3日(土)、古代文学会の連続シンポジウムで、古くからの友人であり先達でもある中澤克昭さんと、「環境論:動植物の命と人のこころ」というテーマで報告させていただきました。その内容、議論の経過については、近日中に増補したいと考えておりますが、すでに司会をしてくださった岡部隆志さんが、ご自分のブログで当日の感想を書いてくださっています。「解決のないことを共有することによる解決」というのは深い言葉で、仰るとおり〈親鸞〉なのかも知れません。
私の報告タイトルは、「樹霊に揺れる心の行方」。樹木を生命として表象する列島生活者の想像力が、古代から現代へ至るまでどのように変質していったかを扱ったものです。具体的内容としては、まずは中沢新一の対称性論批判。対称性の楽園は互酬的にはなりえず、契約という人間主体の幻想によって、動物や植物は抵抗の可能性を奪われてしまうことを述べました。対称性の基盤である〈動物の主〉神話は、縄文~弥生の列島にも語られていた可能性が指摘されていますが、その後、中国からより暴力的な〈大木の秘密〉言説が入ってきます。その初見は東晋の『捜神記』、秦文公による梓樹伐採の物語で、以降、志怪小説類をはじめとする多様な文献に引用されてゆきます。秦には昭王による巴蜀開発、とくに李冰による都江堰の築造伝承も著名なものとしてあり、『華陽国志』や『水経注』に多様な記録を残してゆきます。『史記正義』や『括地志』はこれらを網羅、列島の平安期に太秦に蟠踞した秦氏は、自らの出自を秦の始皇帝にまで遡及させ、上記の文献を通じて太秦に疑似秦的世界を出現させます。その点で活躍したのは、秦氏出身の惟宗氏で、允亮編纂の『政事要略』には、秦氏構築の葛野大堰を都江堰に準えて賛嘆する記事が出てきます。また、神樹を伐ると水害があるという『捜神記』文公の物語にみえるような心性が、葛野地域に出現してくることになります。
一方、列島には、忌部に代表されるような木鎮め(樹木の生命を重視する祭儀のあり方)も存在しましたが、卜部の進出によって宮廷儀礼においても後退してゆきます。『今昔物語集』は列島における〈大木の秘密〉の初出を含みますが、ここでは中臣祭文が伐採の鍵となっており、幕末まで(原理上最も木鎮めを必要とする)伊勢の式年遷宮でも援用されていたことが確かめられています。この文言には木鎮めの発想はなく、樹木へのシンパシーはみられない。これこそが、中世以降の大開発の時代を支え、伐採を正当化する役割を果たしたのではないかと考えられます。しかし、中臣祭文は人間の罪を他界へと送る機能を持っているので、木を伐る人間の罪か、もしくは樹霊自身を他界へ送る役割を期待されていたのかも分かりません。
そして、里山的景観が広く伸張する近世には、樹霊と人間が結婚するという〈樹霊婚姻譚〉が成立します。一見人間と樹霊の豊かな交流を示すかにみえますが、その樹霊像は明らかに樹木を擬人化したもので、人間の側へ引き付けた他者表象に他なりません。豊かな感情の交流も、里山成立による樹木の家畜化を前提としているように思われます。
人間の樹木に対する想像力には衰退がみえますが、日常的交流のあり方を、種間倫理の構築にまでいかに高めてゆけるかが問題だと結論づけました。里山を基盤とする樹木との交流が〈新たな楽園〉であるなら、私たちは、樹木の抵抗しうる可能性を早急に措定しなければならないでしょう。
ところで、秦文公による梓樹伐採伝承のところで挙げた睡虎地木簡「日書」甲種、ざんばら髪が鬼霊を撃退するという処方。これをみつけたときは、「文公の伝承は戦国秦の文化に根差したものなんだ」と本当に大喜びしたのですが、最近、すでにその件に言及した研究があるのを発見しました。高木智見さんの『先秦の社会と思想―中国文化の核心―』(創文社、2001年)に所収の「古代人と髪」がそれ。中国古代人にとって頭髪が生命エネルギーの象徴であり、それゆえに髪を露にすることが忌まれ、頭髪を剃り落としが刑罰としての意味も持ってきた。また、過度な生命力の発露は異常視され、被髪は異民族や狂人、鬼神の髪型であって、「毒をもって毒を制す」の論理から魔除けの効力も担った……といったことが詳しく述べられています。この本には他にも、「人間と植物の類比的認識」「歴史と『老子』」「天道と道(「史官なるもの」「シャーマンから史官へ」などの節を含む)」といった無視できない論考群も収められており、本当にためになる一冊です。以前、書店で手に取ってぱらぱらめくり、「ふーん、老子の本なのね」と浅薄なカテゴライズをし、棚に戻してしまった過去が悔やまれます。高木さんは、他にもたくさんの面白い宗教社会史的研究を発表されていて、関心のベクトルがかなり重なっているように思われます。また、大形徹さんの『魂のありか―中国古代の霊魂観―』(角川選書、2000年)にも言及がありました。やっぱり、気づいている人は気づいている。他の領域へ踏み出すということは容易ではないですね。
長くなりましたので、質疑応答や飲み会での議論については、また別に書きたいと思います。
私の報告タイトルは、「樹霊に揺れる心の行方」。樹木を生命として表象する列島生活者の想像力が、古代から現代へ至るまでどのように変質していったかを扱ったものです。具体的内容としては、まずは中沢新一の対称性論批判。対称性の楽園は互酬的にはなりえず、契約という人間主体の幻想によって、動物や植物は抵抗の可能性を奪われてしまうことを述べました。対称性の基盤である〈動物の主〉神話は、縄文~弥生の列島にも語られていた可能性が指摘されていますが、その後、中国からより暴力的な〈大木の秘密〉言説が入ってきます。その初見は東晋の『捜神記』、秦文公による梓樹伐採の物語で、以降、志怪小説類をはじめとする多様な文献に引用されてゆきます。秦には昭王による巴蜀開発、とくに李冰による都江堰の築造伝承も著名なものとしてあり、『華陽国志』や『水経注』に多様な記録を残してゆきます。『史記正義』や『括地志』はこれらを網羅、列島の平安期に太秦に蟠踞した秦氏は、自らの出自を秦の始皇帝にまで遡及させ、上記の文献を通じて太秦に疑似秦的世界を出現させます。その点で活躍したのは、秦氏出身の惟宗氏で、允亮編纂の『政事要略』には、秦氏構築の葛野大堰を都江堰に準えて賛嘆する記事が出てきます。また、神樹を伐ると水害があるという『捜神記』文公の物語にみえるような心性が、葛野地域に出現してくることになります。
一方、列島には、忌部に代表されるような木鎮め(樹木の生命を重視する祭儀のあり方)も存在しましたが、卜部の進出によって宮廷儀礼においても後退してゆきます。『今昔物語集』は列島における〈大木の秘密〉の初出を含みますが、ここでは中臣祭文が伐採の鍵となっており、幕末まで(原理上最も木鎮めを必要とする)伊勢の式年遷宮でも援用されていたことが確かめられています。この文言には木鎮めの発想はなく、樹木へのシンパシーはみられない。これこそが、中世以降の大開発の時代を支え、伐採を正当化する役割を果たしたのではないかと考えられます。しかし、中臣祭文は人間の罪を他界へと送る機能を持っているので、木を伐る人間の罪か、もしくは樹霊自身を他界へ送る役割を期待されていたのかも分かりません。
そして、里山的景観が広く伸張する近世には、樹霊と人間が結婚するという〈樹霊婚姻譚〉が成立します。一見人間と樹霊の豊かな交流を示すかにみえますが、その樹霊像は明らかに樹木を擬人化したもので、人間の側へ引き付けた他者表象に他なりません。豊かな感情の交流も、里山成立による樹木の家畜化を前提としているように思われます。
人間の樹木に対する想像力には衰退がみえますが、日常的交流のあり方を、種間倫理の構築にまでいかに高めてゆけるかが問題だと結論づけました。里山を基盤とする樹木との交流が〈新たな楽園〉であるなら、私たちは、樹木の抵抗しうる可能性を早急に措定しなければならないでしょう。
ところで、秦文公による梓樹伐採伝承のところで挙げた睡虎地木簡「日書」甲種、ざんばら髪が鬼霊を撃退するという処方。これをみつけたときは、「文公の伝承は戦国秦の文化に根差したものなんだ」と本当に大喜びしたのですが、最近、すでにその件に言及した研究があるのを発見しました。高木智見さんの『先秦の社会と思想―中国文化の核心―』(創文社、2001年)に所収の「古代人と髪」がそれ。中国古代人にとって頭髪が生命エネルギーの象徴であり、それゆえに髪を露にすることが忌まれ、頭髪を剃り落としが刑罰としての意味も持ってきた。また、過度な生命力の発露は異常視され、被髪は異民族や狂人、鬼神の髪型であって、「毒をもって毒を制す」の論理から魔除けの効力も担った……といったことが詳しく述べられています。この本には他にも、「人間と植物の類比的認識」「歴史と『老子』」「天道と道(「史官なるもの」「シャーマンから史官へ」などの節を含む)」といった無視できない論考群も収められており、本当にためになる一冊です。以前、書店で手に取ってぱらぱらめくり、「ふーん、老子の本なのね」と浅薄なカテゴライズをし、棚に戻してしまった過去が悔やまれます。高木さんは、他にもたくさんの面白い宗教社会史的研究を発表されていて、関心のベクトルがかなり重なっているように思われます。また、大形徹さんの『魂のありか―中国古代の霊魂観―』(角川選書、2000年)にも言及がありました。やっぱり、気づいている人は気づいている。他の領域へ踏み出すということは容易ではないですね。
長くなりましたので、質疑応答や飲み会での議論については、また別に書きたいと思います。