HAYASHI-NO-KO

北岳と甲斐駒ヶ岳

山陽電車旧型編(700形・2700形など)

2015-12-03 | 番外編 鉄道など

【700形(広軌63形)】
戦後の復興期、戦災消失などで運行が困難だった私鉄に当時の国鉄から63形が払い下げられた。
山陽は払い下げ時の車番63800の下3桁を利用して「800形」として運用開始した。
その後改番して4扉2両固定編成のままで運用されていた
700形は
昭和39年に700、715が2702、2703に改造、
702+709は車体のみ更新された。
昭和42年には701→2709、703→2705、704→2706、705→ 2707、708→2708に改造、
3連化対応のために2712、2714を製造している。
尚、712+713は昭和26年西代車庫で消失、その台車・機器類を2700 2701に転用した。
この2700系への対応で、旧国鉄からの譲渡車63系の広軌対応車は足回りに残るだけとなった。
しかしその後の神戸高速鉄道の開業、相互乗り入れ対応で
吊掛式車両では重量や走行音などで地下線路走行には不向きな為
2712・2704・2714・2706→2300~2303、2705・2707→2600・2601として
2300系2編成が誕生している。


2707+2706+2712

払い下げ時の車番63800の下3桁を利用して「800形」として運用開始した車両。
その後改番して4扉2両固定編成のままで運用されていた700形も、
のちに電装部分のみを流用、2700形として車体を新造し3扉3両編成化された。
(2701+2702のみ2扉車、2両編成で運行)
画像の明石川橋梁も防護柵の無い時代、現在の高架化に併せて架けられた橋梁の二代前の姿。
北側を走る国鉄車両は2階建て寝台特急電車として一世を風靡した731系、昼間も特急運用されていた。


各駅停車運用にしか無かった200系車両は車幅・車長共に当時でも最小車両群だった。
明石駅で偶然撮った700形との比較画像。
戦時消失車両が多かった山陽などに国鉄が払い下げた63形の台車を広軌に変更した20㍍車だったから、
戦前からの保有車との違いは歴然としていた。



旧国電モハ63形式原形タイプ 山陽入線当初は800形、のち700形に形式名変更。
風貌から「食パン」のニックネーム、大型の通風窓がおでこにあった。


708+709  入線当初は旧国鉄63808 63809の下3桁を採用した。
この為、昭和23年から始まっていた新造車は追番の820から採番されたが昭和24年に700番台に改番。
820から採番された新造車は改番されなかった。


710+711  丸型の試運転サボを着けている。


714+715  下り急行運用 林崎~藤江間
前サボは普通車では区間名、特急・急行は神戸・姫路間運用だったので種別表示。


      

車体のみ更新された702+709 
その後は改造され3連化された仲間とは違って2連固定編成を続け、昭和52年に廃車となった。


林崎駅の更新700形

2700形

2808+2700+2701
2700形は700形の足回りと2000形の車体を組み合わせて
昭和32年にこの2700+
2701が登場した。
昭和26年西代車庫で消失した712+713の電装部品等を利用し、
2000系で製作されていた広窓2扉車体と組み合わせた。


2712+2704+2705
第2陣2702以降は片開き3扉車となった。


2714+2706+2707


2708+2700+2701


2709+2702+2703


2712+2704+2705


2714+2706+2707





2700系高性能化2300系
2300+2301+2600  ← 2712・2704・2705

昭和51年竣工 
2712・2704・2714・2706 → 2300・
2303
2705・2707 → 2600・
2601運転台・運転台機器類撤去し、パンタ2基設置。

To be continued
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山陽電車 昔、鉄ちゃんがいました。私鉄編1
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