神戸の空の下で。~街角の歴史発見~

足かけ8年、150万PV突破。「近畿の史跡めぐり」のサブタイトルも、範囲が広がったために少し変更しました。

加古川・鶴林寺。

2012年05月08日 | □兵庫県 -播磨(姫路以外)


刀田山 鶴林寺

(とたさん かくりんじ)
加古川市加古川町北在家424


新西国三十三箇所霊場・第27番札所
西国薬師四十九霊場・第22番札所
播州薬師霊場・第9番札所
関西花の寺二十五霊場・第9番札所


通 称
刀田の太子さん
播磨の法隆寺




鶴林寺大門。江戸期の1672(寛文12)年に建てられたもので、兵庫県指定文化財となっています。


〔宗派〕
天台宗

〔御本尊〕
薬師如来像
愛太子観世音菩薩像



 明石川・加古川・美囊川に囲まれた「印南野」の地は、「古事記」や「万葉集」にもその名が記されているほど古くから開けていた土地です。特に、JR東加古川駅の南側にある教信寺の辺りには畿内から吉備国へと抜ける山陽道の要衝として全国最大規模の「賀古の駅家」が置かれるなど、古代からよく栄えた場所だったと伝えられています。そんな加古川の地に、1400年以上もの歴史を持つ古刹が建っています。その寺院の名は「刀田山鶴林寺」。聖徳太子ゆかりの寺院として人びとの厚い崇敬を集めてきた、播磨を代表する名刹です。





鶴林寺の大門に架けられた大草履(左)と、左右に祀られている仁王像(右)。



 6世紀中頃、中国大陸から伝来した仏教を巡り、仏教を受容し国家の安寧を図るべしと主張する蘇我氏を中心とした崇仏派と、古来よりの日本の神々を敬うべきで異国の教えである仏教は受け入れるべきではないと強硬に反対を唱える物部氏を中心とした排仏派との対立が激化していました。両者の対立は武力衝突という事態に至りますが、軍事に長けた物部氏の抵抗は激しく、蘇我氏を中心とした崇仏派の軍勢は苦戦を強いられます。しかしながら、自ら彫り上げた四天王像を携えて厩戸皇子(聖徳太子)が戦陣に加わると蘇我氏の軍勢は勢いを盛り返し、ついには物部氏の軍勢を打ち破って勝利を収め、仏教を機軸とした政治が進められていくことになります。





大門をくぐった先にある仏足石(左)と、その奥にある国宝指定の「太子堂」(右)。



 こうした崇仏派排仏派の対立が決着を見るまでは、排仏派による僧侶への迫害が頻発していました。そうした迫害を避けるために都を離れる僧侶も多かったと言われていますが、高麗から渡ってきた恵便法師もまた、迫害から逃れるために都を離れた僧侶のひとりでした。565(欽明天皇26)年に日本へと渡って来た恵便法師は、物部守屋による迫害を受け、播磨国の加古川の地へと難を逃れていました。聖徳太子は、長く隠棲を続ける恵便法師の話を聞いて都から遠く離れた加古川の地を訪れ、「木ノ丸殿」という庵を結んで恵便法師の教えを受けたといわれています。そして589(崇峻天皇2)年、聖徳太子秦河勝に釈迦三尊と四天王像を祀るための精舎の建立を命じます。「刀田山四天王寺聖霊院」と名付けられたこの寺院が、鶴林寺の始まりだと伝えられています。四天王寺聖霊院は周囲に水濠をめぐらせた造りだったことから、物部氏の迫害から恵便法師を守る防御施設の意味合いもあったと考えられています。





石畳の奥に佇む鶴林寺の本堂。1397年頃に建てられたといわれ、国宝に指定されています。



 718(養老2)年には、聖徳太子の遺徳を顕彰しようと、武蔵国の太守だった身人部春則(むとべはるのり)が寺域を拡張して七堂伽藍を建立し、寺名も「刀田山四天王寺」と改められます。852(承和5)年には、入唐を控えた第3代天台座主・円仁(慈覚大師)が訪れて祈願を行い、立願成就のために堂宇の補修を手がけましたが、これがきっかけとなって鶴林寺は天台宗寺院となりました。1112(天永3)年には鳥羽天皇から勅額を賜り、勅願寺となって寺号も「鶴林寺」と改められました。この時期に、現在国宝に指定されている太子堂や重要文化財指定の常行堂が建立されています。





室町時代に建立された三重塔(左)と、その斜向かいに建てられている新薬師堂(右)。



 さらに、聖人化された聖徳太子を信仰の対象として崇拝する、いわゆる「太子信仰」が広がりを見せていった鎌倉時代から室町時代には聖徳太子ゆかりの鶴林寺も急速に繁栄、最盛期には30坊以上の寺坊、25,000石もの寺領を持つ大伽藍へと発展を遂げます。しかしながら、隆盛を極めた鶴林寺も各地の大名が覇権を争う戦国の世へと時勢が移るにつれ、厳しい試練の時期を迎えます。幸いにも戦火の灰となる最悪の事態は避けられたものの、織田信長公や豊臣秀吉公などによる宗教抑制政策や江戸幕府による宗教政策の影響をまともに受けた鶴林寺は大幅な規模縮小を余儀なくされ、寺坊8坊、寺領117石という規模にまで寺勢が衰退する事になります。そのような苦しい時期を耐え抜き、さらには明治時代初期に全国に吹き荒れた「廃仏毀釈」の危機も乗り越えた鶴林寺は、1400年以上もの歴史の香りを今に伝える古刹として高い評価を受け、多くの人々の崇敬を集め続けています。





1705年に建立された観音堂(左)と、1407年建立で重要文化財指定の鐘楼(右)。



アクセス
・JR山陽本線「加古川駅」より加古川市ゾーンバス3系統別府行で「鶴林寺」バス停下車すぐ。

刀田山鶴林寺地図 Copyright:(C) 2012 NTT Resonant Inc. All Rights Reserved.

【境内図】  

拝観料
2012(平成24)年10月5日まで
  大人:500円、小中学生:200円、太子堂予約拝観:200円(宝物館拝観料を含む) 
2012(平成24)年10月6日~11月25日まで  ※秘仏特別拝観期間
  大人:500円、小中学生:200円、本堂秘仏拝観・太子堂特別拝観:1,000円、新宝物館:500円、左記セット券1,700円
2012(平成24)年11月26日以降  ※太子堂拝観は終了
  大人:500円、小中学生:200円、新宝物館拝観:500円(小中学生:200円) 

拝観時間
・9時~17時 (受付は16時30分まで)

公式サイト




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