水平飛行にはいってから飲み物サービスが始まった。
そして食事。
さすがビジネスクラスは食事やデザートも豪華じゃなぁ、と初めてのビジネスクラスにニンマリする。
食後、映画を見る。
話題の『ホームアローン』に続き、シュワちゃんの『キンダーガーデン・コップ』をやっていた。
そんな時代です。
やがて、日本時間夜8時頃(現地時間午後2時)モスクワ空港に着陸。給油のためである。
乗客はいったん空港ロビーに出る。
初めて足を踏み入れたソビエト(当時はまだソ連)・モスクワ空港。
免税店なども開いてはいたが、空港全体が明りのせいだけでなく。雰囲気が暗い感じだ。
休憩後、再び機内に戻りいよいよオーストリアへ。
こうしてウィーンには現地時間午後5時半頃到着した。
そして、予約しておいた市内のホテルへ直行。
翌日、市内に設けられた会場へ参加登録に出かけた。
学術大会の会議自体は5日間開かれるのだが、その前後にいくつもの研修旅行が企画されている。
私は事前に、会議前には2泊3日のツアー、そして、会議が終了してからは、6泊7日のツアーに参加申し込みをしておいた。
2泊3日のツアーは、北部オーストリアを巡るもので、6泊7日のツアーはオーストリア~ユーゴスラビアを巡るものだった。
オーストリアからスイスを巡るコースもあり、このツアーは日本人参加者が大勢申し込んでいたようで、私もこのコースに惹かれてはいたのだが、私には別の計画があった。
その他のコースで巡る国も今後行く機会があるように思えたが、ユーゴスラビアはおそらく将来訪れることはないだろう、というのがこのコースを選んだ大きな理由だった。
会場の受付に向かい、私が予約確認書を差し出すと、
受付の女性がいきなり「
アイム ソーリー」と切り出したので、「あ・・・ 不安が的中した
」と心の中でつぶやいた。
その後の彼女の説明は、ユーゴスラビアは現在政治情勢がとても不安定なので、今回このコースの研修旅行は中止になった、というものだった。
この頃、東側諸国の政治・社会情勢が不安定で崩壊しかけている、という情報は当然日本でも同様に入っていた。
それでも、自分が申し込んだユーゴスラビアへのツアーが中止になりました、という連絡は入らなかったので、そのまま変更せずにおいた。
ところが、結果はこうだった。
事前に連絡してほしかったなあ・・・
受付の女性は、他の1、2のコースには定員に余裕があるので、変更可能ですが・・
と私に聞いてきたが、惹かれないコースだったので、お断りした。
≪その後、ソビエトや東欧諸国はほとんど1年以内に崩壊することとなった≫
ということで、自分で計画していた研修旅行後の個人旅行の行程を変更せざるを得なくなった。
もともと、研修旅行が終わったら、一人でスイス・アルプスへ行ってみようと思っていたので、大きな変更ではなかったのだが、日程に余裕ができたということだった。
≪つづく≫
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