法寫山善楽寺
(ほうしゃざん ぜんらくじ)
兵庫県明石市大観町11-8
善楽寺の山門。戒光院・圓珠院・実相院の3院で構成される寺院です。
〔宗派〕
天台宗
〔御本尊〕
地蔵菩薩像
善楽寺は「大化の改新(乙巳の変)」などで知られる大化年間(645)に、インドの高僧である法道上人の開基によって創建されたといわれています。この寺伝に基づくと、明石では最古の寺院となります。平安時代中期の990(正暦元)年には、天台宗の高僧・源信(恵心僧都)が姫路の書写山からの帰りに善楽寺に立ち寄り、自ら彫りあげた虚空蔵菩薩像を実相院に安置されたといわれていますので、やはり1,000年以上の歴史を持つ古刹であることは確かなようです。残念ながら、源信の彫った仏像はさきの大戦中の空襲によって焼失してしまいました。
善楽寺を構成する戒光院の本堂(左)と、東に並ぶ圓珠院(右)。
善楽寺は1119(元永2)年に火災によって焼失しますが、保元の乱に勝利して播磨守に任じられるなど朝廷内での発言力を伸ばしていた平清盛公の手によって、1156(保元元)年に伽藍の再興が行われました。この地を重要視した平清盛公は、念持仏だった木造地蔵尊像と寺領500石を寄進するなど善楽寺に対して手厚い庇護を行いました。1182(養和元)年に平清盛公が亡くなった際には、その死を悼んで当時善楽寺の寺僧であった甥・忠快法印上人によって供養のための大きな五輪塔が建てられています。このような庇護もあり、平安時代の末期には17の塔頭を持つなど明石川の東岸一帯を境内とし、天台宗の最高位である天台座主を輩出するほどの大寺院となった善楽寺ですが、1539(天文8)年には、前年に始まった尼子詮久公の播磨侵攻によって一旦淡路島に撤退していた赤松政村公が、細川持隆公の支援をもとに岩屋に上陸して反撃を開始、善楽寺もその兵火に巻き込まれて全焼してしまいます。
『源氏物語』の明石入道の碑(左)と、再建に貢献した平清盛公の供養塔(右)。
その後1593(文禄2)年に再建された善楽寺は、1619(元和5)年に明石藩主・小笠原忠真公によって寺領を安堵する黒印状を与えられ、諸役の免除が行われました。ちなみに、領地の安堵を幕府が行う際には朱色の判が用いられたので「朱印状」、諸大名からの安堵の場合は黒色の判が用いられたので「黒印状」と呼ばれていました。この前年の1618(元和4)年には、小笠原忠真公の客分として明石に入り、明石城の築城や城下町の町割りに辣腕を揮っていた剣豪・宮本武蔵公の手によって圓珠院の本堂前に枯山水庭園が作庭されています。
明石藩第5代藩主・松平忠国公が『源氏物語』の世界に思いを馳せて「明石入道の碑」を建てるなど、歴代明石藩主の厚い庇護のもとに歴史を連ねてきた善楽寺ですが、1871(明治4)年に起こった火災によって三重塔を焼失、1945(昭和20)年7月にはアメリカ軍による空襲によって境内を焼失するなど大きな打撃を受けて寺域も縮小、現在では、戒光院・圓珠院・実相院の3院で構成する寺院として法灯を守り続けています。
善楽寺を構成する院の一つ、圓珠院にある宮本武蔵作庭の枯山水(左)と、
道路を挟んで南に隣接する実相院の山門(右)。
善楽寺は『源氏物語』の登場人物・明石入道の「浜辺の館」があった地とされ、境内には「明石入道の碑」が建てられています。『源氏物語』の第12帖「須磨の巻」で、スキャンダルによって都から逃れ、須磨で失意の日々を過ごす主人公・光源氏が、明石入道とその美しい娘・明石の君の噂を聞くところから明石にまつわるエピソードは始まります。続く「明石の巻」で、夢枕に立った亡き父皇・桐壺帝の言葉に従って須磨を離れ、迎えに現れた明石入道の誘いを受け入れた光源氏が招かれた邸宅・浜辺の館があった場所が、善楽寺のあるこの地だとされています。光源氏は、高潮などの危険から家族を守るために明石入道が山手に構えていた別宅・岡部の家に住む入道の娘・明石の君と文を交わしながら恋を温めていく事となります。
アクセス
・JR「明石駅」下車、南西へ徒歩15分
・山陽電車「西新町駅」下車、南へ徒歩10分
法寫山善楽寺地図 Copyright (C) 2000-2008 ZENRIN DataCom CO.,LTD. All Rights Reserved.
拝観料
・無料
公開時間
・不明
隣のお寺にあるのが、武蔵の枯山水です。
貴重なご指摘、有難うございました。
厳密に言うと、「善楽寺を構成する戒光院・圓珠院・実相院の3つの院のうちの圓珠院にある枯山水の庭」という表現が正しいですね。字数の関係で言葉足らずになってしまいました
明石の町割には宮本武蔵が深く関わっていたといわれていて、明石市上ノ丸にある本松寺にも武蔵が作庭したといわれる庭園が残されています。身近なところで剣豪の足跡を感じることが出来るのは嬉しいですね。
これからも疑問に感じたことは遠慮なくご指摘くださいね!
源氏物語に興味を持っており
昨年、明石を訪ねました。
当方のwebサイト内で
善楽寺のページを作成するにあたって
検索していたところ
こちらのブログ記事に参りました。
善楽寺は公式サイトがないため
興味深く読ませていただきました。
ありがとうございます。
さて。
明石の君は「岡辺の家」という
明石の入道の別宅に
住んでいたため、ふたりが
恋に落ちたのは「浜辺の館」では
ありません。
明石の君の「岡辺の家跡」として
現在、神戸市西区に「岡之屋形跡」が
あります。
(ずいぶんと明石の浦から
離れていますが。)
創造上の物語ですのに
地域の方々の物語に対する
思いや憧れ、舞台となった誇りが
感じられ素敵ですね。
また訪問させていただきます。
失礼いたします。
掲示の写真は戒光院の庭です。
圓珠院の武蔵作庭の枯山水は、最初の善楽寺山門の写真の山門すぐ右の松の所にあります。