手技療法の寺子屋

手技療法の体系化を夢みる、くつぬぎ手技治療院院長のブログ

シンプルな言葉をシンプルに受け止めない ~ 技術と言葉と生き方と

2016-11-23 21:39:55 | 治療についてのひとりごと
今回は、技術を身につけるということについてのお話し。


セミナーで手技療法の基本技術についてお話しするとき、私はできるだけ身近に経験しているシンプルな言葉を使うようにしています。

ポジショニングの基本なら「おじぎをして手がつく位置で操作をする」という感じで。

そのように表現したほうが、敷居が低くなって基本のイロハを身につけやすいと考えるからです。


難しい言葉を使うと、それだけで身構えてしまうか、反対に変にありがたみを持ってしまって、大事なポイントを外してしまう方がいる。

あるいは対象が限定されてしまう結果、かえって視野を狭めてしまう人もいるように感じています。


でも、シンプルに受け止め過ぎるのも困りもの。

表面的な字面だけを理解して、わかったつもり、できたつもりになっているケースも見受けられます。

敷居が低いからといって、奥行きがないとは限りません。


言葉は方向性を示す「矢印」や「道しるべ」のようなもの。

目的地を指している矢印は、目的地そのものではありません。


当たり前のことですね。

しかし矢印を見ただけで、あるいはその方向へ少し進んだだけで、目的地に着いた気がしている方もいるようです。

その姿を想像してみたら滑稽ではないでしょうか。


おじぎをしたら手がつく位置で操作をする。

たったこれだけのことを、さまざまな状況で意識しなくても操作ができるようになるためには、どれだけの練習と工夫が必要になるか。

あるいは、この操作から外れた方法を用いるべき状況、それをどう判断して使い分けていくのか。

身体に染み込ませていくプロセスは、決してシンプルなものではないでしょう。

20年以上やり続けても、まだ私は納得できないでいます。


とはいえ、手技療法だけできればよいという方ばかりではないので、ある程度マスターしたらひとまずOKということもあり。

むしろそちらの方が多数派でしょう。


ですから、自分の目的に応じて学ぶ程度を決めればよいのですが、それぞれの道にはまだ先があることは忘れないでいて欲しいと思います。

ある程度のレベルまで効率よく身につける方法もあるけれど、その先にじっくり取組む道もあるということを。

表面的なところだけで、すべてを理解したつもりにはならないように。


その一方で、重く受け止め過ぎてはいけない人もいます。

これはマジメな方にありがちかもしれません。

言葉そのものにとらわれてそれを本質とし、金科玉条のように扱うと、地に足が着かなくなって現実から離れていってしまいます。


「おじぎをしたら手がつく位置で操作する」は、自分にとって楽に操作するためのヒントになります。

けれどもこのヒントを、いつでも、どこでも、だれにでも当てはめるとしたら必ずムリが生じます。


目的地を示した矢印をありがたがってしがみついていても、目的地には着かないもの。

矢印で方向性を確認したら、そこから離れて目的地に向けて歩いていかなければいけません。


道の途中には、迂回しなければならない時だってあるでしょう。

同じように、一見すると基本から離れているように見える操作を行わなければならない時だってあります。


このように、基本技術を説明するための言葉は、頭で理解できれば終わり、ソコソコできれば用済みというものではなく、また崇め奉るものでもありません。

言葉は、技術を磨き続けるために活用する道具なのですから。


言葉を手がかりに自分の技術を省みて、試行錯誤をしながら精度を高めていく。

やがては考え方を身につけ、それが見方を広げて人間を作っていく。


すると言葉は、人間を成長させるための道具にもなっていきます。

これは何も名言・至言・金言の類だけではありません。


「おじぎをしたら手がつく位置で操作する」なら、身の丈に応じたことを確実に行っていくという生き方につながっていきます。

言葉を技術として表現し、さらに生き方として体現していくわけです。


言葉という道具を軽く、あるいは重く扱い過ぎることなく、バランスを保ちながら使いこなして、自分を磨くための糧にしていけたらいいですね。





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☆ブログの目次(PDF)を作りました 2014.01.03☆)
手技療法の寺子屋ブログを始めてから今月でまる6年になり、おかげさまで記事も300を越えました。
これだけの量になると、全体をみたり記事を探すのも手間がかかるかもしれません。
そこで、少しでもタイトルを調べやすくできるように、このお休みを使って目次を作ってみました。
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手技療法の寺子屋ブログ「目次」



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(どなたかよくわからないときがありますので、メッセージを添えてください)




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狭窄症というけれど

2016-11-09 09:42:36 | 治療についてのひとりごと
医大図書館で文献を検索していたときのこと。

ふと「腰部脊柱管狭窄症による下肢痛が腰方形筋への介入によって著効した」

という、症例報告に目が留まりました。


似たような報告はよくあるけれど、よくよく考えたら、腰方形筋への介入によって症状が改善したのなら、そもそも腰部脊柱管狭窄症と言えたのか?

医師の診断や保険診療などの兼ね合いがあるから、業界的にそれはそれなのか。

でも、症状の原因と診断にズレがあったとしたら・・・

そしてこのズレが、いかがわしい健康情報が氾濫している原因のひとつとなっているのではないか。

いろいろ考えてしまいます。


先日も下肢のしびれで狭窄症の診断を受け、いろいろな方法を試したという方がいらしたのですが、イスに座っているとしびれでが出で、立ち上がると痛くて一歩目がなかなか出ないという訴えでした。

狭窄症のパターンではないし、しびれがあるという領域に、知覚の鈍麻もありません。

拝見すると身体のバランスの悪さのなかでも、小殿筋の緊張による影響が大きかったようで、幸い3回目にみえた時には症状は落ち着いていて、患者さんはとても喜ばれていました。


このようなケースに出会うと、何ともやりきれない気持ちになります。

もちろん患者さんが良くなったのは嬉しいのですが、社会的にはこのままでよいのでしょうか。

狭窄症を治した訳ではなく、言ってみたら腰のコリをほぐしただけなのに。


少なくとも、表面的な症状だけではなく、症状の出かたを詳しく問診することは心がけたいですね。

奇跡や魔法ではなく、治るものは治るべくして治る。

(もちろん難しいものは難しい)

という認識を世の中に持たせることができず、ただ巷にゴッドハンドが溢れているだけでは、私たちの業界はまだまだではないかと思います。
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身体に合ったセルフケア

2016-10-19 09:04:59 | 治療についてのひとりごと
《Facebookの投稿より》

5年半前に腰痛の相談で一度だけ受診された方が、腰の痛みが治らないとのことで久しぶりにいらっしゃいました。

それにしても5年半もの間、腰痛は大丈夫だったのでしょうか?


「最初に教えてもらった、テニスボールでコリをほぐす体操。

あれを少し気になったときにやったら、すぐに良くなっていたんですよ。

でも今回はなかなか治らなくて(-_-;)」


お身体を拝見してみると悪い病気のサインはなく、問題となっていたところが前回とは違っていただけでした。

そこに手技療法を用いて痛みがなくなったことを確認し、新たなセルフケアをアドバイス。

きちんとケアをされる方だったので、その他にも黄色信号になっているところの方法もいくつかお伝えして終了。

「それではまた5年半後に」とお話すると笑って帰られました。


今回のように、その方に合ったセルフケアができれば、長期にわたって上手くコントロールできるケースもあります。

反対に合っていなければ、せっかくがんばっても効果を挙げることができず、もったいないことになるケースも。

また、刺激の加え方が合わなくても効果が現れにくくなります。


ある方は、ふくらはぎがツリやすいので、がんばってストレッチをしていましたが、なかなか効きませんでした。

その方にとっての正解は、押さえてほぐすことでした。


ある方は肩こりが楽になるように、筋肉を押さえてほぐしていましたが効きません。

この方には、ストレッチして伸ばすことが有効でした。


またある方は腰を反った時の痛みを和らげるため、腰を押さえたりストレッチをされていたのですが良くなりません。

この方は、皮膚をつまんで動かすことで、痛みなく反れるようになりました。


押さえたり、ストレッチした時は良くても、すぐに腰痛がぶり返してしまう方がいました。

この方には、信頼できるトレーナーさんを紹介して適切なトレーニングを行い、鍛えることで良くなりました。


ほぐしたり鍛えたりしても、使い方を変えないと良くならないこともあるのですが、これを意識することもセルフケアのひとつでしょう。

そして何もしないことが、いちばんのケアになる時だってある。

このようにセルフケアは、自分の現在の状態に合った方法を用いる必要があります。


時々、あの方法は良くてあの方法は良くないという話を聞くことがありますが、それはあくまでふさわしい時とそうでない時がある、という話し。

いつでもどこでも正しく、いつでもどこでも間違っている方法というのはありません。

悪かったとしたら使い方が間違っていたということです。


子どもの頃、コーヒーに塩を入れてしまい吹き出したことがあったのですが、だからといって塩が悪いわけではありません。

砂糖と入れ間違えた私が悪い。

セルフケアも同じこと。

料理に応じた調味料を使うように、その時の状態に応じたセルフケアが必要なのですね。
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2000の人生と仕事の深み

2016-10-05 07:54:21 | 治療についてのひとりごと
《Facebookより》
先日、カルテの枚数が2000枚を越えました。

開業して11年で、2000人の方がご来院。


でもこれは、数だけを表しているのではありません。

ひとつの人生との出会いが、2000あったということです。


はるか昔から命のバトンを受け継ぎ、今に至る人の生「人生」が2000も。

そしてこの出会いによって、もしかしたら未来が変わるかもしれない。

そう考えたら、一人で細々続けている小さな治療院ですが、やっていることは決して小さなことではありません。

きっとそれは、どんな仕事でも同じことでしょう。


「仕事に深みがある」という言葉があるけれど、きっとそれは単に知識や技術が優れているというだけではなく、

紡がれてきた人生の重みを実感として持ちつつ内に秘め、

外見上はその重さを感じさせない、軽快で自然な振る舞いのなかに出てくるものではないか。

そのように感じています。


深みが出るまでの道は遠いけど、だからこそ生涯をかける価値があるのでしょう。

私の場合は、身体にあらわれた人生の足跡を、手を通して紐解いていくことが仕事。

日ごろは「コリをほぐします」って言っているだけですけどねf(^^;

この仕事を通して、自分自身の人生も深めていくことができたらと思っています。

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情報のコーディネート

2016-09-23 21:45:44 | 治療についてのひとりごと
《Facebookより》

最近の患者さんは、病気や症状のことをとてもよく勉強されています。

ただ、情報がありすぎて混乱していることも少なくありません。

自分にとってどの情報が意味があり、必要なのかを知ることが大切なのに、たくさん取り込み過ぎてアップアップになっている方もおられます。

それはちょうどいろいろな服を重ね着し過ぎ、身動きが取れなくなっているような感じでしょうか。


そのような時私たちに求められるのは、患者さんの話を聞きながら、その方が情報をどのように受け止め解釈しているのかを理解すること。

必要な情報を選び、付け加えたり、まとめたり、言い換えたりすることで整理し、ひとつの物語を作ること。

こうして交通整理できていない混乱した状態から、スムーズな流れをつくっていきます。


大切なのは、正しい情報を提供するだけではなく、今どのように情報を解釈しているのかを把握し、そこからより適切な方向へ順序立てて案内していくことでしょう。

正しい情報も、患者さんの現在位置から離れていては、つながり響かせることは難しくなります。

サイズの合った、お似合いの服をコーディネートするように、情報をコーディネートしていく。


コーディネートはこーでねーと、っていう感じで。

・・・

自戒を込めて。
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患者さんは見ている

2016-09-03 21:50:27 | 治療についてのひとりごと
《FBより》

問診の時、何度か見えている患者さんから逆に聞かれてしまいました。

「ときどき、焦点の合っていないような目をされている気がするのですが、どうかなさっているのですか?

すっ、するどいっ!!

問診の時は話だけを聞いているのではなく、声の出し方やトーン、呼吸の仕方に加え、挙動やしぐさも見ています。

例えば「首が痛い」という相談を、首を動かしながらお話しされている場合は、シビアな症状ではなく心の緊張も少ない可能性が高いなど、何気ない動きからいろいろ情報をあつめることができます。

(ただし重い病気かどうかは話が別。ガンの骨転移などもはじめは強い症状を出しませんから。)

さらに挙動やしぐさから、どこに異常があるかを大よそ特定していきます。

首の痛みは前側の緊張から起こっていそうだとか、首の訴えだけどもっと下の胴体の影響が大きそうだ、など。

この段階では、目の焦点をどこかに合わせるよりも、景色を眺めるような目の使い方で、全体の動きを見たほうが個人的には見当がつけやすいです。

目的に応じて、時々目の使い方を変えるのですが、もしかしたら患者さんによっては「ちゃんと話を聞いていない」と誤解して受け止める方がいないとも限りません。

自分が見ているということは、相手からも見られているということ。

今回のことに限らず気をつけないといけません。

修行は続きます。

「汝が深淵を覗き込むとき、深淵もまたこちら側を覗き込んでいるのだ」ニーチェ


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「願い」あっての技術

2016-08-21 08:20:15 | 治療についてのひとりごと
「病気の知人に何かできないか、一度でいいから診てもらえないか」


お世話になっている方から連絡をいただきました。

進行性の神経難病で、全介助が必要な状態ということでした。


距離的にも治療院の現状からも往診は難しいのですが、日程を調整して昨日仕事を終えた後、車で向かいました。

久しぶりの大雨で、時おりワイパーも効きません。

高速道路もゆっくりしか走れず、約束の時間ギリギリに到着し、ご自宅へ案内していただきました。


お身体を拝見した私は、筋の委縮や関節の拘縮が随所にみられるなか、できるだけシンプルな方法で行えるよう考えました。

同席されていた、ご家族や身内の方でもできるように。


はじめは、私がある程度行った上でご家族たちに教え、やっていただきながら進めました。

みなさん真剣そのものです。


後半になると、私はやり方を簡単に伝えるだけで、あとはご家族たちで行っていただきました。

受けていてどう感じるのか、患者さんにも伺いながら進めたのですが、たどたどしいながらも言葉で、そして身体で心地よさを表現されています。


そして終了後、ベッドの上にはリラックスして力みなく休まれている患者さんの姿がありました。

限られた範囲ながら、身体の動きも楽そう。

何より表情が穏やかでした。


その変化に私も内心驚きました。

手技療法を専門にしている人ですら、みんながこのような結果を出すことは難しいでしょう。


さいごに、私が手順を話しながらやっているところを動画に撮っていただきました。

一度感覚をつかまれているので、確認用にきっと役立つはず。


雨足も弱まった帰り道、運転しながら高校生だった25年前のことを思い出していました。

病床の祖父を見舞った時、意識のない身体を訳も分からずさすっていたら、険しかった表情が和らいだこと。

この道を志す、自分の原点になった出来事です。


今回の経験から改めて感じました。

「想い」や「願い」あっての技術だと。


かといって精神論を振りかざすつもりはありません。

技術は技術、磨かなければならないものです。


でも「想い」や「願い」がないと、技術は十分に力を発揮できない。

医学としてはふさわしくない考えかもしれないけど、医療としては間違っていない感覚だと思います。


そして、だからこそ人間が人間を診る価値がある。


コンピューターがさらに進歩して、ベテランの医師でも発見が難しいような異常を見つけ出せるようなる。

それまで不可能だった部分の手術も、マイクロロボットで行えるようなる。


そのようになったとしても、人間が人間を診る価値は変わらないでしょう。

むしろそれくらい技術が進歩しても、やはり満たされない何かがあると気づいたとき、その重要性が改めて認識されるのではないでしょうか。


人間が人間を診るということは、病気が治るとか治らないということも越えたところに、その価値があるように思います。

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症状の原因というものについて

2016-08-04 23:17:38 | 治療についてのひとりごと
《Face Book の過去記事から》

慢性頭痛でお悩みの方が相談にみえました。

これまであちこち訪ね、さまざまな治療法を試し、言うのも恥ずかしいくらいの量の痛み止めを飲んできたそうです。

それでもここ数年ほぼ毎日頭痛があり、悶々とした日々を送って来られました。



お身体を拝見すると、筋の緊張も強く、動きにも余裕がありません。

ひとことで言えば、息を吸った状態で止まっているような感じです。

まずは、ゆったりと呼吸できる身体となるようにアプローチしていきました。



あお向けで、みぞおちを緩めていたときのこと。

突然、患者さんの目に涙があふれ始めました。

そして最後に頚部から後頭部の緊張を和らげている時、声を上げて泣き出されました。

私はティッシュを差し出して「気持ちが落ち着くまで泣いていていいですよ」とお話しをし、そのまま待っていました。



身体にアプローチしていると感情があふれ出すことが時々ありますが、なかでも悲しみが表現された時はドラマチックです。

悲しみの場合、その感情を出し切ったとき、何をやっても変わらなかった緊張が和らぎ、気持ちも症状も楽になることがあります。



こちらの患者さんも、「よくわからなかったけど、とにかく悲しかった」と後でお話しされたのですが、泣いて目を腫らしているのを恥ずかしそうにしつつも、肩の力が抜けてリラックスし、笑顔になっていました。

頭痛もなくなり、呼吸もよい動きです。

お帰りのときは、来院された時とは違って穏やかな表情でした。



とても印象深いエピソードだと思います。

でも注意しなければいけないのは、これはあくまでエピソードのひとつだということ。

みぞおちや頚部などの筋肉の緊張を和らげた「から」感情の開放が起こり、愁訴も軽快したという原因と結果の関係、因果関係を示す説明はできません。



みぞおちや頚部などの筋肉の緊張と、感情の問題を理屈で結びつけることはできるかもしれません。

でも、みぞおちや首筋などの筋肉をゆるめると、感情の開放が必ず起こるとはいえないでしょう。

身体のバランスが整うことで、心理的な問題が改善することがあっても、すべての心理的問題が、身体のバランスを整えることによってよくなるわけではない。

当たり前のことですよね。



今回のケースも言えるとしたら、筋肉の緊張が和らぐと共に他の条件が重なったことによって、自発的に感情の開放が起こった。

このあたりまででしょうか。



このように、どこまでなら「そうだ」といえるのか、その範囲を限定して示しておくことはとても大切です。

ここを押さえた上で、いろいろ仮説を立てて可能性を考えるのは、今後の発展のためにも必要なこと。



マニュアルセラピーの中でも身体から心に働きかける、体性感情開放やトラウマリリーステクニックというアプローチがあります。

前者はリラックスさせる中で、後者はトラウマを受けた窮屈な肢位を取った状態から、トラウマなどを開放させる方法だそうですが、もしかしたら今回そのパターンにはまったのかもしれません。



また東洋医学では、心と体を分けて考えずにアプローチします。

東洋医学的な臓腑の相互作用や、経絡という気の流れに、何らかの変化が起こったのでしょうか?



ある心の状態が、特定の部位に緊張の変化として現れるという経験的知識もあります。

セラピストと患者の交流によって生じた認知面の変化、あるいは抑圧の開放など、心理学的な解説もできるでしょうか。

最近いろいろ明らかになっている脳科学の知識からも、その一部が説明できるかもしれませんね。



さらには、治療院の中には私と患者さんの2人だけだったという環境要因も、条件から外せないかもしれません。

他にも誰かいたとしたら、果たして同じことが起こったでしょうか?



このように観察者の視点によって、さまざまな解釈が可能です。

視点の数だけ説明があるといえるかもしれません。



そうなってくると、「~だから」という原因を示す言葉は、簡単に使いにくくなってきますね。

使うとしたら「~である時には」とか「~に限ってみると」というように、条件を特定しておく必要があります。



なぜこのようなことをお話しするのかというと、セラピストのなかには、あるポイントに、あるアプローチ法を用いたらよくなったという経験から、そのポイントを原因として一般化し、いつでもどこでも誰にでも当てはまるというような言い方をする方もいるからです。



自分が見つけたことや考えたことには情が移りますから、そのような言い方をしてしまう気持ちも理解できますが、それは勇み足、風呂敷の広げ過ぎというものかもしれません。

良い結果が出たことはもちろん本当でしょうが、そうでないケースもたくさんあるはず。



どのような状況のときに良い結果がでて、反対にどのような状況なら結果が思わしくなかったのか。

冷静に見極めなければいけません。

そうでないと、せっかくの貴重や発見や経験も周囲から眉つばに見られ、もったいないことになりかねないからです。



統計学的な考え方が重視されるようになってきているのは、そのようなことが起こらないためでもあるでしょう。

臨床はオーダーメイドなので、統計的に有意差が認められることだけが全てだと思いませんが、できるだけ慎重でありたいところです。

表現の仕方については特にそう。



マニュアルセラピーは、今の医療の中では決してメジャーな方法ではないかもしれませんが、薬にような副作用もなく、侵襲性も低いもの。

痛みや不定愁訴など、多くの方が日常的に訴える症状の改善に役立つ可能性があると思います。

だからこそ、大切にしていきたいですね。



また、自分は広い範囲をみているつもりでも、実はひとつの視点に囚われていることもあります。

それによって自分の成長も妨げてしまうかもしれません。



条件を特定することは、それに当てはまらないこともあるということを予め認識していることになります。

自分にはわからないところがある、ということをわかっていることは、井の中の蛙になることを避けられます。



はじめは人から直接教わって学びますが、最終的に求められるのは、自分で自分を成長させる力。

安易に結論付けないというのは、そのためにも大切だと思います。



後日、患者さんからお礼の電話が入り、「母もいちど診てほしい」というご相談をいただきました。

頭痛もずいぶん軽くなり、毎日を楽に過ごされているそうです。

このようなお話を伺うと、心底よかったと胸をなで下ろしてホッとします。



それにしても、なぜこのようなことが起こるのでしょうか?

やっぱり不思議ですね。
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触診の大切さ・・・症例を通して

2016-07-11 21:39:11 | 治療についてのひとりごと
今回は体制機能障害の評価において、触診の大切さを教えてくれるエピソードの紹介です。

3年前にFBへ投稿した古い記事ですが、ご参考になれば幸いです。



左手首の痛みでお悩みの方が来院されました。

お話を伺うと約半年前、手の使い過ぎで左母指背側に痛みを感じ始めたので病院を受診したところ、ドケルバン病との診断を受けられました。

その後、ステロイド注射など保存療法を続けたものの改善せず、痛みは手関節の背面に広がったそうです。

回復が思わしくないため、大学病院を受診したら手術を勧められ、他に方法はないものかと探されたところ、知人の方から紹介を受け、来院されたのでした。




お体を拝見すると、左母指の屈曲で橈骨茎状突起付近に痛み、手関節背面全体に圧迫刺激に対する過敏性を訴えられます。

しかし、短母指伸筋腱・長母指外転筋腱は腱鞘をスムーズに滑走し、腫れや熱感など炎症の所見は認められませんでした。

(筋腹は軽度萎縮してたのですが、患者さんが自分でゴリゴリとマッサージしていたらしく、内出血の後がありました(^_^;))

また、5ヶ月も経過しているわりには、腱や腱鞘に線維性の硬さも感じません。



ただ、橈骨茎状突起付近の筋膜の滑走制限を認め、加えて手関節の前方偏位によるアライメントの変化、そして短母指外転筋の緊張を確認しました。

いずれも、機械的ストレスや関連痛により母指の背側に痛みを起こすことがあります。

更に調べるために、上肢を水平外転させて筋筋膜に軽くテンションをかけ、橈骨茎状突起付近に軽く触れて筋膜を横に往復して滑らしながら、反対の手で前腕、上腕へと筋膜の動きを確認していくと、大胸筋筋膜の緊張が手首の筋膜の動きに伴って変化します。

手首の制限に大胸筋が影響を及ぼしている可能性があります。



胸郭は左へサイドシフトし、骨盤は右に重心が移っており、それによる左上肢帯の動きの変化なども考慮しなければいけませんが、ここでは割愛します。

以上の機能的変化から、機能障害による痛みの可能性が高いと判断しました。



私は、急性期のような鋭い痛みの場合は離れたところから、慢性痛の鈍い痛みの場合は近くからアプローチしますが、今回は離れたところにある大胸筋からスタートしました。

大胸筋をリリースすると、母指の屈曲角度が広がり、手背部の過敏性が低下しました。

こうなると患者さんは喜ばれて安心し、こちらを信頼してくださるようになります。



続いて、手関節の関節モビライゼーションを行った後、母指丘の筋を伸張しました。

それぞれのアプローチごとに痛みと可動域が改善し、最後に茎状突起周囲の筋膜の制限をリリースした後には、5ヶ月間続いた痛みは、ほぼなくなった状態になりました。



このエピソードで、大きな役割を果たしたのは触診です。

軟部組織に限れば、皮膚・皮下組織・筋・腱・靭帯・関節包などあらゆる組織が異常を起こす可能性があります。

それなのに例えば仮に、フィンケルシュタインテストが陽性だからドケルバン病と判断するとしたら、それはSLRで下肢痛が出たから腰椎椎間板ヘルニアだとするのと同じくらい乱暴な話しです。

はじめは腱鞘炎によるものかもしれませんが、時間の経過と共に慢性期に入り、線維化やそれに伴う癒着、周囲の筋緊張や筋膜の滑走制限、関節のマルアライメントにより、同様の痛みを出すことがあるからです。

この場合、触診による異常な部位の特定が役に立ちます。



反対に、今回は即時的変化がみられましたが、腱や腱鞘に炎症を伴い、動きと共にギシギシと軋轢感を触知するような場合はそうはいきません。

周囲のアライメントなどを改善させた後、患部は炎症の処置により安静を保っていただくことになります。



また、いくらいろいろアプローチをしても、狭窄が陳旧化している場合は手技療法による回復は難しいでしょう。

私も力及ばず、病院への受診を勧めて手術によって良くなった患者さんもいらっしゃいます。

このような禁忌の場合も、触診による情報が重要な役割を果たします。

ですから筋骨格系の異常を評価する場合、触診はとても大切なのです。



とくに手技療法を用いる場合、最終的な刺激の範囲、強さ、深さ、方向は触診により決定するので尚更のこと。

触診技術、もっと磨いていきたいと思います。
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経営のこと

2016-06-18 10:33:13 | 治療についてのひとりごと
ここのところ、私の周囲でも独立しようとしている人が何名かいらっしゃいます。

経営のスタイルは人それぞれですが、エールを込めて私の体験を。

とりとめもなく、スマートな話ではないけれど、なにかの参考になればと思います。



10年前の2月、開業して半年を迎えた頃、売り上げは最低を更新しました。

今の一日の売り上げが、一か月の売り上げでした。



1週間以上誰も来ないとなると、気持ちもおかしくなります。

今から思えば、地域の人に私のことを知っていただく(マーケティングや集客)という工夫と努力が足りませんでした。



はじめは、自分がどのようなサービスを提供しようとしているのか、とにかく徹底的にPRすべきです。

できるだけコストは抑えて。



なまじ腕に自信があると、これを怠りがち。

とくに私のように他の街から引っ越してきて1年足らず、知っている人も少なく、地盤もないのに開業するなら、なおさらやらなければいけないことでした。



好きな人に「好きだ」と告白もしないでいるなら、何も伝わらず、何も変わりません。

片思いなら心が苦しいだけで済みますが、経営をしたら何をしなくても経費がかかるので通帳まで苦しくなり、生活を直撃します。



けれども当時はどうしようもなく、やがて翌月の家賃が払えないというところまで落ちました。



生活は妻のパート収入頼み。

ありがたいことに赤字が続いた間も、稼ぎが悪いと責められたことは一度もありませんでした。



私のことを信じてくれていました。

今でも妻には頭が上がりません。

所帯を持って起業するなら、家族のサポートは欠かせません。



ブティックを数店舗経営をしていた、新聞奨学生時代の先輩からアドバイスをいただきながら、とにかくコストをかけずに、できることをやれるだけ続けているうちに少しずつ売り上げが上がり、やがて生活できるようになっていきました。



そして先週、およそ10年ぶりにみえた方がいらっしゃいました。

いろいろ調子が悪くなってきたとき、私のことを思い出してくださったそうです。

当時のことをお話ししていたら、「治療院が続いてくれていてよかった」というお言葉をいただきました。

嬉しかった。



10年以上お店を続けて来ましたが、経営が面白いと思ったことは正直ありません。

そのくせ、子どもの頃から自分がどこかの組織に属して誰かの下で働いているという姿は想像できなかったので、いずれは独立することしか頭にありませんでした。

起業したのは、自分のやりたいように仕事がしたかったから。



経営目標もありませんし、前年同月比で売り上げはどうなのかといったことにも関心がありません。

治療院を大きくすることにも、展開していくことにも興味がありません。

現在と将来の生活の見通しがある程度立っていれば、それでいいという感じです。



本当はいけないのですが、今となっては集客の努力はしていないに等しい。

数字は嫌いだし、事務書類なんて見たくもない。

自分だけならいいけど、人を雇うとなったらこれでは済みません。



生活できてしまえば、もともとの性分が顔を出しますね。

だから経営者としてはダメダメです。



ただし、食わず嫌いはいけませんから、独学で簿記三級を取りましたし、ケアマネで事務作業も経験しました。

とにかくやれるだけはやってみて、得られた結論は、自分には向かないということ。



器用ではない私ですが、経営する上でブレないようにしていることが2つだけあります。

ひとつは、本業に徹すること。

もうひとつは、開院後間もない頃、しんどかった頃に来てくださった方がガッカリしない店であろうとすること。



イカダの船長を自負しながら、小さな店には小さな店のやり方があると思ってやってきました。

今回いただいたお言葉は、自分の信じてきたことが間違っていないと認められた気がしました。



治療院は名目上は私のお店ですが、今は自分のものではない気もしています。

これまでやってこれたのは、お店に来てくださる方がいるから。

その方たちの思いが紡がれて、治療院としてのかたちが残っています。

だから私のものであるようで、私のものでない。



これからも紡がれた思いを大切にしつつ、それに支えられながら小さなイカダで旅を続けようと思っています。

独立されるみなさん、よき旅を。

Bon Voyage!


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