かんじゃまのつぶやき(海の見えるチベットより)

日本一細長い四国佐田岬半島での慣れない田舎暮らしの日常や風景、
  そして感じたこと、思い出などをひとコマひとコマ

畑に潤い

2010-09-30 12:47:52 | 田舎の生活
 今日は雨がしとしと降っている。
この1週間、そこそこ雨が降り、里のあちこちから
挨拶代わりに「いい雨 もろうたなぁ」との声が聞こえてきそうだ。
農家の方は一安心だろう。
我が菜園もやっと土に潤いができ、草引き、苦土石灰撒きを終え、
大根の種を蒔く準備が整った。 

僕の心細道(115:オーストリア編-第三章)

2010-09-28 11:25:19 | 旅行
オーストリアに着いて3日目、
今日から、北部オーストリアを中心とした2泊3日のスタディツアー(研修旅行)。
朝から雨模様の天気の中、貸切バスに乗り込み、ウィーンのバスターミナルを7:45に出発。途中からハイウェイ)に入り、西へ西へと走る。
一時雨があがったが、6月にしてはちと肌寒い感じである。



11時過ぎ最初の見学ポイントへ到着した(町の名前を忘れた)。
静かな田舎町で、家々には花が植えられているなどとてもきれいな街並みだ。
教会の見学





正午過ぎ、ドイツとの国境の町ブラウナウ(Braunau)に到着する。



腹が減ったのだが、ここでも教会周辺を一回り見学するだけで、昼食はまだだ。


【うーん・・12時半かあ・・・・】

教会見学は退屈だなぁ~ 。



その後、ドナウ川右支川のイン川を渡り、ドイツ領に入る。
国境を越えたのだが、踏切のような簡単なゲートがあるだけで、パスポートチェックも何もなし。
気が抜ける。

バスはなおも走り、やがてオーストリアとの国境の町・ドイツ南東部に位置するパッサウ(Passau)に到着し、やっとここで遅い昼食となった。

この町はドナウ川沿いにあり、レストランはドナウ川の左岸の小高い丘の上にあった。
 後で知ったのだが、この町を訪れる約1年9か月前の1989年9月11日オーストリアに接するハンガリーの国境が解放され、待機していた旧東ドイツの青年約1万人が列車でウィーンを経由してこのパッサウに至り、ここでドイツの列車に乗り換えて旧西ドイツに「逃亡」したという歴史を持つ町とのことだ。
そして、その2か月後の11月9日東西ベルリンの壁が崩壊した。
(不勉強・世情に疎い私は、この時そんなことは知らず、世界ニュース的感慨に浸ることはなかった。)


【中央に見える教会(青いドームのある建物)は、パッサウのシンボル的存在の聖シュテファン大聖堂(St.Stephen)で、世界一の大きなパイプオルガンで有名だそうだ。】

3時過ぎに昼食を終え、丘を下ってドナウ川の川下り船に乗る。





想像していた「美しく青きドナウ」とはまるで違って、濁り水のような薄褐色をしている。

きっとこの曲が作られた当時はきれいだったのだろう。



   ≪つづく≫

サギにあった

2010-09-27 14:35:16 | その他
先日旧国道を車で走っていたところ、
道路の真ん中に、なにやら突っ立っている。
ん? 
と思ってスピードを緩めて見ると、どうやらサギのようだ。



サギにはいろんな種類があるようだけれど、これはなんていうサギだろうか?
いやいやそんなことより、こんなところに立ち止って何をしているのだろう?
轢かれるぞ!

サギは普通 水のある界隈にいると思うのだが・・。
迷子になったのだろうか?
車を停めて車内から写真を1枚撮ってから、警笛を鳴らすと、
大きな羽を広げて、おもむろにどこかへ飛んで行った。 


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H22中秋の名月

2010-09-23 14:07:08 | 田舎の生活
未明の雨
雨とともにぐんと涼しくなり、彼岸の中日でやっと本来の秋らしさになった。
昨夜は、予報通りあまり天気が良くなかったが、それでも十分に月を見ることができた。 
(ススキも団子もないが・・・)


     【19:51】

月齢14.2    満月チョイ前


     【22:51】


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コリウス

2010-09-22 13:24:40 | 草花・樹木


夏の間色鮮やかな葉っぱを楽しませてくれた。
まだまだ暑い日が続いているが、それでも植物は秋を感じているのだろう。
ニョキニョキ伸びてきた茎から、小さな花が咲いた。
はでな葉っぱと違い、コリウスの花は地味目だ。




地検特捜部の主任検事が証拠品のデータ改ざんかぁ・・・恐ろしいなあ!
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僕の心細道(114:オーストリア編-第二章)

2010-09-21 12:07:26 | 旅行
 水平飛行にはいってから飲み物サービスが始まった。
そして食事。
さすがビジネスクラスは食事やデザートも豪華じゃなぁ、と初めてのビジネスクラスにニンマリする。 

食後、映画を見る。
話題の『ホームアローン』に続き、シュワちゃんの『キンダーガーデン・コップ』をやっていた。
そんな時代です。
やがて、日本時間夜8時頃(現地時間午後2時)モスクワ空港に着陸。給油のためである。
乗客はいったん空港ロビーに出る。
初めて足を踏み入れたソビエト(当時はまだソ連)・モスクワ空港。
免税店なども開いてはいたが、空港全体が明りのせいだけでなく。雰囲気が暗い感じだ。

休憩後、再び機内に戻りいよいよオーストリアへ。
こうしてウィーンには現地時間午後5時半頃到着した。
そして、予約しておいた市内のホテルへ直行。

翌日、市内に設けられた会場へ参加登録に出かけた。
学術大会の会議自体は5日間開かれるのだが、その前後にいくつもの研修旅行が企画されている。
私は事前に、会議前には2泊3日のツアー、そして、会議が終了してからは、6泊7日のツアーに参加申し込みをしておいた。
2泊3日のツアーは、北部オーストリアを巡るもので、6泊7日のツアーはオーストリア~ユーゴスラビアを巡るものだった。
オーストリアからスイスを巡るコースもあり、このツアーは日本人参加者が大勢申し込んでいたようで、私もこのコースに惹かれてはいたのだが、私には別の計画があった。
その他のコースで巡る国も今後行く機会があるように思えたが、ユーゴスラビアはおそらく将来訪れることはないだろう、というのがこのコースを選んだ大きな理由だった。
会場の受付に向かい、私が予約確認書を差し出すと、
受付の女性がいきなり「アイム ソーリー」と切り出したので、「あ・・・ 不安が的中した」と心の中でつぶやいた。
その後の彼女の説明は、ユーゴスラビアは現在政治情勢がとても不安定なので、今回このコースの研修旅行は中止になった、というものだった。
この頃、東側諸国の政治・社会情勢が不安定で崩壊しかけている、という情報は当然日本でも同様に入っていた。
それでも、自分が申し込んだユーゴスラビアへのツアーが中止になりました、という連絡は入らなかったので、そのまま変更せずにおいた。
ところが、結果はこうだった。
事前に連絡してほしかったなあ・・・

受付の女性は、他の1、2のコースには定員に余裕があるので、変更可能ですが・・
と私に聞いてきたが、惹かれないコースだったので、お断りした。
≪その後、ソビエトや東欧諸国はほとんど1年以内に崩壊することとなった≫

ということで、自分で計画していた研修旅行後の個人旅行の行程を変更せざるを得なくなった。
もともと、研修旅行が終わったら、一人でスイス・アルプスへ行ってみようと思っていたので、大きな変更ではなかったのだが、日程に余裕ができたということだった。
   ≪つづく≫


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敬老会 H22

2010-09-19 16:08:42 | 田舎の生活
昨日午後、恒例の地区の敬老会が集会所で行われました。
今年は来賓として伊方町長も参加されていました。
私が行った時は、祝電披露が行われていて、その後各種団体?の演目の始まり。

さて今年はどのようなパフォーマンスを見せてくれるのでしょう。
まずは小学生の登場で、「私は△△の孫の○○です」と一人ずつ自己紹介をした後、


よさこい踊り


かわいいです。 

次は婦人会
懐かしのジッタリン・ジンの『夏祭り』にのって、




ユーモラス、アイデア巧みな踊りが披露されました。 
会場内がなごやかになります。
この町内では、現在は婦人会のある地区は極めて少ないとのこと。

そして、郷友会の踊り。


これまた、一部強烈な化粧。

大トリは、こちら


『瀬戸の花嫁』の曲で、踊りはフラダンス風、衣装は一部中華風。





強烈なインパクトとともに、会場は爆笑と悲鳴?に包まれたようで、
私は久しぶりに笑いで涙が出てしまいました。 


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アナナにおびえる

2010-09-18 11:52:15 | 草花・樹木
3日も更新をさぼってしまった・・・

2年前愛知県山間部在住の先輩から、アナナの苗が送られてきた。
この植物は小笠原などの暖かい地方の果物なので、四国の野外で育つものだろうか?
と心配していたが、1年目の冬は無事に過ごし、春に新芽が出てきて、夏場にかけてぐんぐん育った。
そして2年目の冬がやってきて、春が訪れる頃、前年同様に落葉した。
徐々に気温が上がってくるので、今年もそのうち新芽が出てくるだろうと思っていた。
ところが、とうとう新芽が出ずに、すっぽんぽんのまま夏が過ぎてしまった。
水遣りが足りなかったのだろうか?
幹は倒れてはいないが、きっと枯れてしまっているのだろう。
とあきらめた。



そんな折、久しぶりに送り主である先輩から電話がかかってきた。
「アナナはどうや?」
「枯れた」
「おっ そうか。それじゃ、うちで種をまいたのがいくつか芽が出たから、そのうちまた送るよ」
「えっ・・・、もう育てる自信がないから送らなくていいですよ」
と返事しておいたにも関わらず、再びアナナの苗が送られてきた。



梱包は一見雑だが、それなりの配慮だろう。
中を開けてみた。



3株もある。
割れないよう、水分が逃げにくいよう、苗が傷つかないようにと、できる限りの工夫がなされている。

あまり乗り気はしないが、届いたものは仕方ない。
育てざるをえまい。



アナナの話は  「アナナの嫁入り」(2008年9月8日)
             「アナナ復活」(2009年6月18日)
その他・・・「アナナorアテモヤ」(2008年1月10日)
      「アナナの種に尻込み」(2008年11月23日)
      「アナナを食す」(2009年10月17日)


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僕の心細道(113:オーストリア編-第一章)

2010-09-14 14:49:05 | 旅行
会社勤めをしていた頃、オーストリアのウィーンで開かれた ある国際会議(学術大会)に参加させてもらったことがある。
1991年6月のことだから、かれこれ20年前になる。
出発の前日、会社の人たちで壮行会という名の飲み会をやってくれた。
2次会にも行ったりしたものだから、翌朝の出発はドタバタ劇だった。
2次会の後行ったサウナでつい寝入ってしまい、自分のアパートへ帰るのが遅くなってしまった。
アパートであわてて荷物を詰め込み、新宿駅へ向かい、ぎりぎりで午前6:07発の開業間もない成田エクスプレスに乗り込み、なんとか予定時間内に成田空港にたどり着いた。

チェックインを済ませ、ほっと一息つきながら、朝食をと レストランに入った。
そして、1時間近くレストランで過ごしてから、出国審査へ向かった。
予想以上に大勢の人が並んでいる。
出発時間まであまり余裕がなかったので、少し焦ってきたが、当然自分も並ばざるを得ない。
と、ところが、もっと大変なことが分かった。
どうやら、レストランを出てから進んだ方向が間違っていたらしいと気づいた。
今自分が並んでいる場所は“北ウィング”で、自分が出発すべき場所は“南ウィング”だ。

なんでこんなことになった! 大変な時間のロスじゃ! 
と自分を恨みながら、急いで南へ駆ける。
やっとたどり着いた南ウィングの出国審査場も結構な人だ。
おまけに並んだ列が悪く、前進が遅い。
焦る気持ちがしだいに増幅してくる。
出発時間の9:55がどんどん迫ってくる。
自分の前にはあと○人並んでいる。審査時間に一人当たり△分かかっているようだから、
え~と、○×△は・・・・・
こりゃあ とても間に合わん、と悟る。
そして、「なんとか待っていてくれるだろう・・・」との一心でおとなしく自分の審査時間を待つ。
自分の順番がきたのは10時だった。
出国審査を終え、急いで41番ゲートへ走る。 

すると、途中で前からスタッフが走ってきていて、走る私を見つけ、
「○○さんですか?」
「はい そうです」
“You are last one. Hurry up! ”

本当に私が最後の乗客だったようで、
私が機内に入るや否や飛行機のドアが閉まった。 
前方のビジネスクラス席だったので、大勢の冷ややかな視線にさらされることはなかったが、
乗客のみなさん、私のせいで出発が遅れたことをお許しください。
と心の中で謝罪しながらも、
夜中まで飲んでいた残アルコール状態で走ったものだから、気分が悪くなった。 
ともあれ10分余りの遅れで、飛行機は滑走路へと向かった。
   ≪つづく≫


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