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もののけ姫

2014年07月22日 | 映画・ドラマ

夏にジブリの新作が公開されるのにあわせて、金曜ロードSHOW!で、ジブリ作品が3週にわたって一挙に放送されたが、「もののけ姫」は、その第1弾。

’97年の公開から17年の歳月がたち、地上波では、今回が7回目の放送になるそうだが、にもかかわらず、21.9%という高視聴率をマーク!

相変わらずの宮崎作品への人気をうかがわせるが、自分自身、この度の「もののけ姫」には、並々ならぬ注目を寄せていた。

 

—実を言うと、自分にとって「もののけ姫」は、”ジブリ離れ”を促すきっかけとなった作品でもある。 

それまでの宮崎駿の作品は・・といえば、「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」と、ヒットを連発。

もちろん、様々に考えさせられる要素もあるが、見た後も爽快感のある、単純に映画として”楽しめる”、よい作品が圧倒的に多い。

 

次はどれだけクオリティの高い作品を世に送り出すのか?・・と、世間の過剰な期待が高まっていたのも事実だろうし、マスコミも、それをこぞって煽り立てていた。

ご多分にもれず、自分自身、非常に期待も高かった。 

 

それだけに、はじめて「もののけ姫」を見た後の

「うーん・・

・・という違和感はハンパなかった。

 

単純に、ナウシカの「人間」対「自然」・・という構図とも違う。

人間でありながら、山犬モロに育てられたもののけ姫・サンと、呪いをかけられ、人間の世界からかけ離れた存在であるアシタカ

どちらも自然でも人間でもない”境界”にある存在・・。

 

そして複雑にからみあう人間界の勢力・・。

製鉄という最先端の技術をもつタタラ場のエボシ御前は、自然界にとっては相容れない森の破壊者であるが、人間の世界では、らい病患者など社会から虐げられ、顧みられなくなった者たちの救世主でもある。

また、製鉄の技術自体、幾多もの勢力から狙われる、人間にとって必要不可欠なもの・・。

単純に割り切れない世界観の多様性、その複雑さ、奥深さは、我々が生きる、この世界そのままである。

 

ーそれもそのはず、宮崎駿が構想に16年をかけたというこの大作には、宮崎の思想と、新しい民俗学、考古学、歴史観、生命倫理・・などの膨大な情報が詰め込まれており、なおかつ、ストーリーは緻密かつ重層的に構築されていて、画面には直接登場しない組織や人物たちによる文字通りの暗闘がその背後にある・・という設定。

http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/miyazaki/kisochishiki.html

 

また、宮崎が制作に当たって最も意識した物語は、5000年前にメソポタミアで書かれた人類最古の叙事詩『ギルガメシュ』だという。

そのあらすじは以下のとおり・・。 


<ウルクの王ギルガメシュは、親友と共に人間の世界を広げるためにレバノン杉の原生林を伐る。 

怒った半身半獣の森の神・フンババは、凶暴な姿になってギルガメシュを襲うが、ついには首を刈られてしまう。

それを可能にした最強兵器こそ、金属—青銅の斧だった。

神退治の代償として親友を失ったギルガメシュは、死の世界へと旅立つが、何の成果も得られず、絶望の果てに故国に戻って来る。 

ギメガメシュは、神を殺して人間だけの王国を作ろうとした己の傲慢さを恥じ、自然破壊や生命操作は破滅の道だと遺言して果てる・・。>

 

—ストーリーも、根底に流れるテーマも、「もののけ姫」とそっくりである。

 

 

さて、初見では期待ハズレ感の大きかったこの作品、今回、注目していたのは「天皇制」という観点からの、個人的な「もののけ姫」再考・・という目的ゆえである。

なので、この記事自体、「もののけ姫」の本筋のストーリーとは、それほど関係ないので、あしからず・・。

 

そして、注目するキャラクターは、このジコ坊

先に参照したサイト、『「もののけ姫」の基礎知識』の解説によると、ジコ坊は謎の組織、「師匠連」の一員である。

しかし、~”坊”という呼称とは裏腹に、僧侶らしい布教活動や修行とは無縁の術策士といった風貌で、配下に「唐傘」と呼ばれる戦闘指揮官、砲術士「石火矢衆」などの特殊部隊を従え、狩人や「ジバシリ」(=地走り)と呼ばれる山の民なども動員出来るネットワークを持つ。

朝廷とは主従関係にあるらしく、「シシ神退治」に於けるタタラ場の指揮を任されている。

その実体は、「石火矢」を日本に持ち込んだ中国(明)か朝鮮の渡来人、深読みすれば、古代日本に製鉄技術を持ち込んだ渡来人(=「韓鍛冶」)の末裔とも、朝廷に新型兵器の売り込みをする「死の商人」とも、さらには朝廷をも闇で支配しようと画策していた陰謀集団とも考えられる。

彼らの当面の目的も、「シシ神退治」の見返りとして、朝廷からエボシタタラの独占経営—兵器工場としての機能確保を任されることにあったのではないか・・云々。

 

—その正体が何であるか?・・といったトコロに話が行くと、果てしなく脱線していくので、とりあえず措く。

 

肝心なトコロは、「天朝」—すなわち、「天皇」を中心とする朝廷とつながりのある、特権をもった僧形の集団がある・・という点。

 

本作の舞台となった時代ー南北朝の戦乱を経た室町時代において、朝廷の権威は衰退していたものの、自由通行権や免田給付など職人たちの特権を認めた「供御人制度」は健在であった。

供御人(くごにん)とは、中世において、朝廷に属し天皇・皇族などに山海の特産物などの食料や各種手工芸品などを貢納した集団。

古代においては、天皇・朝廷に海水産物を中心とした御食料(穀類以外の副食物)をにえ)として貢ぐ慣習があり、律令制の下においても租・庸・調などの税とは別に、贄の納付が定められていたと考えられている。

 

これらを貢納する贄人をはじめとする非農業民は、従来「無主」にして「公私共利」の地とされた山野河海の利用により生業をたてていた。

(カテゴリー/歴史・民俗:「鬼と天皇」参照http://blog.goo.ne.jp/kinto1or8/e/67484cde1bb14fc416a0c69651d281ee

 

神人・供御人とも呼ばれるは、中世では柿色の衣を着た人々で、一般平民とは区別されている。

作品中でもジコ坊は柿色の衣を着ている。

 

律令制度を確立し、大和朝廷の中央集権化を図るには、農民を戸籍で管理し、納税させる・・というシステムを確固たるものにする必要がある。

複数の共同体のゆるやかな連合によって成立したと考えられている大和朝廷は、当初、中央にある共同体にとっては、合意の上での発足である。

しかし、権力が巨大化すれば、それを裏で牛耳ろうとする者もまた現れる・・。

 

古代から中世において、 自分たちが食べるために農業に従事していた地方の共同体の人々を、農業民、一般平民として律令制のシステムに取り込むには、いかに天皇(=天子)の皇威を全国、津々浦々にあまねく知らしめるコトができるかがポイントである。

ちなみにアシタカは、大和朝廷に敗れた蝦夷(えみし)の一族の出とされる。

 

実際、近代になって大日本帝国憲法発布の際、皇威を知らしめるために全国の史跡や古墳などを皇跡」「天皇陵」として改ざんし、地方にも天皇を近しい存在とするような措置がとられたり、神仏分離令によって神体としての仏像の使用禁止や仏事の禁止、寺院の廃合、僧侶の神職への転向など、神社から仏教的要素を払拭する「廃仏毀釈」が行われている。

 

いかに天皇(=天子)の皇威を全国、津々浦々にあまねく知らしめるコトができるか?

それを律令制の制定というトップ→ダウンの、中央からのベクトルとは逆のベクトルを、地方から草の根的に担ったネットワークが存在した。

それが役小角(えんのおづぬ)が開祖といわれる修験道である。

 

修験道、あるいは陰陽修験は、呪術・占術や道教・仏教の信仰を習合しながら民間信仰として、律令制度を表裏一体に補完したワケである・・。

 

末端にあると、中央の天皇がつながる・・という考え方は、文化人類学的な観点のみならず、民俗学的・歴史学的に見ても、十分、裏付けのとれる話だったワケである・・。

 

ジコ坊の存在は、その背景を鑑みて創作されたキャラクターであろう・・と思われる。

 

 

いやー・・それにしても、恐るべき「天皇制」・・。

これだけ、長く存続し続けるには、深く深く、我々の深層意識に、その呪力が刷り込まれているからにほかならない・・。

 

そして、そうした役割を担ってきた集団が、常に朝廷の外にも草の根的に存在し続けてきた・・とゆーワケである。

 

・・長くなるので、この辺で・・。


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