今回から、CRIを大腿や体幹で感じるという練習です。
その前にCRIの触診に絡めて、臨床にのぞむ姿勢についてのお話を少し。
前々回の「その2」でも触れましたが、CRIは全身どこでも触れることができるとされています。
理由は、脳脊髄液は脳や脊髄を覆う硬膜から神経鞘を経て全身に送られるということから。
全身に送られる「から」感じ取ることができるというものが、因果関係の説明になっているかどうかはわかりませんが、とにかく触れることは可能です。
きちんと解説がされているように見えても、それはあくまで仮説であり、真偽はわからないことも多いでしょう。
だからといって、検証されてエビデンスが得られるまでやりませんでは、いつ使えるようになるかわかりません。
そうなったら、改善する可能性があった患者さんのチャンスを、私たちが逃させてしまうことにもなります。
まずは危険がないことは確認でき、実際に役に立つのなら使用していくということで良いと私は思います。
なぜ自転車に乗れるのか?を明らかにする前に、とにかく自転車に乗れるようになっておこう!という感じでしょうか。
現場では実用主義であることも求められます。
また反対に、解剖学的な説明のつじつまが合っているからといって、直ちにその説が正しいと安易に断定することにも注意したいところです。
仮説通りに結果が出たからといって、必ずしもそれが正しいとは限らず、他のメカニズムが作用している可能性もあるはず。
寄らば大樹の陰で、権威のあるメソッドや大先生が言っていることだからといって鵜呑みにするのは危険です。
何かを簡単に決めつけるというのは、セラピストにとっても楽なことだと思います。
安心感すら持つこともあるでしょう。
けれどもそれは落とし穴になるかもしれません。
安易な断定は視野を狭め、考えるということを鈍らせてしまいがち。
それに視点が固定されると、目の前で起こっているさまざまな現象の見落としも多くなります。
結果的にリスクが大きくなる可能性もあるでしょう。
もちろん、患者さんに安心していただくための方便として断定形を使うというのなら、時と場合によってはそれもひとつの方法だとは思います。
でも、私たち自身が思い込んでしまっているとしたら話しはべつ。
現場にいる者には、臨床という不安定で不確実なものに対して、ドンと構えていられるようなある種の図太さ。
すぐに答えは出なくても、焦ることなく現象を見つめ続け、 問うことそのものを楽しめる気持ちの余裕。
そして、できることを確実に行っていく実行力が求められると思います。
そうは言っても、なかなか難しいことなので、これは自戒を込めて。
テーマから脱線したお話でした。
それでは話を戻して練習をはじめましょう。
まずは大腿部から。
イスに座り両手で大腿部に触れます。
いったんしっかり乗せてから、少しずつ圧力を弱めて軽く触れる。
または「5gの力」や「皮膚をつけて骨を浮かす」など自分が持ちやすいイメージを利用するのもよいでしょう。
大腿部でCRIを感知すると、横方向にゆっくり動いていると感じることもあれば、前後方向にそれを感じることもあるでしょう。
仲間どうしで練習したとき、同じモデルの同じ部位に触れた時、セラピストによって動きの感じ方が異なる場合があります。
このような結果を生じやすいことが、客観性に乏しいといわれる一因なのですがそれはともかく。
どちらでも自分が感じたことを、まずは正解として構いません。
客観的な基準を求めることができればベストですが、それが難しい場合は治療の前と後で比較できるようにしておきましょう。
自分の中で前後比較できるということが、実施する上で最低限必要です。
それが自分にとって確信を持つきっかけとなり、自信につながります。
自信を持って治療できなければ、セラピストも患者さんも互いに不安になります。
はじめに感じたのが前後なら前後方向、横なら横方向の動きがどのように変化するか確認できるように練習しましょう。
慣れないうちは、CRIを感知してもしばらくしたらわからなくなるということをくり返すかもしれません。
でもそれはみんなが通る道。
諦めずに続けていれば、そのリズムの存在感が非常に大きいように感じて外さななくなりますよ。
落ち着きと根気が大切です。
≪次回(12月26日更新)に続く≫
その前にCRIの触診に絡めて、臨床にのぞむ姿勢についてのお話を少し。
前々回の「その2」でも触れましたが、CRIは全身どこでも触れることができるとされています。
理由は、脳脊髄液は脳や脊髄を覆う硬膜から神経鞘を経て全身に送られるということから。
全身に送られる「から」感じ取ることができるというものが、因果関係の説明になっているかどうかはわかりませんが、とにかく触れることは可能です。
きちんと解説がされているように見えても、それはあくまで仮説であり、真偽はわからないことも多いでしょう。
だからといって、検証されてエビデンスが得られるまでやりませんでは、いつ使えるようになるかわかりません。
そうなったら、改善する可能性があった患者さんのチャンスを、私たちが逃させてしまうことにもなります。
まずは危険がないことは確認でき、実際に役に立つのなら使用していくということで良いと私は思います。
なぜ自転車に乗れるのか?を明らかにする前に、とにかく自転車に乗れるようになっておこう!という感じでしょうか。
現場では実用主義であることも求められます。
また反対に、解剖学的な説明のつじつまが合っているからといって、直ちにその説が正しいと安易に断定することにも注意したいところです。
仮説通りに結果が出たからといって、必ずしもそれが正しいとは限らず、他のメカニズムが作用している可能性もあるはず。
寄らば大樹の陰で、権威のあるメソッドや大先生が言っていることだからといって鵜呑みにするのは危険です。
何かを簡単に決めつけるというのは、セラピストにとっても楽なことだと思います。
安心感すら持つこともあるでしょう。
けれどもそれは落とし穴になるかもしれません。
安易な断定は視野を狭め、考えるということを鈍らせてしまいがち。
それに視点が固定されると、目の前で起こっているさまざまな現象の見落としも多くなります。
結果的にリスクが大きくなる可能性もあるでしょう。
もちろん、患者さんに安心していただくための方便として断定形を使うというのなら、時と場合によってはそれもひとつの方法だとは思います。
でも、私たち自身が思い込んでしまっているとしたら話しはべつ。
現場にいる者には、臨床という不安定で不確実なものに対して、ドンと構えていられるようなある種の図太さ。
すぐに答えは出なくても、焦ることなく現象を見つめ続け、 問うことそのものを楽しめる気持ちの余裕。
そして、できることを確実に行っていく実行力が求められると思います。
そうは言っても、なかなか難しいことなので、これは自戒を込めて。
テーマから脱線したお話でした。
それでは話を戻して練習をはじめましょう。
まずは大腿部から。
イスに座り両手で大腿部に触れます。
いったんしっかり乗せてから、少しずつ圧力を弱めて軽く触れる。
または「5gの力」や「皮膚をつけて骨を浮かす」など自分が持ちやすいイメージを利用するのもよいでしょう。
大腿部でCRIを感知すると、横方向にゆっくり動いていると感じることもあれば、前後方向にそれを感じることもあるでしょう。
仲間どうしで練習したとき、同じモデルの同じ部位に触れた時、セラピストによって動きの感じ方が異なる場合があります。
このような結果を生じやすいことが、客観性に乏しいといわれる一因なのですがそれはともかく。
どちらでも自分が感じたことを、まずは正解として構いません。
客観的な基準を求めることができればベストですが、それが難しい場合は治療の前と後で比較できるようにしておきましょう。
自分の中で前後比較できるということが、実施する上で最低限必要です。
それが自分にとって確信を持つきっかけとなり、自信につながります。
自信を持って治療できなければ、セラピストも患者さんも互いに不安になります。
はじめに感じたのが前後なら前後方向、横なら横方向の動きがどのように変化するか確認できるように練習しましょう。
慣れないうちは、CRIを感知してもしばらくしたらわからなくなるということをくり返すかもしれません。
でもそれはみんなが通る道。
諦めずに続けていれば、そのリズムの存在感が非常に大きいように感じて外さななくなりますよ。
落ち着きと根気が大切です。
≪次回(12月26日更新)に続く≫