手技療法の寺子屋

手技療法の体系化を夢みる、くつぬぎ手技治療院院長のブログ

急性期のアプローチとたとえ話

2017-02-19 08:09:43 | 治療についてのひとりごと
《Face bookより》

急性腰痛の患者さんがみえました。

安静時の痛みや、脚への痛みはないものの、

腰の曲げ伸ばしや左右へのひねりで、

いずれも背骨のまん中に痛みが出ていて、

咳をしても響きます。

腰に触れると表面から奥に熱を感じ、

おそらく関節部分への炎症を思わせる状態です。

炎症が起きている時は、その部分への刺激は基本的に禁忌。

でも状態によっては、まったく手出しができないわけではありません。

今回のケースなら、患部に負担をかけている周囲の状態を変えるようにしました。

殿部やわき腹、背中、首などにみられたコリをほぐし、

動きが悪くなった関節を動かせるようにします。

すると、起き上がる瞬間に少し痛みがあるものの、

曲げ伸ばしやひねりを加えても、さらに笑っても痛まなくなりました。

腰に触れると表面の熱感は少なくなっていますが、奥には残っているようです。

おそらく表面は充血により熱が出ており、循環が回復することによってそれが排出され、温度が下がったたのだろうと思います。

このように炎症と思われたのが、実は充血だったというケースは時々みられます。

起き上がりで体重がかかった瞬間に痛みが出たのは、残っていた関節周囲の炎症部位を刺激したためでしょう。

痛みがずいぶん楽になって、患者さんは不思議な顔をされ首を傾げています。

そこで私は説明しました。

「ズボンに穴が開いた時、そのズボンがピチピチだったら、動くたびに穴は引っ張られて大きくなりますが、

ユルユルならゆとりがあるので、穴は引っ張られないからそれ以上は大きくなりにくいでしょう。

身体も同じで、カチコチだったら少し動いても傷口にさわって痛みますが、

柔軟性があれば傷口にかかる負担が少なくなるので痛みも少なくなり、自然な経過で良くなりやすいですよ。

私の仕事はピチピチのズボンの生地を伸ばして、適度にユルユルにすることなんです。」

患者さんは納得されたようで、しきりにうなづいていました。

このように炎症だからといって、何もできないわけではありません。

それは椎間板ヘルニアや分離すべり症、脊柱管狭窄症という診断がついていても同じ。

患部にかかる負担を減らす工夫をすることによって、

苦痛を和らげ、より速やかな回復へ導くことが可能な場合があります。

とくに症状が長引くことにより、慢性化することを防ぐというのは大きな意味があると思います。

もちろん程度があって、激しい炎症ならすぐに改善するというのは難しいでしょう。

患部を冷やして安静を保ちながら、痛み止めで嵐が過ぎるのを待つという方法が望ましい場合もあります。

場合によっては手術が必要なケースだってあります。

ただ、自分たちにできること、私の場合なら手技療法で出来ることはないか考えること。

自分の守備範囲を確実に守りながら、その範囲を少しずつ広げていく努力をしていくことは大切だと思います。

ちなみに患者さんによっては動けるようになると、炎症が残っているのにドンドン動いて再発させてしまう方がいます。

そのようなタイプの方には、数日は大事に使うように念を押しておくか、

自覚を促すための手段として、同意の上であえて少し痛みを残しておくこともあります。

すべてがケースバイケースで、即興の対応が求められるところに臨床の面白さがあるのでしょうね。
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医療者としての何気ない会話

2017-01-23 21:23:26 | 治療についてのひとりごと
手技での治療中に患者さんがおっしゃいました。

「ちょっと痛いですぅ(> _ <)」

念のためと思い、真顔で

「ちょっと痛いということは、言い換えたらほとんど痛くないということですね」

と確認したら、ギョッ!(|| ゜Д゜)とした顔をして全力否定され、一瞬時間が止まった後、一緒になって笑いました。

他愛のない話しですが、このような何気ない会話が、患者さんの日常的な感覚を取り戻す上で大切になることもあります。

人によっては初めて経験する症状に出会うと、それまでの日常から切り離されて非日常に放り出されたような感覚に陥り、不安になられる方がおられます。

そのような方に対して、治療行為と並行しながら冗談交じりの会話をする。

それによって症状に悩まされている現在の状態も、日常の延長上にあるものという感覚になり、冷静さを取り戻すきっかけになることがあるように感じています。

治療の導入をスムーズにしたり、モチベーションを維持する助けにもなっているかも。

もちろん相手の性格と状態を見た上での話ですが。

このようなことは、運動のトレーニングでも同じかもしれませんね。

ですから、保育士さんがふつうの子守りではなく、子どもの成長と発達を促しているように。

ヘルパーさんがふつうの家事手伝いではなく、利用者の自立を支援しているように。

医療者にもふつうの会話ではなく、安心を与えながら回復への方向付けを行っていく。

そんな意図を持った会話が、臨床では求められるのだろうと思います。





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医療情報研究所





☆ブログの目次(PDF)を作りました 2014.01.03☆)
手技療法の寺子屋ブログを始めてから今月でまる6年になり、おかげさまで記事も300を越えました。
これだけの量になると、全体をみたり記事を探すのも手間がかかるかもしれません。
そこで、少しでもタイトルを調べやすくできるように、このお休みを使って目次を作ってみました。
手技療法を学ばれている方、興味を持たれている方にご活用いただき、お役に立てれば幸いです。

手技療法の寺子屋ブログ「目次」



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(どなたかよくわからないときがありますので、メッセージを添えてください)


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メソッドと触診

2017-01-03 21:09:45 | 治療についてのひとりごと
手技療法には、ABCメソッドやEFGコンセプト、なんとか式、かんとか流といったものがたくさんあります。


それらメソッドというのは、既製品のズボンのようなもの、とも例えることができると思います。

ズボンは同じデザインでも、いくつかサイズがあって、私たちそれぞれの身体の大きさに対応できるようになっています。


けれども既製のサイズが、そのままで売りものになるとは限りません。

私の場合は残念なことに、必ず裾の「お直し」が必要です。

でないと昔のお奉行のように、裾を引きずって歩かなければいけません


メソッドも同じように、いくつかのタイプやカテゴリーに分類され、それぞれにアプローチの方法が指定されています。

けれども指定された手順どおりにやっていれば、それでOKだとは限りません。

ズボンのお直しのように、その人にあった微調整が必要なこともあるでしょう。


メソッドは、身体を診る上での視点を提供してくれ、ある程度パターン化されることで思考の節約にもなる、とても便利なもの。

けれども、それを現場で使えるようになるためには、お直しの技術、微調整の技術を身につけておかなければいけないと思います。

手技療法の場合、微調整の正確さを左右するのは触診の力です。


そして、お直しの方法を覚えれば、いろいろなメーカーのズボンにも対応することができます。

同じように触診の力を上げておけば、その他のメソッドやコンセプトにも対応することができるはず。


ときどき、メソッドの手順さえ覚えれていればよいと思っている方がいるのですが、とんでもありません。

また、メソッドからメソッドへ放浪しているセラピストもいますが、それは触診の力が不十分なために、せっかくのメソッドを使いこなせていない可能性もあるのではないかと思います。


ですから、どのようなメソッドを使うにせよ、手技療法を用いる上で触診力はとても大切になります
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シンプルな言葉をシンプルに受け止めない ~ 技術と言葉と生き方と

2016-11-23 21:39:55 | 治療についてのひとりごと
今回は、技術を身につけるということについてのお話し。


セミナーで手技療法の基本技術についてお話しするとき、私はできるだけ身近に経験しているシンプルな言葉を使うようにしています。

ポジショニングの基本なら「おじぎをして手がつく位置で操作をする」という感じで。

そのように表現したほうが、敷居が低くなって基本のイロハを身につけやすいと考えるからです。


難しい言葉を使うと、それだけで身構えてしまうか、反対に変にありがたみを持ってしまって、大事なポイントを外してしまう方がいる。

あるいは対象が限定されてしまう結果、かえって視野を狭めてしまう人もいるように感じています。


でも、シンプルに受け止め過ぎるのも困りもの。

表面的な字面だけを理解して、わかったつもり、できたつもりになっているケースも見受けられます。

敷居が低いからといって、奥行きがないとは限りません。


言葉は方向性を示す「矢印」や「道しるべ」のようなもの。

目的地を指している矢印は、目的地そのものではありません。


当たり前のことですね。

しかし矢印を見ただけで、あるいはその方向へ少し進んだだけで、目的地に着いた気がしている方もいるようです。

その姿を想像してみたら滑稽ではないでしょうか。


おじぎをしたら手がつく位置で操作をする。

たったこれだけのことを、さまざまな状況で意識しなくても操作ができるようになるためには、どれだけの練習と工夫が必要になるか。

あるいは、この操作から外れた方法を用いるべき状況、それをどう判断して使い分けていくのか。

身体に染み込ませていくプロセスは、決してシンプルなものではないでしょう。

20年以上やり続けても、まだ私は納得できないでいます。


とはいえ、手技療法だけできればよいという方ばかりではないので、ある程度マスターしたらひとまずOKということもあり。

むしろそちらの方が多数派でしょう。


ですから、自分の目的に応じて学ぶ程度を決めればよいのですが、それぞれの道にはまだ先があることは忘れないでいて欲しいと思います。

ある程度のレベルまで効率よく身につける方法もあるけれど、その先にじっくり取組む道もあるということを。

表面的なところだけで、すべてを理解したつもりにはならないように。


その一方で、重く受け止め過ぎてはいけない人もいます。

これはマジメな方にありがちかもしれません。

言葉そのものにとらわれてそれを本質とし、金科玉条のように扱うと、地に足が着かなくなって現実から離れていってしまいます。


「おじぎをしたら手がつく位置で操作する」は、自分にとって楽に操作するためのヒントになります。

けれどもこのヒントを、いつでも、どこでも、だれにでも当てはめるとしたら必ずムリが生じます。


目的地を示した矢印をありがたがってしがみついていても、目的地には着かないもの。

矢印で方向性を確認したら、そこから離れて目的地に向けて歩いていかなければいけません。


道の途中には、迂回しなければならない時だってあるでしょう。

同じように、一見すると基本から離れているように見える操作を行わなければならない時だってあります。


このように、基本技術を説明するための言葉は、頭で理解できれば終わり、ソコソコできれば用済みというものではなく、また崇め奉るものでもありません。

言葉は、技術を磨き続けるために活用する道具なのですから。


言葉を手がかりに自分の技術を省みて、試行錯誤をしながら精度を高めていく。

やがては考え方を身につけ、それが見方を広げて人間を作っていく。


すると言葉は、人間を成長させるための道具にもなっていきます。

これは何も名言・至言・金言の類だけではありません。


「おじぎをしたら手がつく位置で操作する」なら、身の丈に応じたことを確実に行っていくという生き方につながっていきます。

言葉を技術として表現し、さらに生き方として体現していくわけです。


言葉という道具を軽く、あるいは重く扱い過ぎることなく、バランスを保ちながら使いこなして、自分を磨くための糧にしていけたらいいですね。


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狭窄症というけれど

2016-11-09 09:42:36 | 治療についてのひとりごと
医大図書館で文献を検索していたときのこと。

ふと「腰部脊柱管狭窄症による下肢痛が腰方形筋への介入によって著効した」

という、症例報告に目が留まりました。


似たような報告はよくあるけれど、よくよく考えたら、腰方形筋への介入によって症状が改善したのなら、そもそも腰部脊柱管狭窄症と言えたのか?

医師の診断や保険診療などの兼ね合いがあるから、業界的にそれはそれなのか。

でも、症状の原因と診断にズレがあったとしたら・・・

そしてこのズレが、いかがわしい健康情報が氾濫している原因のひとつとなっているのではないか。

いろいろ考えてしまいます。


先日も下肢のしびれで狭窄症の診断を受け、いろいろな方法を試したという方がいらしたのですが、イスに座っているとしびれでが出で、立ち上がると痛くて一歩目がなかなか出ないという訴えでした。

狭窄症のパターンではないし、しびれがあるという領域に、知覚の鈍麻もありません。

拝見すると身体のバランスの悪さのなかでも、小殿筋の緊張による影響が大きかったようで、幸い3回目にみえた時には症状は落ち着いていて、患者さんはとても喜ばれていました。


このようなケースに出会うと、何ともやりきれない気持ちになります。

もちろん患者さんが良くなったのは嬉しいのですが、社会的にはこのままでよいのでしょうか。

狭窄症を治した訳ではなく、言ってみたら腰のコリをほぐしただけなのに。


少なくとも、表面的な症状だけではなく、症状の出かたを詳しく問診することは心がけたいですね。

奇跡や魔法ではなく、治るものは治るべくして治る。

(もちろん難しいものは難しい)

という認識を世の中に持たせることができず、ただ巷にゴッドハンドが溢れているだけでは、私たちの業界はまだまだではないかと思います。
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身体に合ったセルフケア

2016-10-19 09:04:59 | 治療についてのひとりごと
《Facebookの投稿より》

5年半前に腰痛の相談で一度だけ受診された方が、腰の痛みが治らないとのことで久しぶりにいらっしゃいました。

それにしても5年半もの間、腰痛は大丈夫だったのでしょうか?


「最初に教えてもらった、テニスボールでコリをほぐす体操。

あれを少し気になったときにやったら、すぐに良くなっていたんですよ。

でも今回はなかなか治らなくて(-_-;)」


お身体を拝見してみると悪い病気のサインはなく、問題となっていたところが前回とは違っていただけでした。

そこに手技療法を用いて痛みがなくなったことを確認し、新たなセルフケアをアドバイス。

きちんとケアをされる方だったので、その他にも黄色信号になっているところの方法もいくつかお伝えして終了。

「それではまた5年半後に」とお話すると笑って帰られました。


今回のように、その方に合ったセルフケアができれば、長期にわたって上手くコントロールできるケースもあります。

反対に合っていなければ、せっかくがんばっても効果を挙げることができず、もったいないことになるケースも。

また、刺激の加え方が合わなくても効果が現れにくくなります。


ある方は、ふくらはぎがツリやすいので、がんばってストレッチをしていましたが、なかなか効きませんでした。

その方にとっての正解は、押さえてほぐすことでした。


ある方は肩こりが楽になるように、筋肉を押さえてほぐしていましたが効きません。

この方には、ストレッチして伸ばすことが有効でした。


またある方は腰を反った時の痛みを和らげるため、腰を押さえたりストレッチをされていたのですが良くなりません。

この方は、皮膚をつまんで動かすことで、痛みなく反れるようになりました。


押さえたり、ストレッチした時は良くても、すぐに腰痛がぶり返してしまう方がいました。

この方には、信頼できるトレーナーさんを紹介して適切なトレーニングを行い、鍛えることで良くなりました。


ほぐしたり鍛えたりしても、使い方を変えないと良くならないこともあるのですが、これを意識することもセルフケアのひとつでしょう。

そして何もしないことが、いちばんのケアになる時だってある。

このようにセルフケアは、自分の現在の状態に合った方法を用いる必要があります。


時々、あの方法は良くてあの方法は良くないという話を聞くことがありますが、それはあくまでふさわしい時とそうでない時がある、という話し。

いつでもどこでも正しく、いつでもどこでも間違っている方法というのはありません。

悪かったとしたら使い方が間違っていたということです。


子どもの頃、コーヒーに塩を入れてしまい吹き出したことがあったのですが、だからといって塩が悪いわけではありません。

砂糖と入れ間違えた私が悪い。

セルフケアも同じこと。

料理に応じた調味料を使うように、その時の状態に応じたセルフケアが必要なのですね。
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2000の人生と仕事の深み

2016-10-05 07:54:21 | 治療についてのひとりごと
《Facebookより》
先日、カルテの枚数が2000枚を越えました。

開業して11年で、2000人の方がご来院。


でもこれは、数だけを表しているのではありません。

ひとつの人生との出会いが、2000あったということです。


はるか昔から命のバトンを受け継ぎ、今に至る人の生「人生」が2000も。

そしてこの出会いによって、もしかしたら未来が変わるかもしれない。

そう考えたら、一人で細々続けている小さな治療院ですが、やっていることは決して小さなことではありません。

きっとそれは、どんな仕事でも同じことでしょう。


「仕事に深みがある」という言葉があるけれど、きっとそれは単に知識や技術が優れているというだけではなく、

紡がれてきた人生の重みを実感として持ちつつ内に秘め、

外見上はその重さを感じさせない、軽快で自然な振る舞いのなかに出てくるものではないか。

そのように感じています。


深みが出るまでの道は遠いけど、だからこそ生涯をかける価値があるのでしょう。

私の場合は、身体にあらわれた人生の足跡を、手を通して紐解いていくことが仕事。

日ごろは「コリをほぐします」って言っているだけですけどねf(^^;

この仕事を通して、自分自身の人生も深めていくことができたらと思っています。

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情報のコーディネート

2016-09-23 21:45:44 | 治療についてのひとりごと
《Facebookより》

最近の患者さんは、病気や症状のことをとてもよく勉強されています。

ただ、情報がありすぎて混乱していることも少なくありません。

自分にとってどの情報が意味があり、必要なのかを知ることが大切なのに、たくさん取り込み過ぎてアップアップになっている方もおられます。

それはちょうどいろいろな服を重ね着し過ぎ、身動きが取れなくなっているような感じでしょうか。


そのような時私たちに求められるのは、患者さんの話を聞きながら、その方が情報をどのように受け止め解釈しているのかを理解すること。

必要な情報を選び、付け加えたり、まとめたり、言い換えたりすることで整理し、ひとつの物語を作ること。

こうして交通整理できていない混乱した状態から、スムーズな流れをつくっていきます。


大切なのは、正しい情報を提供するだけではなく、今どのように情報を解釈しているのかを把握し、そこからより適切な方向へ順序立てて案内していくことでしょう。

正しい情報も、患者さんの現在位置から離れていては、つながり響かせることは難しくなります。

サイズの合った、お似合いの服をコーディネートするように、情報をコーディネートしていく。


コーディネートはこーでねーと、っていう感じで。

・・・

自戒を込めて。
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患者さんは見ている

2016-09-03 21:50:27 | 治療についてのひとりごと
《FBより》

問診の時、何度か見えている患者さんから逆に聞かれてしまいました。

「ときどき、焦点の合っていないような目をされている気がするのですが、どうかなさっているのですか?

すっ、するどいっ!!

問診の時は話だけを聞いているのではなく、声の出し方やトーン、呼吸の仕方に加え、挙動やしぐさも見ています。

例えば「首が痛い」という相談を、首を動かしながらお話しされている場合は、シビアな症状ではなく心の緊張も少ない可能性が高いなど、何気ない動きからいろいろ情報をあつめることができます。

(ただし重い病気かどうかは話が別。ガンの骨転移などもはじめは強い症状を出しませんから。)

さらに挙動やしぐさから、どこに異常があるかを大よそ特定していきます。

首の痛みは前側の緊張から起こっていそうだとか、首の訴えだけどもっと下の胴体の影響が大きそうだ、など。

この段階では、目の焦点をどこかに合わせるよりも、景色を眺めるような目の使い方で、全体の動きを見たほうが個人的には見当がつけやすいです。

目的に応じて、時々目の使い方を変えるのですが、もしかしたら患者さんによっては「ちゃんと話を聞いていない」と誤解して受け止める方がいないとも限りません。

自分が見ているということは、相手からも見られているということ。

今回のことに限らず気をつけないといけません。

修行は続きます。

「汝が深淵を覗き込むとき、深淵もまたこちら側を覗き込んでいるのだ」ニーチェ


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「願い」あっての技術

2016-08-21 08:20:15 | 治療についてのひとりごと
「病気の知人に何かできないか、一度でいいから診てもらえないか」


お世話になっている方から連絡をいただきました。

進行性の神経難病で、全介助が必要な状態ということでした。


距離的にも治療院の現状からも往診は難しいのですが、日程を調整して昨日仕事を終えた後、車で向かいました。

久しぶりの大雨で、時おりワイパーも効きません。

高速道路もゆっくりしか走れず、約束の時間ギリギリに到着し、ご自宅へ案内していただきました。


お身体を拝見した私は、筋の委縮や関節の拘縮が随所にみられるなか、できるだけシンプルな方法で行えるよう考えました。

同席されていた、ご家族や身内の方でもできるように。


はじめは、私がある程度行った上でご家族たちに教え、やっていただきながら進めました。

みなさん真剣そのものです。


後半になると、私はやり方を簡単に伝えるだけで、あとはご家族たちで行っていただきました。

受けていてどう感じるのか、患者さんにも伺いながら進めたのですが、たどたどしいながらも言葉で、そして身体で心地よさを表現されています。


そして終了後、ベッドの上にはリラックスして力みなく休まれている患者さんの姿がありました。

限られた範囲ながら、身体の動きも楽そう。

何より表情が穏やかでした。


その変化に私も内心驚きました。

手技療法を専門にしている人ですら、みんながこのような結果を出すことは難しいでしょう。


さいごに、私が手順を話しながらやっているところを動画に撮っていただきました。

一度感覚をつかまれているので、確認用にきっと役立つはず。


雨足も弱まった帰り道、運転しながら高校生だった25年前のことを思い出していました。

病床の祖父を見舞った時、意識のない身体を訳も分からずさすっていたら、険しかった表情が和らいだこと。

この道を志す、自分の原点になった出来事です。


今回の経験から改めて感じました。

「想い」や「願い」あっての技術だと。


かといって精神論を振りかざすつもりはありません。

技術は技術、磨かなければならないものです。


でも「想い」や「願い」がないと、技術は十分に力を発揮できない。

医学としてはふさわしくない考えかもしれないけど、医療としては間違っていない感覚だと思います。


そして、だからこそ人間が人間を診る価値がある。


コンピューターがさらに進歩して、ベテランの医師でも発見が難しいような異常を見つけ出せるようなる。

それまで不可能だった部分の手術も、マイクロロボットで行えるようなる。


そのようになったとしても、人間が人間を診る価値は変わらないでしょう。

むしろそれくらい技術が進歩しても、やはり満たされない何かがあると気づいたとき、その重要性が改めて認識されるのではないでしょうか。


人間が人間を診るということは、病気が治るとか治らないということも越えたところに、その価値があるように思います。

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