荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

尾崎豊の巻。

2016年05月13日 | 偽りの人生に優れたエンターテイメントを




ジムでチャリを漕ぐんですが、その際はおおむね雑誌を読みます。

先日は【AERA 2016年4月25日号】を読みました。



特集は『50歳の新・幸福論』。

まぁ、『昔と違って現代の50代は若いぜっ!』という内容です。

バブルがど~の、ってなネタばかり。

その中に尾崎豊ネタがありました。

これもまぁ、存命ならば50歳である尾崎豊について書かれた【世代論】に過ぎません。

しかしまぁ、尾崎豊ネタってほぼ間違いなく『喪失感に苛まれた若者たちの代弁者』『行き場のない閉塞感を歌に叩きつける』的な、まことに表層的な論じ方が多い。

4年前の成人の日、やはり朝日新聞にて『尾崎豊を知っているか』という論評がありましたが、それも上述した様な紋切り型なモノでありました。

勿論、尾崎豊が夭逝してしまった、というファクターが彼を『いつの時代をも代表するカリスマ』として祭り上げているって事は良く分かります。

にしても、違和感を覚えるんですよ。

というのも近年、『尾崎豊はひょうきんものだった』という真の姿が比較的パブリックになって来たから。

吉田豪の坂上忍へのインタビュー記事が、強く記憶に残っております。

20歳前後、坂上忍は吉川晃司や岡村靖幸なんぞと六本木で遊んでいた、と。

で、ある酒場に入ると、まだ17時過ぎなのにベロベロになった尾崎豊がいたそうです。

尾崎豊は坂上忍に会うと上機嫌で『忍ちゃ~ん!』なんて声を掛けて来たとか。

尾崎豊はひょうきんな真の姿と、ファンや関係者から求められる『孤独なオピニオンリーダー』という姿の乖離に相当悩んでいた、と坂上忍は語っておりました。

祭り上げられた自身を受け入れ、ナルシストや天狗になってしまえば良かった。

しかしながら、基本的に気の小さいオトコだったため、ナルシストや天狗にすらもなれなかった。

やがて、酒やクスリに逃げた…。

パブリックイメージの尾崎豊を信奉するのも結構だとは思いますが、真の姿を理解するのが『オザキを語る』上では、最も必要な事ではないでしょうか。



『苦労こそ人生の真の姿である。我々の最後の歓びと慰めは、苦労した過去の追憶にほかならない』アルフレッド・ド・ミュッセ(フランスの作家・1810~1857)