仮 定 さ れ た 有 機 交 流 電 燈

歴史・文化・環境をめぐる学術的話題から、映画やゲームについての無節操な評論まで、心象スケッチを連ねてゆきます。

内田百間/金井田英津子『冥途』

2006-03-20 23:58:03 | 書物の文韜
冥途

パロル舎

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「仮定された有機交流電燈」ってどういう意味?……とよく訊かれるのですが、近代文学好きの方には、ああ、これ書いている人は宮澤賢治マニアなのね、と分かっていただけるかと思います。
確かに、私は賢治ミーハーです。筑摩の全集も3種類揃えてあります。しかし、日本一の幻想文学作家だと考えているのは、実は内田百間なんですよね。昔、彼の代表的短編「冥途」を読んだときは本当に驚かされました。

夜の底にたたずむ一件の一膳飯屋で、〈私〉は、「人のなつかしさが身に沁むような心持」で、ただぼんやりと座っている。そこは、夢ともうつつともつかない夢幻の世界。ふと気づくと、隣の腰掛けで談笑する一団の話し声が、とぎれとぎれ耳に入ってくる。

 するとその内に、私はふと腹がたって来た。私のことを云ったのらしい。振り向いてその男の方を見ようとしたけれども、どれが云ったのだかぼんやりしていて解らない。その時に、外の声がまたこう云った。大きな、響きのない声であった。
まあ仕方がない。あんなになるのも、こちらの所為だ
 その声を聞いてから、また暫らくぼんやりしていた。すると私は、俄にほろりとして来て、涙が流れた。何という事もなく、ただ、今の自分が悲しくて堪らない。けれども私はつい思い出せそうな気がしながら、その悲しみの源を忘れている。


ラスト、真っ暗な土手を歩いてゆくその男に、〈私〉は泣きながら呼びかけることになるわけですが、上の引用の部分で本当に涙が滲んできたことを覚えています。大切なひとを喪ったことのある人間には、よけいに心に響いてくるものがあるはずです。もう届かない、追いつけない絶対的な価値が、常に自分を遠くからみつめている。その瞳が湛えているのは喜びなのか、それとも憐れみなのか……。後者であれば、これほど辛いことはありません。しかも、「こちらの所為だ」といわれては。誰かの死を背負いながら生きてゆかねばならない人間の哀しさを、この作品は本当に鋭く捉えています。

写真で紹介しているのは、その「冥途」が収められている絵本。金井田英津子の幻想的な版画が、百間の独特の孤独感を際立たせています。ほかに、「花火」「尽頭子」「烏」「件」「柳藻」の名作群を収録(そういえば百間は岡山出身でした。だから「件」か、とあらためて納得)。宝物のような、お気に入りの1冊です。金井田さんの近代文学シリーズには、漱石『夢十夜』、朔太郎『猫町』もありますが、いずれも傑作(作品選択自体が玄人好み。また機会があったら書きますが、「こんな晩」には震えがきますよね)。どうぞお試しあれ。
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