腕塚神社
(うでつかじんじゃ)
明石市天文町1-1
天文科学館のすぐ近くにある腕塚神社。
源平ゆかりの史跡
平忠度公
一の谷の戦いに敗れた平薩摩守忠度公は、再起を期して戦場を離脱し、海からの脱出を目指します。しかし、神戸市長田区駒ヶ林町のあたりで源氏方の武将・岡部六弥太忠澄公の追撃を受け、一時は逆に岡部忠澄公を組み敷きますが、主君の危機を救おうとその郎党が振り下ろした刀に腕を切り落とされたことから、死期を悟り潔く最期を迎えたという話は腕塚堂の記事で掲載させていただきました。
しかしこの伝説には別の説があり、一の谷の戦場を脱出した平忠度公は海岸沿いに陸路で西への脱出を図り、明石の人丸山の付近まで逃げ延びてきたという説も残されています。そして両馬川あたりで、追撃を続けてきた岡部忠澄公たちに追いつかれて刃を合わせたといわれています。
その両馬川の流れも現在では暗渠化されてしまい、平忠度公の故事を偲ぶ手段は山陽電車人丸駅脇の高架橋脚のところに建てられた石碑や腕塚神社・忠度塚くらいになってしまいました。
山陽電車人丸前駅の南にある住宅街のなかに鎮座している小さな神社が、平忠度公の腕を祀っているといわれる腕塚神社です。胴塚や首塚はよくききますが、腕だけを祀っている神社はあまり聞いたことがありません。この腕塚神社は、腕に関する病気にたいそう良く効くといわれ、昔から参拝する人々が絶えなかったそうです。また、境内には地元の彫刻家の方が彫って奉納したという木製の右腕が祀られていて、その腕でケガをした部分を撫でれば傷が癒えるといわれています。
もともと腕塚神社は、今より西に30メートルほどの場所にあったのですが、1984(昭和59)年の山陽電車の高架化工事によって現在地に移転されました。祠が祀られていた土地は、平忠度公の故事にならって「右手塚町(うでづかちょう)」と呼ばれていましたが、明石市立天文科学館が建てられ、「子午線のまち明石」というイメージをアピールする目的もあってか「天文町」という町名に変えられてしまいました。
今でも地元自治会の方々の手によって守られている腕塚神社。昔も平忠度公の霊を慰める祭事はおこなわれていましたが、現在地に遷座されてからは、毎年3月の第1日曜日に謡曲「忠度」を連吟奉納して御霊を慰める祭礼が行われているそうです。
アクセス
山陽電車「人丸前駅」下車、西へ徒歩2分
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拝観料
無料
拝観時間
常時開放
決定版 図説・源平合戦人物伝 (歴史群像シリーズ) | |
左方 郁子 | |
学習研究社 |
「新平家物語」は読み応えがありますよね。
学生時代に読みましたが、もう一度読んでみたい名作の一つです。
これからもよろしくお願いします!