荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

新宿の巻。

2015年10月09日 | 妥協なき生活に極上の飲食を




僕の生まれは現在居住している、ある下町ですが育ちは練馬です。

なので、近くの大きな街と言うと池袋でした。

やがて高校に入学しますが、ソコは中央線西部にあったので、ウロウロする街が一気に新宿にスイッチする事となります。

また、大学も京王線西部なので必然的に新宿を経由しておりました。

おまけに最初に厄介になった会社も新宿。

その後も様々な会社に厄介になりましたが、得意先があったので定期的に新宿に行っていました。

つまり、僕の青春は新宿と共にあった様なものです。

ガキの頃からウロついていましたが、今回はオトナになってからの新宿について。

バブル経済崩壊後の1990年代後半、先輩に連れられて、初めてゴールデン街に行きました。


憧れのゴールデン街…、ホントに嬉しかったのを覚えています。

但しその頃は既に、ガキの頃にATG映画やドラマで観ていた1970~1980年代の猥雑な雰囲気はほとんどありませんでした。

それどころか酔客すら少なく、かなり沈んだ、暗い、言わば【死んだ街】という印象を受けました。

それはそれで味わい深いものがあり、『ゴールデン街で飲んでるオレ、オットナ~』なんて思いましたよ。

やがて僕も結婚をし、飲みに出かける機会が激減、ゴールデン街にも行かなくなりました。



そして離婚。

ふたたび【呑兵衛探偵】の再活動となった僕は、知合いのオカマのママの紹介で、ゴールデン街のあるお店に行く様になりました。

現在、そのお店にはボトルも入っています。



ゴールデン街はすっかり様変わりしました。

1990年代の老いた経営者たちから、20~30代の若いヒトたちに代替わりし、今ではすっかり街がにぎやかに。

経営者が若返れば、お客も若返りますからね。

毎年8月最終日曜日に開催される【新宿ゴールデン街 納涼祭】なんてホントに賑々しいですよ。

『あ~、街の持つ底力って凄いなぁ』なんて感慨深くなりました。

しかしながら、この状況がそれ程長く続くとは僕には思えません。

このニッポン・トーキョーには再開発事業をしたくてしたくてしたくて、たまらないヤツらが蠢いていますから。

大沢在昌著【雨の狩人】は、そんなお話でした。

過去の記事。
大沢在昌の巻。
大沢在昌の巻、ふたたび。
大沢在昌の巻、みたび。

街を破壊する事によって、流れ込んで来る利権に群がるクズ共…。

ホント、ヘドが出ます。


これ以上、トーキョーを破壊しないで下さい

もうトーキョーの事は放って置いて下さい

江戸っ子からの切なるお願いです…

『権力が何かをしようとするときは、国民の健康のためだとか環境のためだとか、必ずそういう理屈を作るのである。実際は自分たちの利権のためにやってるに決まっているのだけどね』池田清彦(ニッポンの評論家・1947~)


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