来るなって言ってるんだ

お前だけサッサとそこ出てがんセンターに来い!!!

30分もかからずに来れるだろ!



弟②は

ここまで話して電話を切ったそうです。



その10分後、私にメールが。

『ごめん、半休は取れなくなった。今日中の仕事がどうしても残ってしまって』


はぁ、、、、、。

もういいよ、お前。



 



続きます。