「不毛な議論だ」「時間の浪費だ」と思われる会議が多いとみなさんは感じませんか。
日常の中にもありますし、政治の場面でもよく感じます。
そんな会議に出席すると残念でなりませんが、なにより残念なのはそんな「不毛な議論」が次もまたその次もと続いていくことです。
福沢諭吉は議論の仕方についてこう述べています。
「軽重、長短、善悪、是非などは比較することから生まれる考え方である。
軽いものがなければ重いものはない。善がなければ悪もない。
だから軽いとは重いものよりも軽いということであり、善とは悪よりもよいということで、お互いを比較しなければ軽重善悪を論ずることはできない。
このように比較してはじめて何が重いか、何が善であるかが決まることを“議論の本位”という」
またこのようにも述べています。
「議論の目的を定めてから議論しなくてはいけない。
そうすれば“枝葉末節”にこだわることなく、その本源に遡って議論ができる」
福沢諭吉が書いた「学問のすすめ」は、当時の大ベストセラーになりました。
諭吉が生まれたのは1853年で、18歳の時に黒船が来航し幕末動乱を経験、25歳の時に幕府使節団の護衛として咸臨丸の一員として初の渡米をしています。
明治維新(33歳)後の1872年(37歳)に発表した「学問のすすめ」は、長い間続いた徳川幕府の旧い価値体系が崩壊して、精神的に路頭に迷った国民に対しての強烈なメッセージでした。
日本が真の独立を達成するためには、個人の独立が必要であり、そのためには一人ひとりが「学問」を身につけることが不可欠であると説いたものです。
個人が自立していなければ、世論の大勢に流されてしまい、物事を論理的に考えることができません。
現代も幕末と同様に混乱しています。
「不毛な議論」ばかりが続く世相もその表れかもしれません。
日常の中にもありますし、政治の場面でもよく感じます。
そんな会議に出席すると残念でなりませんが、なにより残念なのはそんな「不毛な議論」が次もまたその次もと続いていくことです。
福沢諭吉は議論の仕方についてこう述べています。
「軽重、長短、善悪、是非などは比較することから生まれる考え方である。
軽いものがなければ重いものはない。善がなければ悪もない。
だから軽いとは重いものよりも軽いということであり、善とは悪よりもよいということで、お互いを比較しなければ軽重善悪を論ずることはできない。
このように比較してはじめて何が重いか、何が善であるかが決まることを“議論の本位”という」
またこのようにも述べています。
「議論の目的を定めてから議論しなくてはいけない。
そうすれば“枝葉末節”にこだわることなく、その本源に遡って議論ができる」
福沢諭吉が書いた「学問のすすめ」は、当時の大ベストセラーになりました。
諭吉が生まれたのは1853年で、18歳の時に黒船が来航し幕末動乱を経験、25歳の時に幕府使節団の護衛として咸臨丸の一員として初の渡米をしています。
明治維新(33歳)後の1872年(37歳)に発表した「学問のすすめ」は、長い間続いた徳川幕府の旧い価値体系が崩壊して、精神的に路頭に迷った国民に対しての強烈なメッセージでした。
日本が真の独立を達成するためには、個人の独立が必要であり、そのためには一人ひとりが「学問」を身につけることが不可欠であると説いたものです。
個人が自立していなければ、世論の大勢に流されてしまい、物事を論理的に考えることができません。
現代も幕末と同様に混乱しています。
「不毛な議論」ばかりが続く世相もその表れかもしれません。
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