八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

6月8日(校歌)

2015年06月08日 13時52分23秒 | マスコミ批判・その他
下記の七五調の歌は私の母校の校歌だけど、さて小中高のいづれでしょうか。

   流れてつきぬ 北上川胆沢川
         み雪絶えせぬ 横岳駒ヶ岳
   ああ我が水沢の このけしき
         ああ我が学校の このながめ
   日ごと日ごとに 集い来て
         もの学びする里の子よ
   この山川を こころにて
         あしたゆうべに励めかし
   智は水底(みなそこ)の いや深く
         徳は雲居を しのぐまで
   むかし思えば 名の高き
         すぐれし人も 住めりけり
   世は幾千とせ へだつとも
         同じ景色の この里に
   人ばかりやは おとるべき
         人ばかりやは おとるべき

 ps:校歌は明治35年制定。名の高き優れし人とは、高野長英を指している。

答えは、小学校

1、2年生の時はチンプンカンプンで、おとなしく聴くだけで精一杯だった。
3年生の時は意味が分からないながら、門前の小僧でちょっとは♪歌えた。
先生から校歌の意味などを教えられたのは、4年生になってからだった。
意味をそれなりに理解できたのは、高校に入って古文を勉強してからだった。

特に「人ばかりやは おとるべき」が難解で、「おとる」を劣るじゃなく年下のと解するのがミソ。 
山や川は何年たっても変わらないけど、人だけは年々年下の人に代わって行くという意味。
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4 コメント

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答え (たんぽぽ)
2015-06-08 06:27:01
おはようございます。八兵衛さん。



中学校?
返信する
Unknown (八兵衛)
2015-06-08 13:32:36
たんぽぽさんへ、コメントどうもありがとうございました。

あれは、どう考えても小学校の校歌じゃないですよね。
戦後や今の世相で考えちゃいけないんでしょうけど、
明治の頃の小学校って、呆れるくらい凄かったんですねぇ
返信する
小学校でしたか (たんぽぽ)
2015-06-09 06:13:53
最初、そう思ったのですが・・
あまりに難しいので中学校にしました。
残念!

当時の小学生はすごいですね。
返信する
最初に思われたとおりでした (八兵衛)
2015-06-09 08:54:54
たんぽぽさん、おはようございます。
歌詞に「里の子」とあるし、あえてブログで尋ねるくらいだから、
多分そう思われたのでは。

それにつけても、小学生には難し過ぎた校歌でした。
笑い話ですが低学年の時は耳で聴くだjけの歌詞なので、
 「ミユキたえせぬ」って、何だ?
 「血はみな底」って、なんだか恐ろしい、
 「遠くは雲いをしのぐまで」って、ずいぶん遠いんだなあ、
当時はこうでしたもの。

尋常小学校、おそるべし!!、デス
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