かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

「家紋」その10:悩ましき紋

2013-01-11 12:15:23 | その他
ネットで検索して、当地区の家紋の名前はほとんどわかったのだが、
3つばかりどうしても答えがわからず残ったものがあった。




どちらも花だろうとは思うのだが、何とも断定しかねる。
(ご存じの方 お教えいただければありがたいです)
でも、2番目のは花菱(隅切り角に花菱)ではなかろうかと思われる。

そして、私を悩ませたのがこの家紋。


文字を幾何学模様にしたような・・・
何度かネットで調べたがわからなかった。
この家紋は、江戸時代後期 当地区の組頭だった家のものである。
ならば、なにか特別な意味があるのではなかろうか? などと思ったりもした。

そこで、この半島でこの苗字が多いと聞いていた地区の墓地へ行ってみることにした。
すると、予想は当たり、同じ苗字の家はすべてこの家紋であることがわかった。
その数20余り。
しかし、全体の有り様は似ているのだが、細部で少しずつ異なっている。
例えばこんな風に・・




家紋を写し間違えたのか、あるいは意図的に少しずつアレンジしたのかはわからない。
おそらく、意図的に原形を少しずつ変化させたのではなかろうかと思う。

さて、この悩ましい家紋だが、奥さんの協力を得て検索することができた。
どうやらこれは「角字」というもののようだ。
そして、その中で似た文字を探していると、
どうやらこの家紋は「恵(惠)」であろうとの結論に至った。
では、なぜこの紋にしたのか謂れを知りたいところである。


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僕の心細道(157:ネパールⅢ編-第十三章)

2013-01-09 10:30:00 | 旅行
-8日目のつづき-
正午にルクラを離陸した。
しかし、この日は天気があまり良くなく、ヒマラヤの山々はほとんど見えなかった。

12:45頃、無事カトマンドゥ空港に着陸。
ルクラに比べるとぽかぽかと暖かい。
空港で出迎えてくれた現地旅行社のスタッフは、なんと前年のトレッキングでお世話になった男性だった。
名前は忘れたけれど・・・。
そして、彼から「ルクラ-カトマンドゥ便は、本日は霧が多くなり、これ以後の便は欠航になった」との悲報を聞かされた。
ルクラに取り残された私のザックは、明日の便で届けられるとのことであった。
主人と離れ離れのかわいそうなザックである。

空港からバスでナラヤニ・ホテルへ。
ホテルに着いてまず昼食となった。
フライドライス、焼きそば、肉2種にスープという、ボリュームのある食事だった。
それに何よりビールが旨い!

食事の後、各自シャワーを浴びる。
久々のシャワーで気持ち良~し。
が、ここで問題だ。
私の衣類すべてが、ルクラに置いてきぼりにされたザックの中にある。
当然 パンツも。
そんな私を哀れんだツアーリーダーのKさんがパンツを貸して、いやいや“下さった”。
新品ではなく、ゴムが緩めだったが、
私は救われた。

このあと、急遽チトワン国立公園へ行くことになった。
予定のスケジュールにはなかったのだが、日本人観光客誘致のPRのため今回は割安で行けますよ、ということで、全員賛成で行くことになった。
午後3時出発の予定でロビーに下りる。
ここで、先ほど空港へ迎えに来た旅行社の男性が「Yさんを知っていますか?」と聞く。
彼は今日日本へ帰ったという。
なつかしい名前を聞かされた。
彼らしく、男性に名刺を渡している。
彼とは、前年二人でアンナプルナ・トレッキングに行ったのだ。

3時半頃、チトワンへ向け出発する。
カトマンドゥ市内を抜けるのに、車が混んでいてちと時間がかかった。
カトマンドゥ盆地から下って行き、しばらくはでこぼこ道を走る。
この途中ヒマラヤが見えるはずだが、今回は余り天気が良くなく、全く見えなかった。
しだいに窓の風景が違ってくる。
陽が落ちて薄暗くなった頃、ドライブインで休憩する。

再び夜道を走る。
午後7時半頃Safari Narayaniに着く。
ここで夕食となった。
食事は豪華なのだが、残念ながらやや風邪気味になりあまり食べられなかった。
1時間後、今度はジープ2台に分乗してロッジへ向かう。
9時半過ぎにやっと着いた。
     ≪つづく≫

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大般若H25

2013-01-05 13:10:59 | 田舎の生活
今日は、夜明け前の午前7時から地区の大般若行事があった。
当地区では「おはんにゃ」と呼んでいる毎年恒例のもの。



三崎の伝宗寺から運んできた経典箱に大根をくくりつけ、その下をくぐる。


くぐった後には、“十六善神様”の掛け軸の入った箱で背中をたたいてもらう。
経典箱の中には大般若経の経典がたくさん入っており、その下をくぐるということは、
大般若経の威光をいただくのであろう。
そして、背中をたたいてもらうのは、厄除け、痛い箇所が治りますように、ということだろう。
ともかく、正月の行事だから、家内繁栄・健康などを祈願するのだろう。

この後、和尚さんをお迎えして、法要(大般若転読祈祷会)が行われた。


中央には、先ほど背中をたたいてもらった十六善神様の掛け軸が祀られ、
和尚の「般若心経」が始まる。
そして、地区住民代表数人が手分けをして「大般若経」を1巻ずつ手に取り、声を出して「大般若波羅密多経第○巻・・・」と唱えながら、蛇腹折りの経典をパラパラめくる。
その所作の後、「降伏一切大魔最勝成就(ごうぶくいっさいだいまさいしょうじょうじゅ)」と唱えて、地区の悪魔祓いをする。


こうして、パラパラめくりの終わった経典をポーンと叩いて下に置く。
これを10分間ほど続ける。
これは、経典の転読という意味合いがあるが、
本来は、パラパラめくって経典の傷んだ箇所のチェックをし、
そして虫がついていたら、それを叩いてつぶす、
という実務的な作業であったらしい。

読経、転読が終わったあと、和尚が分厚い経典の1巻を手にし、参加者一人一人の背中を数回たたいてくれる。


このたたきは少々痛いが、なかなか気持ちよく、シャキッとする。

法要の後は、和尚が持ってきてくれたお札を竹に挿して辻辻に飾る。


これは、災いや疫病など悪いことが地区に入らないように とのおまじないである。
今年も地区が安泰で、無病息災でありますように!


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「かんじゃまのつぶやき partⅡ」