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2006年6月5日開始
北海道札幌市
日々、家族の幸せを願いつつ生きる50歳

細川ガラシャ

2006年11月10日 22時34分40秒 | 日記・エッセイ・コラム

って、知ってます?

 

アノ

明智光秀の娘です。

 

戦国乱世に生き 武士道とキリスト教の神髄を

その死をもって 己の中に融和してみせた女性

  

細川ガラシャ

 

今からおよそ400年前 織田・豊臣の動乱期の頃 

ガラシャは都周辺 大津一帯を支配する 

明智光秀の三女として その生を受けた

 

本名を玉という

 

天正6年 16歳の年 主君信長公の媒酌により

祝福されつつ細川忠興のもとへ嫁した玉ではあったが

4年後 父光秀の本能寺での謀反により

彼女は突如 謀反人の娘という重い運命を背負わされてしまうのである

 

その過酷な運命と迫害とを 神の与えた苦難として受け入れようとする玉の胸中には キリスト教に対する信仰が 次第に強く確実なものとなっていったのである

 

天正15年 25歳の時キリシタンのセミナリオを訪れた玉は

ここに洗礼名「ガラシャ」を授かるのである

 

慶長5年 秀吉の天下の終焉と共に 豊臣方から徳川方へ走った夫忠興のために ガラシャは豊臣方の人質として大阪城に幽閉されようとする

しかし それを拒否したガラシャは 関ヶ原の合戦を目前にしたその日

自ら屋敷に火を放ち 燃え上がる炎の中で その美しさに悲運の十字架を背負った 波乱の生涯を終えたのである

  

時にガラシャ 38歳であった

  

わかる人にはわかる話だね・・・

 

この女性は、たぶん戦国史上で、淀の方の次に有名な女性です。

 

辞世の句もなかなか深くて・・・

「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」